ご返事ありがとうございます。先に、長壁さんのお返事に対するレスを書きましたので、そちらも読んでいただけたらと思います。
「 長壁さんのようなお方は党の内外に山ほどいるのですよ。「党中央の呼びかけに感動を持って発言します」風の優等生党員ばかりではないのです。」
承知しています。その方がよいと思います。中央が絶対だと言う書き込みはしていません。そのよう受け止められる書き込みであったとすれば,そのような意図ではないことを確認させてください。党中央の見解と異なる主張をしているから「訴願」ではありません。
「まして党外にはエキセントリックでアブナイ人たちも少なくないのです。党はそういう人たちを避けて活動していると、ますます世界が小さくなっていく。」
同感です。だからこそ、議論に置いては、相手の立場を汲んだり、ときには共感できる部分を探し出す努力も必要なのではないでしょうか。打ち負かされて「目が覚めた」となるとそれはそれでいいです。しかし、打ち負かされて「憎さ倍増」となってしまうような議論は避けたいものです。どのような相手であれ相手の人格を否定したり、卑下したり、レッテル張りするようなことをしては何も生まないのではないでしょうか。そこに憤りを感じるのです。特定の相手と論争しても、主張を伝える相手はその他大勢のギャラリーだと思います。ギャラリーが「なるほど」と納得できるかどうか、そこを意識しない主張の行く末は「ますます世界が小さくなる」と。
「その辺は自民党に学ぶ必要があると思います。もし「人間学」という学問分野があるなら共産党は落第ですな(笑)」
今の自民党に学ぶものは何なのでしょうか、わかりません。よければお教えください。私は「日本共産党への手紙」の中で住井すえさんが指摘したこと、そこに党中央が謙虚に耳を傾けることができるのであれば、まだ落第はしないと、考えています。
「これを克服しないと政権は取れない。まして「未来社会論」などはとてもとても語れない。←これは中央の幹部に言いたいのですが。」
共産党への批判の質・内容も昔のように単純ではないです。そこには、一定、党自身(党員自身)が立ち止まって考えるべき指摘も含まれているかもしれません。
ありがとうございました。