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党員用討論欄

長壁さんへ

2003/10/17 SEND、30代、労働者

お返事に感謝します。

「共産党の主張と銘打って意見をのべましたか。私は一個人として、一人間として、 一庶民として、共産党を批判し、あるいは擁護し、日本をよりよい国にしたいと意見 をのべています。」

私はあなたが、「共産党の主張と銘打って意見を述べている」とは指摘していませ ん。「あなたの主張=共産党の主張と誤解する方がいます。党の主張でないことにつ いては、「自身の主張」とあらかじめ断っていただきたい。」と指摘しました。あな たの認識とは別に、読み手の中には「党の主張」と捉える人がいるのです。ともあれ、 長壁さんのスタンスが明確に示されましたので、今後は、「党の主張として読み手に 認識されないように注意して」主張されるよう要請します。

 長壁さんは、「あなたの今回の私への苦言、それこそが自由な個人の意見を排除し ようとするものだと思います。それこそ党員の資格以前の問題でしょう。」と指摘さ れていますが、私の投稿では、「「自身の主張」とあらかじめ断っていただきたい。」 と要望しているのみです。党外での意見の表明のあり方云々がありますが、私自身も こうして書き込んでいる通り、自身の意見を表明することについては、何ら違和感は 覚えません。誤解なされぬよう願います。

 北朝鮮問題については、「国交正常化交渉の再開のためのあらゆる努力を」が私の 主張です。「しくまれた北朝鮮バッシング」についてはほぼ同様の危機感をもってい ます。しかし、バッシングへの反論として、北朝鮮の「現実」を結果的に擁護するパ ラドックスに陥っていないかと、あなたの投稿文を見て感じるのです。例えば、「国 民の総意をまとめるのに、「天皇の赤子となってーー」と、狂気した日本国民とよく 似ていると批判してみても、それは、天につばする行為です。」と主張することで、 そう言う批判はするな、と暗に述べたりしていないでしょうか。しかし、あの国家体 制を「「天皇の赤子となってーー」と、狂気した日本国民とよく似ていると批判」す る指摘は、それはそれで正しいと私は判断します。「為にする批判」を行う連中は別 として、多数の国民が率直にそう思うことは民主主義がこの国に根付いてきた到達点 だと思うのです。
 長壁さんはあの国家体制を民主的と評価されますか。
 しかし同時に、そういった主張を無条件で認めるのではなく内政不干渉の原則によっ て、それらの主張を正確に整理する必要はあると考えます。また、そういう「評価」 を交渉再開の前提にしないことも重要です。(現在、内政不干渉の原則がおざなりに されています。仮にその国が「王制」であれ「軍事政権」であれ、その国の問題はそ の国の国民の力で解決されるべきことという原則は重要と考えます。その点で、イラ ク戦争は他国の政権打倒を目標にした侵略行為であるると考えます。)

「「人の痛み」云々、そんなあなたに言われる筋合いはありません。私の今までの2 50点の原稿をよんでからいってください。」

 すべては見ていません。申し訳ありません。
 ネットワークは、文字・文章表現がすべてです。もしも、オフラインの世界で長壁 さんの「人となり」を知っているのであれば、許容できることも多々あろうかと思い ます。長壁さん宛の私の突然の「である」調の書き込みを見てどう思われましたか。
 また私のあなたに対する「評価の断定」にどう思われましたか。

 学生時代、核兵器廃絶の議論を友人としたときに「それは帝国主義者と同じ考えだ」 と友人に言ったことがありました。友人は「おまえのがんばっているのはそれはそれ としていいことだと思う。賛同もできる。でも、その一言はないだろ。」と言われた つらい経験があります。彼を傷つけました。私は友人を「諭す相手」と考えていたの かもしれません。
 釈迦に念仏ですね。党活動も私より随分と長いでしょう。
 ですが、何か感じていただけたらと思います。

「最後に、あなたは、軍国日本への変身を前にして、共産党員として、どれだけ抗っ ているのですか。まさか、私が指摘する「ゆで蛙症候群」をわずらってはいないでしょ うね。」

 相手を「ゆで蛙症候群」規定したところで、何か生産的な議論が展開されるののか 疑問ですが、人間へのラベル付け規定をするのが好きな方と判断していいでしょうか。 私自身民青時代は「自戒の念」を込めて「ゆでがえるになるな」と使っていましたが、 あなたにとっては相手を卑下するための言葉なのでしょうか。誤解でしたらご指摘く ださい。  活動は一つの県に近い面積を十数名で相手にしています。配りきれないビラが、事 務所につまれたりすることもあります。
 できることからと、今は、隔週でスーパーの前で宣伝・署名行動をすることが精一 杯の者です。「軍国日本への変身」を感じつつも、国民の中にある民主主義への息づ かいもまた、信頼している「ゆでがえる」です。

 長々と書きましたが、「私は一個人として、一人間として、一庶民として、共産党 を批判し、あるいは擁護し、日本をよりよい国にしたいと意見をのべています。」 「共産党のことなど何一つわからないまま、一日本として疑問に思うことをつたない 言葉でつらねています。」とする明快なお答えに感謝します。