昨年7月の参院選で日本共産党が躍進した翌日、職場の支持者から「やっぱり現実主義のお陰だね。」と声を掛けられた。その後「しんぶん赤旗」のコラムに、これと似たやりとりが載っていて、原則的に「綱領路線通り」なのだと支持者に反論してみるも、「まあまあ」となだめられるという内容であった。何はともあれ躍進して「まんざらでもない」、というのが多くの党員の胸中ではないだろうか。
近年の共産党の「上げ潮」の中で、以前のように正論を守って孤立するより、柔軟な対応で「現実政治」を動かすべきではないかという天秤勘定が党員の心に芽生えているようだ。これが「安保凍結」のように一方的な方針を提起されても黙っていられる土壌にもなっている。社会主義日本への理想をおぼろげに持っている古参党員でさえ、得票が増えているなら多少のことは目をつむる用意があるのだ。
しかしこの天秤勘定は正しいのだろうか。土俵内に右足左足と踏み込む共産党には確かに「好意的」に電波を流され、「好印象」の記事も書かれる。しかしちょっとでも枠をはみ出したら久米宏よろしくたちまちバッシングを受けるだろう。ところてんのようにすべての勢力が右シフトするなかで、日本共産党は社会民主主義政党の政策を打ち出し、JIS 「安全印」の認証を得ることで、多少のご褒美をもらおうとしているに過ぎないのだ。
何か大切なことを忘れてはいないだろうか。いま私たちは、ダイオキシンと学級崩壊、リストラと倒産に取り囲まれて生活している。しかし党員の自主的な判断と努力にまかされっぱなしの運動分野がたくさんある。支部会議をしていない大衆団体幹部が必死で組織を守ってたたかっている。党方針がないから会議も総括もいらない。それでもまだいいほうでもっぱら「市民グループ」に前衛を委託してノータッチの分野もある。また、同じような経済階層にありながらまるで「階級の敵」同士のように運動が分断され続けているところもある。さらには党員自身も足かせになっている分野もあるだろう。必要以上の乗り物で窒素酸化物をまき散らしたり、ヘビースモーカーとして他者の健康を蝕んだりはしていないか。
この無数の大衆運動放置地帯の交通整理をすることなしに「現実主義」で前進しようというのは、ゼネコン行政にメスをいれずに小手先の景気対策で日本経済を立て直そうとするのとなんら変わらない。
私たち一般党員が大衆的前衛党の党員としての誇りを思い返して、各層各分野で具体的に「二つの敵」と闘うことを前提に、まともな舵取りを党中央が行うよう下から突き上げていくことが、真に我々が政権を担う勢力となるためのハードルであり必須課題といえるのではないだろうか。