敗北の「責任を感じる」という。だけが、だれに対してなのか?。
広島の碑にあるように、「けっして過ちは繰り返しません」とあるように、主語不明の文章になっている。
おそらく、国民に対して、党として、敗北の責任を感じるということなのであって、党指導者としての責任でもなく、党員と党指導部を同罪に置く、とんでもない代物であった。
若林都委員長は「今回の選挙ほど勉強になった選挙はない」というのが、公式発言である。だれが、あんたの勉強のために、たたたかったというのか。どうしょうもない感覚がここにも現れている。
われわれは、「真に信頼に値する有能な指導者を持っていない」ということが現状であるということを、共通の認識にして、激動の時代を生き抜く方策を自らの手で見出していく以外にない。