5月31日「しんぶん赤旗」の記事
「戦争犠牲耐えろ」-韓国人遺族ら逆転敗訴
国の賠償責任否定
終戦直後の1945年8月24日、旧海軍の輸送船「浮島丸」が京都の舞鶴港で爆発・沈没し、強制連行された朝鮮人500人以上が死亡したとされる事件をめぐり・・・「戦争の犠牲や損害に属し、等しく受忍すべきもので、補償は憲法も予想していない」などとして国の賠償責任を否定。
計4、500万円の支払いを国に命じた一審京都地裁判決を変更し、原告側の前面敗訴の逆転判決を言い渡しました。
「恨み千年語り継ぐ 2歳で父と別れた全さん」の思いは「父が日本人なら戦死として扱われたはず、(事故の)何の調査もしない日本人は自分たちだけが特別で尊いのか。日本の裏切り、背信行為をとことん見せてもらった」
私たち日本人は、こうした在日の人々の「恨」にどう対峙していくのか・・・彼等は半世紀にもわたって、法の枠内で、堂々と、異議申し立てをおこなってきたにすぎない。人間として、民主的な方法で、当然の権利を求めたに過ぎない。それに対して、京都地裁の一審を覆す、無法ともいえる判決。
片や、過去、現在のアジアのひとびとになした罪はわすれ、あるいは無視しながら、拉致帰国事件には特別待遇をあたえる、国とメディア。あまりにも、人間として、バランスを欠いたものでないだろうか。
私は、つくづくおもう。よくも、よくも、こうした酷い仕打ちに、在日の方たちは、ひっそり、粘り強くたえられるかと・・・神ともおもえる崇高な信念の前に、私達日本人は傍観しているだけでいいのだろうか。
過去の罪業をみとめずして、あろうことか、またさらに、罪業を重ねていく日本の狂気を、私達一人一人が、今こそ、厳重に監視しなければならないときである。狂気に乱舞するのではなく。
日本国内は、政治・経済・教育・司法・・・と、ガラガラと、こわれていく。こどもでもわかるまやかしの理屈が、とおっていく。政権党にとって都合のいい無法な法案は、どんどん通る。「つぶれるよりはまし」だろうと、約束事を破ることを天下に宣言する経済。教育は、一人一人が、「犠牲になって死んでいく個性」をはぐくむという。少子化なので、今後の需要のために種付けさえも国が援助するという。
事実や言葉が一つ一つ、裏返り、隠蔽され、本質がみえにくくされていく。本質がみえなければ、真実には到底いきつかない。
この度のイラク戦争の無法ぶりは、ちらほら、みえてきているが、それでも、日本のマスコミは、おおかた、ブッシュのプロパガンダの粋をでていない。
「北朝鮮の無法に対して、無法な先制攻撃への参戦法案を制定するのではなく・・」といった、赤旗仕込みの、それこそ、ブッシュの土台に片足乗った、「正義面した日本」である限り、上記全さんの怒りと哀しみは、永久にわからないだろう。
何度でもいうが、この無自覚な「驕り」「優越」があるかぎり、ブッシュと同じ穴の狢である。これらすべて、戦争の根源に通底しているのである。