党組織の衰退要因について考察してきたが、それを「反動攻勢」や「分派活動」などに求めることができなくなった今、どこに衰退要因を認めて、対策を打ち出せばいいのであろうか。
このサイト及びJCP-WATCHの冒頭では、たとえば「組織の非民主的構造」が挙げられている。私の理解からそこまで到達するには少々議論の飛躍があるので、なぜ、それが唱えられるのか順を追って考えていきたい。
まず、「組織が発展するには、民主的な構造を持っていなければならない。」というテーゼは普遍的なことであると思われる。一般に民主主義について考える場合、仮に、これは民主的でないと言われることにはどのような場合があろうか。それはたとえば、情勢分析や政策決定を一部の人が行っている…ということだろうか。もし、一部の人が行っていたとしても、それで組織が増加するのであれば少なくとも衰退という問題からは逃れられる。しかし、情勢分析や政策決定を一部の人が行い、結果衰退することになれば、組織の非民主的構造すなわち日本共産党の党内民主主義のシステムが問われる、といったことになってもおかしくはない。
一つの推論として、一部の人で行った方針及び政策決定が、情勢とかみ合っていた場合にのみ組織の発展が見られて、もしかみ合わない場合は、組織が衰退するということになる。すると、現在の運動は、必ずしも情勢とかみ合ったものになっていないということになるのである。一口に運動と言っても、手法や理念などいろいろな概念に分かれてくると思うが、なんらかに齟齬があるのであろう。そのように仮定する。
ならば、理想的な運動とはどのようなものであろうか。
それについて述べる前に、「かみ合っていた頃」の運動についての次のような指摘を紹介する。
「かつての青年層は多かれ少なかれ「戦争体験」をもち、平和と戦争、あるいは民主主義というものを、自らの課題とする切実なものがあった。そしてさらに、戦後の生活苦…がいやおうなしに政治への関心を高めたといってよい」。(『朝日』1965年1月11日)
これに従うなら、少し強引かつ断定的に言うと、戦争体験や生活苦など切実な要求は、運動となって組織の発展に貢献する。
しかし、同紙は続けて、前4年くらいから急速に革新離れが進んでいるとし、その原因を戦争体験の欠如や経済成長による生活の一般的向上等に求めている。さらに革新勢力の運動について指摘している。
「革新勢力が青年の”保守化”をいまさらながらに嘆ずるのは、このような青年の世代的断層を看過していたということだろう。…生活への不満といっても、その内容が変化している点を忘れたものであった。」
口早に言うと指摘された内容は、青年の多面的な要求は日々変化しており、それを見落したものなら革新勢力は衰退することになる、ということである。指摘はその当時の政策(すなわち世代的断層の看過)或いは情勢判断の誤りに及ぶ。
この種の情勢判断の誤りに関わって、当時丸山真男氏は次のように指摘している。
「その組織なら組織の中で通用している言葉なり、外部の状況についてのイメージなりが、組織の外でどれだけ通用するかということについての反省が欠けがちになる。そこから組織内で通用している言葉を組織の外でその有効性をためしていく努力が忘れられ、つまりイメージの層がいかに厚く、いかにくいちがっているかという現実が忘れられ…る。従って、自分たちがもつイメージとくいちがったイメージはみんな誤謬なんだから、「啓蒙」して、自分たちのイメージを普遍化すればいいという考えに落ち着く。それが全体状況についての判断を誤らせ、説得としても甚だ有効でない結果を招いているのではないでしょうか。」(丸山真男『日本の思想』岩波新書、1961年)
氏は続いて、このような古いイメージの沈殿が、タコツボ型社会(説明を省略)においては組織発展の障害となることを指摘し、次のような解決策を導いている。
「こういうところにおける革新勢力のリーダーシップの任務というものは、今までと違った思考法というものを必要にするんじゃないかと思う。つまり階級的な同一性に立った組織化と同時に、それと違った次元に立ったいろいろな組織化の方法をできるだけ多く組合せて積み上げていかざるをえない。それは単にマテリアルに力を強くするためだけではなしに、一つの組織の思考法が固定し、沈殿するのを防ぎ、いろいろなイメージを合成しながら、もっとも流通度の高い言葉を見出していくためにも必要です。」
ということである。難しい指摘であるが、たとえば数年前におこなった情勢分析はいろいろな意味で古くなって使い物にならないから、常に新しい情勢分析が必要である。当時の思考なりに安住するとどえらい結果になる。ということである。
上の問題に関わって。学生以外の階層の青年観は、かなり私たちのものとかけはなれているように思う。その代表的な例として、「最近の学生は云々…」というものがあるが、これは、「自らのイメージの普遍化」の典型例であり、運動においては甚だ有効ではない。
氏の言うように、イメージの沈殿を防ぐための組織づくりが必要である。すなわち革新勢力の側においては、日本社会のタコツボ型のような組織構造を、打破できるような組織なり運動を形成しなければならないであろう。またそういう運動を形成するためには、固定した考えを打破する努力も必要なのである。
以上まで述べたところで、党組織の非民主性の問題と、「立ち枯れ」問題の連環が見えてきたように思う。