さざ波通信の「『日本共産党の80年』の批判的検討」を一読させていただきました。詳細に読み込んではいませんが、批判の論点として、「70年史ではxxだったのに、80年史では○○に改ざんされている。」、「あるいは黙殺さえれている。」いうような論旨が目につきました。
種々の変更点について十分な説明がないという批判はあると思いますが、科学的社会主義の立場にたって系統的に批判する以上、それらの変化が認識の発展であるのか、それとも変質でるのかを論証するべきでしょう。過去の言動にとらわれすぎると教条主義・形而上学になりますし、現象形態の変化に迎合すれば変質になります。
さざ波が批判のための批判にならないためにも、弁証法の視点をもって論評することを願うものです。