投稿する トップページ ヘルプ

党員用討論欄

幹部政策の抜本的検討を──筆坂問題によせて──

2003/6/28 川上 慎一

1 私たちがこの問題を判断するだけの情報が公開されていない
 しんぶん「赤旗」や一般紙の報道では、筆坂問題について「女性が酒席でセクハラ行為をうけた」ということだけしかわかりません。相手のプライバシーを最大限尊重しても、もう少し具体的なところを公表することはできるでしょう。市川氏のときも結局は週刊誌でかなり詳細に報じられましたが、おそらく今度も週刊誌はほってはおかないでしょう。市川氏のときにくらべてニュースバリューははるかに高いから、週 刊誌記者たちは血眼でネタを追うでしょう。
 セクハラというのは、女性の体に触れるとか、あるいは女性が不快感を覚えるほどの卑猥な言語によるものとか、あるいは何らかの関係を利用して性的関係を迫るなどいろいろあるでしょう。私は筆坂氏と年齢も党歴もよく似たものですが、私の個人的な感想からすれば、分別ある年齢の人が、出来心とか、酒に酔いつぶれてとか、という偶発的な事情でこのようなセクハラ問題を起すということはまことに考えにくいのです。

2 筆坂問題は単なる女性問題か
 私自身についていえば、私のような「50男」がこのような場面に遭遇することが実際は希なことだと思えてなりません。ただし、私と筆坂氏を比べると3つほど違う点があります。1つは、私は日々の生活の糧を手に入れることに汲々としているが、筆坂氏にどれほどの実収入があるかは知りませんが、議員歳費や政務調査費、交通費などを含めると年間3千万円ほどを国から支給されています。2つ目は、私は、さざ波通信に党中央批判をときどき投稿する末端の一党員ですが、筆坂氏は、日本共産党のナンバー4ともいわれる、押しも押されもせぬ参議院議員です。3つ目は、筆坂氏はいつもパリッとしたスーツを身につけたダンディな男性ですが、私はヨレヨレのシャツを着たオジイであります。
 そういう意味では筆坂氏は「もてる男性」であったのかもしれません。ただ、妻以外の女性から男性として愛されたいとは思いませんから、別にヒガンでいるわけではありません。また、人生半ばを過ぎたような男が女性から興味を持たれるのは、実はその興味の対象は、その人に属する金や名誉や地位であることがほとんどです。逆にいえば、ふつうは「金も名誉も地位もない」男が、妻以外の女性にまともに関心をもつことはない、ということです。
 筆坂氏が今回このような問題を起こした背景には、彼が参議院議員であったこと、党の最高幹部の一人であったこととおそらく無縁ではないでしょう。個人的な感想からいえば、たとえばこの点では長壁さんとは違って、私は筆坂氏にはもともと好感を持っていませんでしたし、彼が政治的には忠実な不破志位路線の遂行者であったことは、03.6.25付トピックス欄のST編集部員が書かれている通りでしょう。その点では、市川氏の方がはるかに指導者、党員としては優れた品性、資質を持っていたと私は思っています。政治生活晩年の市川氏については知りませんが、彼が中央にいってからしばらくの間は、党の会議でも指導上の問題点を自己批判するなどの立派な謙虚さを持ち合わせていました。
 かつてはすぐれた指導者だった幹部が、長年の幹部、議員生活の中で次第に腐敗していったのではないかと思います。したがって、私は筆坂問題を単なる「セクハラ問題や女性問題」と考えません。

