*この手紙は実際に井上ひさしさん宛てに送ったものです。
井上ひさしさん、はじめまして。私は十年来の日本共産党員です。18歳で入党して以来、この十数年間、紆余曲折を経ながらも党員として活動してまいりました。その間、無我夢中で活動していたころもあれば、多くの疑問を抱いて悩みながら活動していたころもあります。しかしながら、疑問をおぼえつつも、現在の政治状況の中では、共産党の獲得した陣地を守り発展させることがきわめて重要であると考え、党をやめることなく現在も党員として活動しております。
今回、井上ひさしさんに手紙を書いたのは、井上さんが、わが党の不破委員長といっしょに『新日本共産党宣言』(光文社)をお書きになり、また、4月2日付『しんぶん赤旗』に登場して、今回の本について語ってらっしゃるのを読んだからです。
こういう一方的な形で手紙を出すのは失礼にあたるかとは思いましたが、他に手段が思いつかなかったので、失礼をかえりみず、こういう形で手紙を出させていただきました。
井上さんは、『しんぶん赤旗』でのインタビューの中で、「一番大事なのは間違いをおかしたら、間違いをはっきり確認して、じゃあ間違いだからこう正すということがすぐできるかどうかなんですね。不破さんはとても柔軟でした。その辺の印象はずいぶんと違いました」と述べておられます。一番重要なのは、間違わないことではなくて、間違ってもそれをすぐにそれを認めて正す勇気があるかどうかだというご指摘は、まったく同感です。しかし、その点で不破委員長に合格点を出せるでしょうか。
すでにご存知だと思いますが、共産党は今年の2月に、「日の丸・君が代」には反対だが、国旗・国歌の法制化には賛成であり、この問題の解決には何よりも国旗・国歌の法的根拠を定めることが重要であるという「新見解」を出しました。この新見解それ自体、党内でのいかなる民主主義的な討論もなしに一方的に雑誌への回答として発表されたものです。われわれ党員は、それが発表されるまでまったくその内容について知りませんでした。井上さんは同じインタビューの中で「現場の声に耳を傾ける」ことが重要だとおっしゃっていますが、党指導部は今回、われわれの声にはまるで耳を傾けることなく、一方的にどこかで決定し、マスコミに一方的に発表したのです。
そして、このとき、不破委員長をはじめとするわが党の幹部は、政府自民党が「日の丸・君が代」の法制化を持ち出してこないだろうとふんでいました。しかし、この判断が誤りであることがすぐさま明らかになりました。3月2日に政府自民党は、広島で校長が自殺した事件を契機に、「日の丸・君が代」の法制化を持ち出してきたのです。政府自民党によるこうした動きの背景の一つに共産党の新見解があることは、自民党の議員自身が証言していることですし、マスコミも報道している通りです。つまり、不破委員長をはじめとする党幹部の状況判断に明らかに「間違い」があったのです。彼らは、この間違いを「はっきり確認」したでしょうか、そしてその間違いを「すぐさま」正したでしょうか? どちらもしませんでした。彼らは自分たちの状況判断に誤りがあったことを認めないどころか、陰に陽に、あたかも今回の自民党の動きが計算ずみであるかのように開き直るとともに、あいかわらず、国旗・国歌の法制化こそが解決策だという「間違い」に固執しています。
また、井上さんは、『新日本共産党宣言』の中で、「下級機関の、あるいは現場で活動する党員の少数意見を上部までどう吸い上げるおつもりなのか、そのへんのことをお聞きしたい」と書かれています(60頁)。それに対する不破委員長の答えは、この対談の中で出されたのでしょうか? 私が読むかぎりでは、この問いかけに対する答えは出されておりません。大会前に討論特集号が出されているという話や、「支部が主役」という合言葉は出されていますが、そんなものが回答にならないのは、誰の目にも明らかです。本当に現場の声を吸い上げる意志があるなら、どうして、「日の丸・君が代」問題での新見解が、党内でのいかなる討論もなしに一方的に決定され発表されたのでしょう。それに対する抗議の声が、支部からの意見や個々の党員による電話やファックスや電子メールという形で相当数、中央に集中されたにもかかわらず、どうしてそれに対して党は沈黙を守っているのでしょう。
不破委員長は、著書の中で、「方針を決めるとき、集団的な討論をしないで、党首が一人で決定し、それを上から党に押しつけるのでは、民主的な政党とは言えません」と書いています(69~70頁)。では、今回の「日の丸・君が代」新見解はどうなるのでしょう。不破委員長は、常任幹部会で討議したと言っていますが、このような重大問題、これまでの党の見解とまったく異なる見解を出すというのに、それを常任幹部会の討議だけで決定することは許されることでしょうか。
