学生支部で、拡大した人々が数ヶ月も経たぬ内に組織を離れていく、いわゆる「どじょうすくい」の繰り返しが行われている。これは拡大行動のノウハウはできているが、その後の対応に問題がある証拠である。
といっても、すべてにおいて迎えるこちらの側のミスだとは考えにくい。一般学生を取り巻く環境もまた変化している。
90年代以降の学生運動は、後者の点で非常に困難が増しているものと思われる。
困難の原因を考えてみた。
80年代には(よくは知らないが)、一定規模の左翼を含めた思想潮流が存在したこと。思想が一般学生の手の届くところに存在しており、今みたいに特殊なものではなかった。
90年代以降、思想は学生とは縁遠くなったように思われる。私は80年代に学生時代を過ごした人(左翼ではない)と意見交換する機会を得て、この点について考えさせられた。80年代は、左翼の学生でなくても、いろいろな思想に関する書籍を読んでいたのだ。もちろんそういうものにふれていない人もいたようだが、一定規模の層が思想に接していた。
ところが、今思想に関する書籍を読んでいる者は、ごく限られたものを除いては、皆無である。
それと関わってかどうか解らないが、学生の間のコミュニケーションの取り方は大分変わっているように思われる。グループで行動して表面的な当たり障りのない会話を楽しむ(私にはそれが楽しいかどうか判らないが)人が圧倒的である。その集団に適合しない人物はもう周りの学生が何語で喋っているかも判らない状況に陥る。社会思想などの事柄を真摯に考える者はグループを外れる可能性がある。
だから、いったん民青に加盟した学生が、その神髄を完全に把握しないで逡巡している間に、「フツーの学生」にのみこまれてしまう事は往々にしてあるのだ。「フツーの学生」になったらもうあとは手も足も出ない状況になる。(つづく)