3 党の幹部政策
 私は、市川氏の問題にしても筆坂氏の問題にしても、これらは党の「幹部政策」(どような党員を幹部にするか、幹部をどのように育てるか、など)の問題だと考えています。党規約にはこれについて、「(党の各級機関役員の選挙について)候補者は政治的品性、能力、経歴について選挙人によってじゅうぶん審議されなくてはならない」と定めています。幹部を選考する基準の第一に「政治的品性」があげられています。現行規約では「政治的」がなくなっていますが、ここでこのことを論じる必要はないでしょう。
 「政治的品性」とは何でしょうか。いささか大時代的な表現で恐縮ですが、何をさておいても「人民への献身」ではないかと思います。私は高校時代に、(記憶が間違っていたらごめんなさい)「アカハタ」復刊第一号(?)というパンフレット(新聞ではなかった)を、朝鮮人である友人に見せてもらったことがあります。その冒頭に、徳田球一氏、志賀義雄氏の連名で「報いられる事なき人民への献身」と書いてあるのを見て、感動した記憶があります。党の統一と団結を守ること、決定を積極的に実行すること、などももちろん党員として大切なことであることを否定しませんが、その前に何よりも「人民への献身」あるいは「人民の根本的利益を擁護する立場」に立つということが、「政治的品性」の最も重要な要素だろうと思います。
 ところが、私が入党したのはすでに宮本氏が党の実権を握ったあとでしたから、「政治的品性」なるものの第一の要素は「中央への忠誠・決定の無条件実践」に置き換えられるようになっていました。日本共産党の組織原則が「スターリン的」といわれる所以でもあるでしょう。
 党の幹部政策がこのようなものになると、中央や上級機関の方針に批判的な意見を述べることがタブーとなり、そういう党員は幹部から排除され、また採用されなくなります。驚くことに、40年近くもの間このような幹部政策のもとに、系統的に党の幹部が育成され、採用してきたのですから、中央委員会幹部会が何を提案しても毎回「全会一致」という構図になるのは当たり前のことです。もはや中央委員会の中には、「共産主義者」(この言葉は党員を表す言葉として使わなくなるのでしょうか)としての信念から、あるいは「人民の根本的利益」を擁護する立場から、自らの見解を披瀝する中央幹部はおそらくゼロに近いでしょう。別の面から見ると、厳しい位階性、序列が完成すればするほど「上に立つ幹部」はますます批判されなくなります。
 県や地区の機関においてもほぼ同じでしょう。支部の党員が、活動上の悩みや問題点を機関の幹部に相談したり提案したりしても、10回のうち9回以上は「なしのつぶて・無視・放置」が実態であることは、支部で活動する党員のみなさんがいちばんよく知っていることでしょう。知らないのは不破氏と志位氏ぐらいのものです。支部の党員の人たちからのこのような嘆きはさざ波通信でもときどきみかけます。党幹部を「ヒラメ(鮃)」などと揶揄する人も時々見かけますが、その根源にはこのような幹部政策があります。ともかく「党機関の幹部は上級機関のスピーカーのようなもので、支部の活動上の悩み、困難にいっしょになって考えてくれた幹部にであったことがない」という経験をおそらくほとんどの支部党員が共有しているのではないでしょ うか。
 決してすべてとはいいませんが、今日の党幹部の中には「(共産党員であることを免罪符として)みずからの良心を傷つけることなく立身出世・栄達」夢見る人がいることもまた事実でしょう。

