返レス有難うございました。さて私なりの「野坂問題観」を、もう少し深めてみます。
1)野坂が山懸を売った1939年当時のコミンテルンとソ連と日本共産党は果たしてどのような状況であったか。野坂の「除名理由」には、この点が全く触れられていない。しかもどちらかといえば、「山懸密告問題」よりも「自主独立路線」確立後もソ連と内通していた点にウェートがよりおかれている。(「党首が外国党と内通している」自主独立路線では、その程度が知れるではないか。いったい不破や宮本の監督責任は問われなくてもよいのか。)
2)「宮本リンチ殺人事件」により、戦前の日本共産党は壊滅していた。野坂や山懸は最早帰国など全く叶わなかった。ソ連にとっても、壊滅した日共などどうでもよく、日本の対ソ参戦だけが関心事で、野坂、山懸らは食客でしかなかった。
3)当時ソ連では、スターリンの大粛清が進行し、党、軍の有能な幹部が多数粛清されていた。コミンテルンに対しても、情容赦なく大粛清が行われ、ソ連亡命中の各国共産党幹部が「西側のスパイ」として、処刑投獄されていた。
4)こうした中で、コミンテルンの幹部達はソ連から逃亡することも出来ず、「明日は我が身」とお互い疑心暗鬼に陥っていた。
5)こうした事件の背景を考慮せずに、現代的基準で「仲間を売り、その上党に隠していた」ことを以って除名しさえすればそれで事足りるなどとは、私は全く思いません。
6)野坂事件の時代背景を振返り、その原因となった「戦前戦中の日本共産党の問題点」を究明してこそ、真の問題総括といえるのではないでしょうか。
7)最後に、野坂が山懸を売った背景には、「当時の在ソ日本人の中では、陰の野坂より陽の山懸の方に人気があった」(寺島儀三「長い旅の記録」日本経済新聞社刊他同様の証言多数有り)ことから想像される、野坂の山懸への嫉妬があったことはいうまでもないでしょう。
如何に野坂が当時100歳で或る意味(今日の宮顕のように)「過去の人」であったとはいえ、こうした党の出鱈目な処分を黙許した我々党員も大いに反省しなければならないでしょう。実際有田芳生氏は、当時「誰が野坂参三を裁けるか」と問題提起して、党から反撃されていたのを記憶しています。