投稿する トップページ ヘルプ

党員用討論欄

KMさんへ、私の党員生活を回想して

2003/12/20 飯田和夫、20代、勤労者兼学生

 ご無沙汰しています。私は自分の党員生活を回想してしたためます。私は総選挙の投票日に離党しました。私は離党を考えたのは去年の9月です。不破氏の「北京の五日間」に物凄い嫌悪感を感じてからです。そして、今回の地方選、とくに都知事選の候補者の事を見て決めました。「この組織と自決はしたくない」「一蓮托生は嫌」ということです。
 私は「アリバイ党員」です。党費を払い、月に一回の会議に出席、そしてビラ折りです。学校では学業最優先で柔道同好会、そして恋愛にと実に「模範学生」でした。「熱心な共産党学生」からすれば、僕は「堕落した党員」でしょう。学校内でビラを配ったこともありません。それに、僕の学校では「学内での集会禁止」が規則です。昔の「xx全共闘」で有名になった「日本最大のマンモス校」です。私は学友との交友を重視しました。私の友人は実に保守的で「大東亜戦争」の用語を用いていますが、僕にはかけがえの無い友人です。
 私の支部で私が最年少でした。私の支部は60年安保入党の方が代表です。専従はいません。私の支部では市議が赤旗を配っています。大部分の読者は日曜版です。
 選挙の時、候補者は僕の予備校時代の民青役員の方でした。落選するのに「人身御供」です。選挙活動は大部分の党員は結果を認識していました。でも、ヤケクソの捨て鉢ではありません。いかにして比例表を増やすかに力を入れていました。一言も不満を言わず、党の決定に従っていました。僕は「君は無理をしないで、学校を第一にしなさい」といわれました。離党は一ヶ月前に伝えていましたが、「君の考えは無条件で認める」でした。
 選挙の開票日、党員の方々は「天命を待つ」の考えで、周章狼狽せず、荒れず、穏やかに見ていました。
 僕は離党しましたが、党員の方々とは「よき隣人」です。

 まだ書きたいので、次にも投稿します。

KMさまへ、