大学生の人間関係は、日本社会の断面図を示している。
故丸山真男氏は、日本における組織を「タコツボ」と表現したが、
これは現在の大学のサークルにそのまま当てはまると考えてもよいであろう。
具体的には、サークルの個々の構成員の結びつきは弱いが、絶えず外に向かって開かれているという点を持っているのである。
すなわち、勧誘活動は行っているが、入った後冷たくされたと訴える人が実に多いのである。
なぜ大学のサークルは、日本の組織は、このような構造をもっているのであろうか。
それについて考える前に、私は戦後学生運動が隆盛の頃、サークル活動もまた興隆していたという話を聞いたことがある。サークル活動の隆盛の時期は、サークルにおいては丸山氏の言うような「タコツボ」化は生じにくいのではないかと思う。なんとなれば、学生が広く横のつながりを求めるような時(=学生運動)には、「タコツボ」化は生じないのである。
さて、大衆サークルを具体例に挙げると、新入生時にサークルに入ったら冷たくされた、という人が多い。友達のみを求めてサークルに入った人はたちまち脱落する。一方、サークルで行うことが、やりたいことと一致していた人のみ周囲との関係を築いていけると言えるだろう。それにもかなり「根性」がいるそうである。
90年代以降の学生サークルの特徴は、OBを抱えるサークルが多くなったことである。OBが運営に携わらなければサークルそのものを維持できぬということであろう。いつの時代でも、学生は4年で卒業するから、サークルというものは流動的になるのであるが、流動の中でも絶えず一定の人数を有してきたのが大学サークルである。90年代以降は、80年代に維持し得たサークル人の間の紐帯が弱まってしまったという他に考えられない。その理由は上に挙げたものが一点である。
二点目は、学生の多忙化が挙げられると思う。概して①理工系学生の多忙②アルバイト③ダブルスクール等である。しかし、これら①~③は学生の紐帯を弱める特殊な一因であり、基本的な原因ではない。
サークル内部の紐帯の問題についてもっと広く考えるなら、例えば、「70年代を転機に『青春』という言葉が用いられなくなった」ということと性質が似ている。確かにわれわれは後にも先にも『青春時代』という言葉を用いないであろう。『青年』も同じ類の言葉である。昔の新聞には、高校受験の合格発表で抱き合って喜ぶ中学生の姿があるが、見ていると何かしらそこからエネルギーを感じる。連帯のエネルギーというか、仲間意識とかそういうものであろう。われわれの世代を批判する権利は私にはないが、なぜ、ああなってしまうのか考える必要があると思う。青春という言葉が用いられなくなったのは、70年代以降何らかの形で、若年層の連帯形成の過程が阻害されているからであろう。そして個人主義が形成された。ところで、70年代における「転換」はなぜであろうか?
結論を急ぐと、70年代の「転換」の理由は、共産党などの民主勢力の後退とも相俟っているように思う。しかし、本質的・具体的な要因はわからないのである。この点、どなたかご教示いただけると幸甚です。
ところで、党の学生分野での陣地の後退について総括したような文章は見当らない。(唯一それに近いのが89年のある会議の冊子だったと思うが。)ここからは主観ですが、どうもその後も拡大・宣伝といった功利主義的な要素が多いように感じられる。少なくない二世党員の数もそれを示すのだが、(二世党員の存在が悪いわけではなく)、「『青年』学生」という言葉を使っているのだから、拡大・宣伝以外のアプローチを増やさなければならないと思う。
追伸。Hegel先生ご返信ありがとうございます。先生の学生時代が目に浮かぶようでしたが、私は教授に要求などといっても恐縮してしまうので、アンケートを配布されても当り障りのないことを書いている程度ですが、その点は周囲の学生のほうが強いと言えるでしょう。以前内容が紹介されたことがあり私からすればかなりきつい内容でした。分をわきまえるなどということに拘る性格ですのでこう思うのかも知れませんが、教授は大変だと思います。
私は授業に関しての細かい要求はあまりないほうで、まあ歴史認識の要求というのはありますが、そちらは黒板の字をもっと大きくとか、もっと大きな声で喋ってという要求とは質的に違ってくると思います。私はその点については授業後に質問(というか談話)するなどしていますが、具体的には授業の内容について、自分の言葉で教授と共通の話題をつくるようにしていますが。
先生の仰った点、特に学生と授業の問題について、私も思うところがないわけではないですので、またの機会に、大袈裟ですが、書きます。