4 党幹部の腐敗はどのように進行していくか
 近年、日本共産党も国会や都道府県議会、大都市に一定数の議席が確保できるようになりました。これらの議員が、歳費、議員報酬のうちのどれほどをみずからの収入にしているのかは、中央が公表しないのでわかりませんが、国会議員の場合は先にあげたようにおそらく3千万円ほどの支給が国からあるはずです。また、都道府県議会や政令指定都市の議員などはほとんどは1千万円を上回るはずです。一定額は党に寄付をしているはずですから、まるまる議員の収入になることはありませんが、ずいぶん前に党による「歳費管理」をやめましたから、かなりの部分が議員個人の収入になっているはずです。都道府県議会や政令指定都市の議員などは、その地域の民医連の医師だとか、党と関係の深い法律事務所の弁護士(どちらかといえばこれらの職種 の中では清廉な人々)より高収入である場合があります。
 日本共産党の場合には、選挙は「党営」ですから、選挙にあたって議員個人はふつう多少の寄付をする程度ではないかと思います。公明党のことは知りませんが、日本共産党を除く他政党の議員は、なりふり構わず、中には恐喝まがいのことまでして資金集めをしますが、彼らの場合には、私腹も肥やしますが、いわゆる「政治活動」で実際巨額の金がかかります。
 もう故人になられましたが、須藤伍郎さんという全国区選出の参議院議員がいました。この人は演説会で、日本共産党の清潔さを訴えるときに「日本共産党は議員の歳費管理をしている」と言って、「党の幹部が腐る余地がない」ことを強調していました。氏は「自民党には金がある。公明党には仏様がいる。日本共産党には母なる人民大衆がいる」と演説を結んで喝采を受けたものでした。実際には、当時から宮本氏を初め中央幹部がまったく清廉であったとは思えませんが、それでも当時はまだ「他党の議員と同じような裕福な生活をすべきではない」という思想が残っていました。実際、春日正一(参議院議員)さんや岩間正男(同)さんなどを近くで見かけたことがありましたが、あまり高級そうではないスーツやオーバーコートを着ていたのが印象的で した。
 私がここで問題としているのは「腐敗とは単に女性問題だけではない」ということです。「先憂後楽」という言葉があります。辞書によれば「(為政者が、天下の事を)人よりも先に憂え、人よりも後れて楽しむこと」であります。中国の思想だと思いますが、残念ながらマルクス主義にはこのような政治思想が明確にはありません。19世紀のヨーロッパ人にの目には「アジアは遅れた野蛮な専制国家の歴史しかない」としか見ていなかったようですが、それはおおきな間違いであり、政治思想としても極めて重要なものがあります。
 不破氏や筆坂氏は「先憂後楽」の思想に照らしてどうだったのでしょうか。清廉さは共産党の最高幹部には不可欠な資質です。党幹部のなかには、国会議員としての収入の他、テレビ出演料、しんぶん「赤旗」、雑誌、書籍の原稿料が相当な額にのぼる人がいます。不破氏などはその最たるものでしょう。日本共産党の支持層の生活からあまりにもかけ離れた収入を得ることは「革命政党、労働者党」の幹部として決してふさわしいことではありません。山登りが好きなことはよろしい。しかし、山荘まで所有して、そこへインタビュアーを招いてテレビ番組を収録させて得々とする心性にはあきれてしまいます。しかも、趣味で集めた人形の中には「明治天皇」の人形まであるといいます。
 党の歳費管理は、テレビ討論会などでしばしば自民党など他党から批判されました。また、党の最高幹部の中にも国会に議席をもつ人が増えてきて、いつの間にか、公表されることもなく歳費管理をしなくなりました。歳費管理を攻撃した自民党などのネライが何であったかについてあらためて述べる必要はないでしょう。辻元氏らがねらわれた秘書給与問題とは性質が違います。
 また、議員は役所などからうわべだけは大変に大切にされます。国会議員ともなれば、どこへいっても「先生、先生」と持ち上げられ、肩書きに対する「敬称・尊敬」を自分自身にたいするものと錯覚をしてしまいます。「思い上がる」ための条件がじゅうぶん過ぎるほど整います。大学教授などによるセクハラのほとんどはこの類でしょう。筆坂氏のセクハラがどのようなものであったかはわかりませんが、背景に「俺は国会議員だ。常任幹部会委員だ」という思い上がりがあったと推測することはそれほど見当違いではないでしょう。
 「金と地位と名誉」は腐敗の絶好の条件になります。残念なことにブルジョア議会にはこれらの条件が完備されています。不破氏のいうところの「議会を通じての革命の道しかない」とすれば、ますます党幹部の腐敗を防ぐことは焦眉の課題となります。

