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党員用討論欄

英国版、小林多喜二におもう

2003/7/21 長壁 満子、40代、金融

 イラクの大量破壊兵器疑惑の告発に関与したケリー博士が、遺体でみつかった。不思議なのは、インターネットで昼前だったか、みかけ、その後、夕方?には、削除されていたということ。断定はしていなかったものの、何者かに殺された意味あいが強く、ことの成り行きからして、当然、弾圧からの殺戮であろう。そして、私の疑念通り、一夜明けた今日、「自殺」と報じている。もし自殺なら、当然、遺書があるはず。最初の林のなかで、本人と確認できかねないような報道の仕方はおかしい。
 小林多喜二も、当初、「心臓死」とかなんとか、あるいは、小林の死は、長いこと真実が隠蔽されてきた。
 ともかく、今回イラク戦争の欺瞞をついた、ケリー氏の「暗殺」で、戦争の本質が、いよいよ明らかになりつつある。イラク戦最中のときも、あちこちで、ほころびるプロパガンダ。その真実を追究するアルジャジーラ、ロイター記者を殺したのは、米軍であった。
 まだまだ、隠蔽されている多量の情報があるとおもわれるが、こうした、尊い犠牲、真の勇気ある告発者・歴史の証言者をだしながらでも、少しずつ、人間は、進歩していると確信する。
 それにしても、日本人は、なんという「平和人」であることか。私は、つくづく、あきれはてている。今年、一月から、私なりの言葉で、精一杯、稚拙な知識と意見をぶつけてきたつもりだが。
 時折いく集会でも、この期に及んで、いかにも、弱い、甘い。本質をきっちりつかんでいれば、視点があれば、思考も言説もシャープになるだろうし、スローガンも、砂糖菓子でなく、小粒でもピリリと辛いサンショになるのではないか。
 そうはいっても、赤旗も、朝日も、毎日も、少しマシになってきていると、感じられる(世界の世論の影響か)。
 特に、朝日は「金曜日」で、「朝日を切り捨てるのは、ちょっと待て」と言及した本多立太郎氏。金曜日読者の鋭い朝日批判の投稿に「ならば、朝日の代わりに読売か」と指摘されている。
 こどもの投書掲載を機に、朝日読者からのこころ温まるお便りをいただき、学年便りにも取り上げていただき、学校内で、地域で、「命の大切さ、世界中でおこっている殺戮・戦争」を、語れるきっかけにもなっていることを考えると、やはり、わたしは、朝日の器の大きさを素直に認めたいとおもう。  党員用で「特にありません」さんから、私の意見に同意していただいた旨の投稿をいただきました。
 ただ、最後の「マスコミの第一線で活躍している人がいくら正論をかいても、表にでるときは・・・基本的には{体制擁護}になってしまいます」「あまり、マスコミには期待しないほうがいいとおもいます」は、どうでしょうか。
 こうして、今ある体制、組織を仕方がないと受け入れることこそが、戦争への道ではなかったでしょうか。体制擁護、国策追随、国益支援これら権力に唯々諾々と従うことが、戦争直結であったことは、歴史がおしえています。
 私が、いつも「ゆで蛙症候群」とよんでいる一般人はともかく、卑しくも、ジャーナリズムというからには、権力の監視、批判、反戦、弱者の視点にたつべきではないでしょうか。平時ならいざ知らず、戦況がますます、深刻になっているとき〈リベリアなども)、体制の枠内に絡め取られている限りのおいて、体制を率先してリードしている戦争推進派と、なんら、かわらないことになります。
 私の知るジャーナリストは、左遷、減給の憂き目にあいながら、筆をまげません。また、自分の信念をつらぬいて、教職を奪われている教師もいます。反動的な体制に抗うことは、何時の時代でも、生活と命がけです。
 こうした信念が、やがては、「岩をも穿つ」のではないかと、読者の立場から、私は、発言しています。
 戦争で真っ先にしぬのは、真実です。真実を発表するのは、ジャーナリズムですよ。
 今や、大きな大きな、歴史の曲がり角にきているのです。一生懸命や真面目や、誠実はもちろん、たいせつですが、問題は、その中身、姿勢です。
 社民党の危機か、とマスコミは、さわぎたてますが、明らかに、権力側の意図が見え見えの今回の逮捕に、付和雷同あるいは、突き放して、自らをまもるとしたら、それは、天につばするに等しいとおもいます。
 一連の策動の中身を、しっかりと、見抜き、防衛する必要があるとおもいます。攻勢的な防衛です。
 今までの、その体験のわりには、身についていない共産党の守りの弱さ、負け犬のごときの釈明(反共攻撃に対しても)、硬直した考えなど、私は、もどかしくて、もどかしくて仕方がないのです。そこら辺を、叱咤激励しているつもりなのですが。

 新谷さんへ。
 いつか、支部会議の件での投稿へのご理解、ありがとうございます。私が一番若いというわけではないのですが、真ん中がいなくて、年齢層がかたよっています。7,80代と、4,50代が中心。いえ、ほんとは年齢ではないのです。年齢の高齢化ではなくて、中身の高齢化現象が問題なのです。
 7,80代のかたには、その貴重な戦争体験を通じて、今このとき、大活躍してもらいたいと、おもっていました。後援会便りにも、戦時の体験など、ちらほらあり、わたしは、注目しておりました。
 この度のアフガン攻撃然り、イラク戦然り、米国の帝国主義ぶり然り、北朝鮮問題然り・・・鋭い証言、言説を期待していました。
 ですが、今か今かと、まちながら、いつになっても・・
 昨年、それまでの、何回となく、不快な反応にトドメをさしたのが、北朝鮮問題と、この地を飛び交うヘリ、軍用機の件でした。
 北朝鮮バッシングのさなか、私の憂いをなんと、検証するでなく、意見するでなく(ここさざ波のように)、北朝鮮批判そのままに、垂れ流し井戸端会議なのです。当時の断片を思い出のごとく、語るのみ。左右どちらでもいいのです。自分の頭で、その体験と今をつなげて、また、党の姿勢とをからめて、7,80代の方の意見をしりたいのです。
 党員でしょうという、期待もあったことで、余計、ゆるせなかったのですが、こうした「他力的思考方法」が続くかぎり、「テロも戦争も」のポスターの矛盾もわかりません。
 ヘリ、軍用機の飛び交う爆音に関しては、3回、共産党区議会にファックスしてもなしのつぶて。
 共産党という組織の在り様が、実に、多くの問題をかかえていることが、確認できたこの間でした。
 新谷さんのおっしゃるように、平澤勝栄や公明党に太刀打ちすべき、気概もありません。
 ただ、党中央は、やはり、揺れ動いているのでは、とおもいます。真摯な意見を聞く耳は、もっているとおもいます。その証拠に、筆坂さんの件ではパニクり、さざ波通信批判は削除、そして、こんな、言いたい放題の私に、未だ、除名がかかりません。党への意見には、返事がきます。
 結論として、党には、めげずに、真摯な意見をぶつけていくことは、大事だとおもいます。