先日の首都圏での自殺事件の報道は、暗い話題の中でもひときわ目立っていた。私は来るべきものが来たなという感じがした。
この事件は、若年層の失業問題の先鋭化したものと言っても過言ではない。3人はいずれも無職(フリーター)であったようだ。
ところで、全学連などが実施している新入生アンケートの、大学生活で最も関心の高いことは?の問いで、2~3年前から必ずトップに挙がっているのは、他ならぬ「就職の心配」であるそうだ。就職試験に遅刻しても合格できたというバブル期には全然あり得ない回答である。大学を卒業するよりも、専門学校を卒業した方が就職には有利な時代になっている。
一言に失業問題といっても、若年層のそれの現実は従来の失業のイメージとは大きく異なる。従来の日本の失業問題は、全世代の問題であった。ところが、最近の失業は、中高年のリストラは問題としてあるものの、量的には若年層に傾斜している。これをどう見るべきか。
まず、フリーターの経済的問題について言えば、①健康保険の未加入②賞与が無いこと、である。加えて、年金も殆ど払えないでいる。このまま推移すれば、大量の無保険者が生み出され、正規の就業者との間に巨大な断層が生まれる。遠からず日本社会は完全に二極化するであろう。
今、健康保険のサラリーマン3割負担でせめぎあいになっているようであるが、実はこの問題は、若年層にとっては少しズレた問題である。言うまでもなくサラリーマンになれない若年層が増加しているからだ。未就職者にとっては3割どころではないのである。ことさらにサラリーマンを強調するのは、企業別労働組合が失業者を考慮に入れないのと同じ様なものだ。そういう意味では、我々の運動は『一億総中流』のイメージを捨てきれないでいるのではないか。と考えるのは穿ちすぎであろうか。
また、フリーターには心理的問題が存在する。「タコツボ」同士が観察し合うなら、一方の「タコツボ」からは、フリーターは遊んでいてその日暮らしをしている人種(=自発的失業者)だと考えられがちだが、これは大きな誤解である。しかし、この偏見は直接にはフリーターを圧迫しない。フリーターの心理を圧迫するものは、他ならぬ仕事のやりがいの無さである。アルバイトやパートの仕事は、正社員の補助的業務である。要するに単純作業でこきつかわれるだけだ。そのような仕事にやりがいを感じる人は少ない。多くの人は仕事(アルバイト)に当然やりがいを見いだせず、また将来の保証もない。このような状態に置かれるなら、少なくない若者が生きる展望を失っても不思議ではない。
結論としては、健康保険の3割負担の問題は、若者の無保険問題と結ぶことが必要だ。また、そうしなければ、特定の階層のための運動と考えられてもおかしくないであろう。また、失業問題に対するワークシェアリングの提案についても、「賃下げなしの労働時間短縮」などとは言わずに、まず大多数の人が正職に就くことが大切なのではないかと思うが、いかがなものか。