5 腐敗をどのように防ぐか
 食べ物が腐敗しないようにするためには、低温で保存するとか、浸透圧を高くしておくとか、乾燥させるとか、いろいろな方法があります。
 以下は党幹部や党議員の腐敗を防ぐためにはどのようにしたらよいかについての私見です。
 まず第一に、秘書も含めて歳費や報酬の管理をすべきです。ただし、個人名を書く選挙では医師だとか弁護士という社会的に声望があり、「得票を期待できる」ような人を議員候補者にする場合がありますが、これらの人が議員になることによって極端な減収になるような場合には別に考えなければなりませんし、歳費管理をしていたころでもそのようにやっていたはずです。また、歳費管理が「国費の流用・ピンハネ」というような辻元氏がやられたような攻撃を避けるためには、議員や秘書の収入となる部分をのぞいて国庫や地方公共団体に返納すればよいだけのことです。寄付行為等の制約があるでしょうが、考えれば方法はいくらでもあるでしょう。金の問題ではないのですから。党幹部や議員の腐敗は党の存亡にかかわる問題です。
 政党助成金も「共産党が受け取らない分を他党が山分けをする」という点は問題ですが、これを拒否するという党の方針は正しい。選挙などで資金が集まらないとか、常任の給与が遅配、欠配となるのは別の問題です。党の方針、活動が本当に党員大衆の支持を受けるようになれば、多くの党員がふたたび活動に参加するようになるし、人々からの協力も必ず広がってきます。
 党幹部が地方遊説に来たときでも、地方党機関は、安全でできるだけ庶民が普通宿泊する宿舎を用意すればよいのであって、大企業経営者や保守政治家が泊まるような高級なホテルを用意する必要はありません。党の議員や幹部が「思い上がる」ようなことがないような配慮を常にしておかなければなりません。
 第二に、下からの批判を可能にすることが不可欠です。また幹部はこれを積極的に受けとめるような政治的品性をもたなければなりません。たとえば、市川氏の問題が起きたとき、私がここまで書いてきたようなことが常任幹部会で問題になっていれば、今回の筆坂氏の問題はあるいは起きなかったのではないか、と思います。
 今回の筆坂問題での常任幹部会の「セクハラ問題とわが党のとった措置について」において貫かれている立場は、「筆坂氏は悪かったが、党中央がとった措置は正しい」というものであります。しばらくは党幹部が同種の問題を起こすことはないでしょうが、彼らが「大変に腐敗しやすい条件におかれている」という認識が決定的に欠落しています。
 結局のところ、「筆坂氏個人の問題に帰着させて終わり」ということになりそうですが、私がここまで書いてきたことを、中央幹部が真面目に検討してくれれば決してそうではないことがわかってもらえると思います。
 現在の中央幹部はほとんどが、ひたすら「上司に気に入られるべく精進してきた」人たちばかりです。ときおりしんぶん「赤旗」に載る中央委員会総会での歯の浮くようなゴマすり発言を見れば彼らの資質がよくわかります。
 新日和見主義事件のころ、大阪と愛知の民青同盟の幹部がスパイだったことがわかりましたが、彼らこそもっとも党中央に忠実で、新日和見主義として不当にも断罪された人たちを攻撃する急先鋒でした。民衆の利益を守る闘いに無関心で、ひたすら下部に拡大、選挙運動などを強いることにおいてのみ「功績」をあげれば、幹部として採用されていくような幹部政策のもとでは容易に公安の手先が党の中枢部分に入り込むことができます。私はくだんのスパイになり果てた民青同盟幹部を知っていた党員から話を聞いたことがありますが、横柄で鼻持ちならない人物で、買春をするような人物であったとのことです。さらに悲劇的なことはこの人物を地方党機関幹部が高く評価していたとのことです。地方党機関幹部が彼らの指導をうけていた民青同盟員か ら話を聞けば、彼らがうさんくさい人物であったことを見抜くことはそれほど難しいことではなかったと思うのですが。
 一般党員や下級機関の党員が幹部を批判することは大変勇気のいることですが、私たちは批判すべきときには積極的に批判することが重要です。そして、党幹部は謙虚にこれに耳を傾けるべきです。より基本的には、伝統的な民主集中制を抜本的に改善し、本当の「党内民主主義」を確立することが重要ですが、党中央幹部は下からの批判や意見、要望に敏感に反応していくぐらいのことは今すぐにでもできることです。
 またインターネットでもいとも簡単に中央批判の一部分を見ることができます。党中央は、いつまでも「この『さざ波通信』なるものは、『現役の日本共産党員によって運営』されていると称していますが、その実態は、日本共産党に敵対する立場に立つものです」などという見解を出しておかないで、この見解を自己批判、撤回して、さざ波通信など不必要になるほど党内討論が民主的に行われるように、私は要望します。

