やっと、このごろ、face to faceで話し合う必要性をつよく打ち出すようになりました。われわれは、もともと非常に話しべたであることを自覚したほうが良いが思います。
もともと、マルクスなど゜を研究するひとが、庶民的であるはずがありません。不破さんなんて、素敵な学者ですが、やはり、取っ付きの良い人とは、おもえません。
また中間幹部のひとは、「もっと、楽しく語らえ」といっているようですが、「じゃあ、おまえが庶民のリーダーとしてやれるのか」というと歌が下手なくせに、「歌は、うまく歌うべき」といっている人みたいで、実際はできないのでする。
もともと、日本改革のテーマで対話運動の何て提起は、とても難しいことなのです。この際、議員後援会も個人の呼称にまで、戻して、自分自身の人間性を語れとしないと、生きのよい対話運動というものは、生まれてこないと思います。