いわゆる党の「立ち枯れ」問題の核心は、党組織の拡大再生産を阻害するものは何であるかということにあると思う。
いままで、党が組織後退の原因として言ってきたものは、「反動攻勢」「分派活動」に収斂されると思う。
学生の先輩からもそれまでの学生運動の後退について「学生運動冬の時代」とかいった、「反動攻勢」に原因を求める言葉で説明を受けてきたし、私の認識も大学に入ってしばらくはその範疇を抜けるものではなかった。先輩方の時代には、東欧の激動や、ソ連の崩壊があり、それを利用した反共攻撃を受けたそうである。
ところが、私たちが大学に入った後に「反動攻勢」というものはなかった。しかし、党組織の衰退が続いていた。その理由を相変わらず「反動攻勢」すなわち「反共偏見」に求めていた。「反共偏見」という『概念』のせいにしていたのだ。
ここで、私の特異な誤解が起こる。党組織の後退は(現実にありもしない)『概念』のせいだという理解が生まれる。このような理解をするなら、その後党で学ぶテーゼに対する「うのみ」が起こりかねない。その先はまさに観念論の世界だ。
また、別の問題が生じる。組織後退の理由を「反共偏見」以外に求めていた人は、どのように考えたのか。ということである。例えば、「90年代初期の反動攻勢が終わっても、未だに前進しないのはなぜか」等。この問題はどのように扱われたのか。
もしここで、前者の理解をした人ならば、党を「信じて」活動し続けるということになる。後者の理解をした人ならば、遅かれ早かれ現実に行われている運動に対して自信を喪失するのではないか。誤解を恐れずに言うと、この状態に於いては運動をすればするほど、水と油のように活動が現実にとけ込みにくい関係が生まれてくるのではないかと思う。
もし、組織が、その減退の理由(現実)を正しく認識できるなら、既に必要な対策が講じられていてもおかしくはない。そして、その対策は確実に功を奏するのではないかと思う。なんとなれば、現在まで党が後退要因とたたかってきた歴史が存在するからである。具体的には「反動攻勢」に対する対策であり、「分派活動」に対する対策である。
今度の後退要因は、明らかにそれらとは質が違うものである。
結論を急ぐと、「いままでの」後退要因は「反動攻勢」等の歴史的概念である。これは、把握しやすい事実である。なんとなれば、それらの現象に対して反論することで対処できるからだ。しかし、最近の後退要因は把握しにくい。そして党が反論で対処することもできない。すなわち後退要因及び対処法は現在の『中央決定』等と縁遠い存在であるように思うのだ。
さざ波通信やJCP-WATCHが冒頭で指摘する問題とは、そのようなことに収斂されるのではないだろうか。