 長壁さんの投稿によれば、評論家・佐高信さんは「政府自民党を追及する立場の共産党には、特に身を律する厳しさが求められ、許されるべきことではない・・が、ダーティなタカ派がとがめを受けず、セクハラなハトだけ転落するのは、腑に落ちない」 とコメントしておられるとのこと。よくここまで冷静なコメントをしてくれたと思いますが、佐高さんは、私が先に書いたような党幹部を「党畜」と呼んだ人でもあります。
 今日でもまだ日本共産党は自民党政治に対するもっとも批判的な精神を残している政党です。筆坂問題を理由に自民党政治に対する攻撃の矛先をいささかでも鈍らせるべきではありません。どうか党中央において、先に述べた私見を検討されて、党幹部が姿勢を正して抜本的な党幹部の腐敗防止策(女性問題は広義の腐敗に含まれる事象ですから)に着手されるように希望します。そうでなければ形を変えた腐敗がそれほど遠くない将来ふたたび露見するのではないかと危惧します。

 以上が私の言いたいことですが、2、3蛇足をつけ加えます。
① 市川氏の処分(除名)に比べて筆坂氏の処分(機関罷免と議員辞職)は均衡が取れません。市川氏の処分が重すぎるというべきか、筆坂氏の処分が軽すぎるというべきかわかりませんが、いずれにしてもことがらとしてはセクハラの方が悪質であると思います。
② 筆坂氏の処分はやむを得ないでしょう。某国の前大統領がやったことは「ポルノ小説まがいに詳細なレポート」で発表されていますし、夫人の手記も発表されていますが、私は「レポート」をみたとき、この大統領の辞任は必至だと思いました。ところが、この国の「民主主義」は何と寛容なことか、彼は任期一杯勤め上げ、大統領経験者に与えられる特典も立派に受けています。こんな寛容さを見習う必要はないでしょう。筆坂問題を報じるニュースを見たある女性党員が「共産党でもみんな男はそうなんだ」という感想を漏らしていました。
③ 「女性差別を糾弾する国会質問をした他ならぬ筆坂氏」によるセクハラです。女性差別、男尊女卑の問題は、政治的な見解と必ずしも連動しているものではありません。男性の側の自省と女性の側からの闘いが必要だと思います。まともな家事ができない夫としての自省の念を込めて。
 女性幹部の数が少ないことと筆坂問題とは直接的な関連はないでしょう。日本の政党の中では女性幹部の数も議員の数も多い方なのですが、国会議員になって、見違えるようにきらびやかに着飾った人も見かけます。筆坂問題は、女性問題でもあるし、性がからむ問題でもありますが、より根源的には、私は幹部の腐敗現象と思っています。特権階級の仲間入りをするがごとき女性議員に対して、私は批判的な見解をもっています。日本共産党の議員や幹部は、女性であれ男性であれ、党の支持層の人々と隔たったところへ行ってはいけないのですから。

グスコーブドリさんへ
 共感の投稿をいただきましてありがとうございました。なつかしいですね。お元気でしたか。なぜか、長壁さんの投稿を見るといつもあなたを思い出します。たぶんあなたと同じ年頃で現・旧の女性党員で、「日本共産党よ、もっとしっかりしなさい」という声が聞こえてきそうな人たちということだけがその理由なのでしょうが。またまた綱領改定の時期がやってきました。ときどきは投稿をしてください。いつまでも同志なのですから。

