現在の学生自治会は、私の考える所では、一部の大学及び当局に奨励されていないものを除いては、悉く消滅か活動停止の状態となっている。
私は、学生自治会の衰退の原因の解明は、今後の学生運動の発展の鍵になると思った。
現在の学生自治会の意義を考えてみたい。目的が不明確な運動は、存在意義を失うためである。私はこの点を今一度多くの人と話し合いたい。
第一に、誤解を恐れずに言うと、現在では経済闘争の一致点は生まれにくいのである。(たとえば消費税、学費の値上げに反対すること。)客観的に、消費税の増額や学費の値上げは学生生活に不利益である。ただし、今の学生の表面的な会話の話題に、学費や消費税を載せようと思うとこれがすさまじい困難が生じるのである。下手をすれば友人関係を壊しかねない。わたしは、学生の表面的な話題には、経済的な事柄では、衣食住にかかる値段(被服費、食費、住居費)についての話題が最も多いと感じた。すなわち、学生の意識は、日本歴史にたとえるところの、「逃散」の形をとっているのである。これが江戸時代における「一揆」、すなわち団結(=闘争)の形を成すには、何らかの大きな変化が生まれなければできないと思っている。
第二に、学生自治会の起源は、学生と教授の橋渡し的存在であったという。戦後の学生運動で、三者自治(学生、教授、職員)が確立した(但し、学生の権利が確立した)。ところが現在は、学生が殆ど欠落して二者自治くらいになっているであろう。ところで、三者自治には「国」は含まれないのであって、学費や消費税は三者自治の範疇には含まれない問題であろう。
第三に、自治に対する現在の学生側の意識については、三者自治以前に、時代が遡行してしまっている感がある。ある大学の新聞に、「学生は自分達だけで楽しもうとする。昔は違ったのだが…」という趣旨の教授の声が掲載されたことがある。これを見る限りでは、学生と教員との交流は皆無である。一部ゼミナールでは交流が行われているが、マンモス校となればなる程その機会は乏しい。学園祭でも昔は、教職員がステージで歌を披露するようなこともあったと聞くが、今は邪魔者扱いされている感がある。これほど学生と教職員の意識がかけ離れてしまっている今、自治会の原点(=学生と教職員の交流組織)に立ち返るのは最善の選択であろうか。私はこの点で今確信がもてておらず、多くの人の意見を聞きたい。
第四に、私の考えるところでは、学生-教職員の交流が成立しないことは、単なる世代の断絶という理由ですまされることではなく、学生の側が何らかの未成熟な部分を持っていると考えざるを得ない(誤解かも知れないが、若干教職員にも見受けられる)。私は、人格的交流能力の未発達(=完成教育の破綻)を挙げたい。すなわち、受験競争の激化によって、本来大学に入るまでに身につけておかねばならなかった交流能力が十分育っていないのだ。
これらの事から考えると、まず学生自治会は、人格形成に役立つ組織であることを存立基盤にしなければならないように思う。それが具体的に何であるかはよくわからない。それがサークル活動に収斂されていくものでもいいと思う。要は、それらのことを通じて、民主的な人間が育てばいいのではないかと思う。
みなさんはどう思いますか?