テロ行為を擁護しているか否か、それは、その人の受け取り方でいいとおもいます。現実の悲惨をどれだけ、自分のこととして、感じ取れるか否かの差でもあるとおもいます。
もし、仮に、パレスチナの自爆テロを擁護することに違和ををもたれるなら、わたしは、その何倍もの桁違いのテロリストとテロ国家を黙認し、擁護している、日本をはじめとするアメリカ、イスラエルの国ぐにと、国民におおきなおおきな違和感と不信があります。
一応、異議申し立ての「誤った」発露として、同意をしていただけることには、ありがたいとおもいますが、あやまっているとか、正しいとか、そうした分析を、今の私は、したくないのです。いえ、するべきでない。
日本の安全圏にいて、爆弾など、落ちてこない平和な日本にいて、しかも、イラクをパレスチナを殺る側の国の人間が、ああだこうだと論評できるのでしょうか。
私たちは、自分の手を意識せず、実際に何人かのイラク人を、アフガン人を殺しているのではないのでしょうか。イージス艦を派遣し、クラスター爆弾を148億ドルで購入し、今また、戦場地イラクに人殺しにいこうとしています。
同じテロリストとよぶとして、イスラエルあるいはブッシュのテロ行為に比して、パレスチナの自爆テロを確実に擁護できる点があるとするなら、彼等彼女らは、自分のたった一つしかない命をかけるのです。マウスでゲーム感覚でのテロ行為でなく、巨大兵器に向う最後の意思表明なのです。
そこまでおいやっているのは、一体だれでしょうか。
明らかに、理不尽な暴力に一方的にさらされているパレスチナの人々を、絶望に追いやっているのは、誰でしょうか。
パレスチナのひとびとは、座して死を待つ代わりに、自分の身で表現して死んでいくのです。炸裂する身の叫びを私達は、きくべきではないでしょうか。
私たちは、あの9・11によって、アフガニスタンの悲惨をまなび、世界の理不尽を知り、米国の、イスラエルの暴虐の真実を会得しました。
自分の身をかけてまでの口惜しさ、憎悪、尊厳を、わたしたちは、理解してあげることこそが、反戦になるとおもいます。私の原点は、まさに、彼等彼女たちへの共感です。
日本では、犯罪の最高刑は死刑です。命で償うという言葉もあります。なのに、どうして、自爆の反撃といえる行為を理解しようと、しない人がおおいのでしょうか。
テロはいかなる場合でもだめーーと共産党はスタートしました。私は、そこのところをかえないかぎり、ブッシュの土台にのっているものであると、批判してきました。
テロ行為も、その動機、状況など、一列に論じられるものではありません。そうした根源が無視されている世論の隙をねらって、米国、イスラエルは、やりたい放題の蛮行をやっているのです。アフガン、イラク、つぎはイランですか。北朝鮮ですか。
私は、みなさんが、本質、根源に目を向けられることを切望します。できれば、広河隆一さんたちの取材報道をご覧いただきたいとおもいます。
また、イラク戦争討論欄で、なんども、なんども、このけんは述べていますので、どうか、時間がありましたら、のぞいてみてください。
最後に、端的な疑問よせていただき、ありがたいです。こんなかたちで、ぶっきらぼうな返答しかできないですが、また、気づかれたことがあれば、どうぞ、ご指摘ください。