長壁さんへ
 「輝くいのちの萌芽」を読みましたが、詩としてははるかに「テロの種」のほうが素晴らしい。圧倒的にインパクトが違います。どういうことかというと、巷間、イスラエルやアメリカの正規軍による無差別攻撃はテロとはいわないのに、イラクやパレスチナ民衆の手づくり攻撃はテロという否定的価値観をもった表現をします。テロリズムの語源からひとりだちした便利な「テロ」ということばが闊歩しているときに、その不条理を理屈で展開しようとしないで、ひるまず直接感性に訴えかけたところに「テロの種」のすごさがあります。詩でも絵画でも音楽でも、創作者の感性と受け手の側の感性とが一致しないことは世の常です。不愉快な思いをされた人もいるでしょうし、私のようにたいへん気にいった人もいるでしょう。
 私が長壁さんと同じ趣旨のことを書こうとすれば、できるだけほかからの批判を受けないように気遣いながら書いたことでしょう。そういうものは、批判を受けることはないかもしれないけれども、人を感動させることもなければ、人の魂に迫ることもありません。
 さざ波通信の投稿で「感情的だ」とか、「中傷」だとか、とする批判がありますが、私はそうは思いません。また、「多様な価値観を認めるべきだ」というものもありましたが、もしこれが、イラクへのアメリカの攻撃を糾弾するあなたに対して、イラク攻撃を正当だとする価値観を認めよというものであったとすれば、これはまったく奇妙な話です。アメリカのイラク攻撃を糾弾することとこれを正当化することの間に、論理的には中間的な立場はありません。それこそよけいなお世話です。誰を批判しようが、擁護しようがそれが「思想の自由」ということであり、議論を闘わせることもまた「思想の自由」です。ここの表現が多少トーンが高かったり低かったりすることは、議論の本質に影響するものではありません。某総理大臣が公約違反を問われて「そんなことは大した問題じゃない」と口を滑らせて非難を浴びたことがありましたが、もし、そのせりふを使うとすれば、こういうときにこそ「そんなことは大した問題じゃない」と言うべきでしょう。
 私はときに長壁さんと意見が違うところもあります。特に北朝鮮の問題ですが、「拉致被害者をいちど北朝鮮に戻せ」という見解には賛成できません。戻るか戻らないかについては当事者のみが決定すべき問題であり、これを尊重すべきことは明らかでしょう。第三者による「戻すべきでない」という見解についても同じことで、この水準で論争すれば、拉致被害者の身柄が日朝両国の取り引き材料になるし、政争の具になってしまいます。また、北朝鮮の金正日政権を擁護したり、弁護したりする必要はありません。それは「過去に日本が行った朝鮮侵略に対する謝罪、贖罪や在日朝鮮(韓国)人の人たちに対するテロリズムに近いような仕打ちに対する批判がもっとも有効性を持つためにも」です。北朝鮮貨物船に対する異常なまでのいやがらせなどにつ いては、たとえ私や長壁さんが少数派であったとしてもこれに異議を唱えることは当然です。また、これについては機会があれば投稿します。

東さんへ
 パレスチナ問題に関する投稿を読ませていただています。私も含めて日本人のパレスチナ問題やイスラームに関する知識は大変に貧弱です。中には「『無知』は、イスラム教を元にした価値観を作りだし、……」などと、あたかもイラクの民衆が無知であるかのように読みとれるような、さざ波通信の投稿規定「事実の歪曲が明白なもの、差別表現の著しいもの、侵略戦争を正当化したり被害者を冒涜するもの」に抵触するのではないかと思われるほどの投稿もあります。私は投稿者の良識を疑います。ちょっと調べれば、イスラームが他の宗教に対して大変に寛容であったこと、キリスト教のように宣教師などがいないこと、ジハードというものが別に戦争を意味しているのではないということ、などはわかりそうなものです。また、ことの本質からすれば、イスラームがあるから、イラク戦争やパレスチナ問題が起きたわけではなく、そもそもそこに「紛争」が起こるべく客観的な背景があり、そこで闘う民衆がイスラームを旗印とし、闘いの思想としてよりどころにしているということだと私は思います。ものごとを逆立ちしてとらえると直しようがない例なのかもしれません。
 東さんが、どのようなことからパレスチナ問題に造詣を深められたか存じませんが、今後もパレスチナの民衆の立場を紹介してください。