先日、わが家に、共産党の市会議員候補者から電話があった。××市(私の住んでいる市)にはすでに四人の共産党議員がいるが、今度の一斉地方選挙で5人目として立候補したので、ぜひ支持してほしいとのことだった。いつもなら、「はいはい。間違いなく入れますから」と愛想よく返事して終わりのところを、今回は、例の日の丸・君が代の法制化問題について聞いてみた。
「一つ聞いていいですか?」
「はいはい、どうぞ」
「最近、政府自民党が日の丸・君が代を法制化するって言ってきましたよね。あれは、国旗・国歌の法制化を容認するという共産党の新見解が一つのきっかけになってるんじゃないですか?」
「いや、新見解といっても、そんなに新しいことを言ったんじゃなく、これまでも日の丸・君が代には法的根拠がないとは言ってきていたんですよ」。
「いや、それはそうですよ。私も日の丸・君が代には法的根拠がないって言ってましたよ。でも、それは、だから法制化するべきだという議論じゃなかったはずでしょう。国旗・国歌を法制化するのがいいんだという主張は、今回が初めてでしょう」。
「ええ、それはたしかにそうですが、今までのように、国民的議論もなしに日の丸・君が代を押しつけていたのが問題なんですよ。国旗・国歌を法律で決めるというのは世界の常識でして、それをやらずに教育現場に押しつけるというのをやめようということなんです」。
それから、この候補者は、『しんぶん赤旗』に書かれているような議論を展開したが、その感想をいくつか。
まず、共産党の新見解については、批判への反論も含めて、それなりに浸透しているようだった。ただ、具体的にどの点を強調して説明するかは党員によって多少の相違があり、その人がいったいどこで納得しようとしているかが、その強調点からうかがえる。この候補者の場合は、「国民的議論が必要」ということと、「教育現場への押しつけをやめようというのがあの新見解の中心点」ということをやけに強調していた。
どちらの説明もどうかと思うが、この人の納得の仕方がよくわかる。「国民的議論」について言えば、この候補者は、むしろ法制化という動きが政府自民党の側から出ることで国民的議論を喚起できるからいいんだ、というニュアンスで語っていた。こんな論法がもし可能なら、次のように言うこともできる。自衛隊に憲法上の根拠がないのに、国民的議論もなしに自衛隊を増強してきたのが問題だから、憲法を変えることが筋だ、その方が国民的議論ができてよい云々、と(筋の通った右派の主張)。たしかに、もし憲法改正が国会で提起されたら壮大な国民的議論が巻き起こるだろうが、だからといって、憲法改正を事実上容認するような主張を革新政党の側がしていいということにはならない。
「教育現場への押しつけに反対」に関しては、むしろ法制化されることでいっそう押しつけが容易になるし、抵抗が困難になるのではないか、と主張したが、この点はどうもあまり話が噛み合わなかった。
以上の点を含めて、実はもっとつっこんだ議論をしたかったのだが、この電話は、私がアルバイトに行く直前にかかってきたので、途中でやめた。非常に若そうな声のこの候補者は最後に、「こういう形でいろいろ意見を聞かせてもらったり、議論をすることはとてもいいことです。あなたの意見は(中央に)伝えておきます」と、基本的に最後まで丁寧な対応だった。しかし、電話を切ったあと、いちばん最初に聞いたはずのこの候補者の名前はすっかり忘れてしまった。えーと、誰だったっけ?