貴方の3月26日付御投稿拝見しました。貴方の御趣旨は「辻元問題での社民党と、野坂問題での日共の対応の違い」というところにあったようなので、多少本論からは外れるかも知れませんが小生も野坂問題には一家言あるので、敢えてレスさせて頂きます。
野坂除名のとき、不破は「このような人物を長年に渡って国会議員や議長にしてきたことは、国民に対して恥ずかしい」といいました。では何故不破や宮本は自らの不明に対して責任をとらなかったのでしょうか。私は「野坂除名で筋を通した」のはあくまで現象面に過ぎず、本質は「野坂切捨てで不破、宮本が保身を図った」としか思えません。しかも党は、逸早く山懸の遺族のもとを訪れて野阪の揮毫した記念碑の「1942年死去」を「1941年死去」に書換えたのですが、これなど「党の恥の証拠になるものさえ消せばいい」という、死者を冒涜する遺族に対しても極めて失礼な行為であったと思います。