また不破委員長は、「私たちは、党の大会というものをたいへん重視しています」(70頁)と書いています。では、この著書の中で、憲法9条に関するこれまでの解釈を勝手に変えて、大規模な攻撃を受ける危険が現実のものとなってくるような「異常な事態」においては「自衛のための軍事力を持つことも許される」(148頁)などという発言がなされているのはどういうわけでしょう。党大会の決定にはそんなことは一言も書かれていません。私たちは、こんな話はこの著書ではじめて知りました。いったい、これのどこが「党の大会というものをたいへん重視」していることになるのでしょうか。その逆ではありませんか。しかも不破委員長は、続けて、「私たち党の中央で活動しているものも、次の大会までの期間は、この方針ですべての活動をおこないます」(70頁)とまで念を入れて書いています。もしこれが本当なら、不破委員長は、この著作でまさに、このルールを正面から踏みにじったことになります。
また不破委員長は、別の個所で、「民主集中制ということばをいろいろ心配される方でも、具体的にここが問題だという指摘は少ないのです」(72~73頁)と述べています。これも嘘です。多くの人が具体的に指摘し、具体的に批判しています。たとえば、井上さん自身が具体的な指摘を一つされています。それは「隣の支部の人と討論できない」という実態です(58頁)。共産党の公式の説明によれば、党の方針を支持する立場からなら隣の支部の人とでも討論することは許されますが、党の方針を批判する立場からは、隣の支部の人どころか、自分の家族とも話してはならないとされています。何というナンセンスな話でしょう。
しかしこれは、けっして「弾圧された時代の名残」ではありません。弾圧された時代であっても、レーニンの時代のコミンテルンにおいては、そのような討論は自由に許されていました。スターリン時代になって初めて、このようなナンセンスなルールが普遍的に確立されたのです。不破委員長は今回の著書の中で口を極めてスターリンを批判していますが、現在の党規約の基本部分がそのスターリンの規約をまねて作られていることについては、都合よく沈黙しています。
いずれにせよ、この措置は外部からの「弾圧」を恐れての措置ではなく、党員同士が支部を超えて団結し、中央に組織的に立てつくようになることを恐れての措置なのです。したがって、この「民主集中制」(実際には、真の民主主義にはほど遠いですが)は、あくまでも外部の敵ではなく、内部の「敵」(私のような批判的党員がまさにそうです)に向けられています。私がこの手紙を匿名で書かざるをえないことが何よりの証拠です。人に手紙を書くのに本名を名乗れないとはどういうことだ、とお怒りになるのは無理もありません。しかし、私が本名でもしこのような手紙を出したことが中央の側に知られたら、私は即座に査問され(ところで川上徹氏の『査問』(筑摩書房)はもう読まれましたでしょうか? それについてもこの対談で質問してほしかったです)、そして自己批判しないかぎり除名になるでしょう。自分の意見(けっして党の破壊を目的とするものでなく、逆にその真の発展を願うものであっても)を堂々と言うことさえ禁止しているのが、現在の「民主集中制」なるものなのです。
まさにこのような実態があるからこそ、井上さんがかつて『共産党への手紙』の中で書かれたように、「中央の方針と異なる意見は、支部では議論できても、県レベルではどこかに消えてしまう」ことになるのです。
この具体的な指摘に対し、不破委員長はただの一言も答えていません。2~3年に一度開かれる大会前の、たかだか1~2ヶ月の討論で、この問題が解消されるでしょうか? 共産党には40万人近い党員がいるのです。しかも、討論といっても、『評論特集版』にたった3000字の意見を書けばそれっきりです。2~3年待った挙句に3000字。これが不破委員長の言う民主的討論の実態です。そして、その意見が党の方針に批判的なものなら、中央の勤務員が間髪入れずに反論してきます。再反論は許されていません(以前は許されましたが、今では許されていません)。そして、こうした批判的意見が考慮に入れられることもなければ、ましてやそれが大会決定に反映されることなど皆無です。
しかも、今なお、共産党の大会が、全員一致で中央の方針を採択していることを井上さんはご存知ですか。40万人近い党員がいながら、全員が一致するようなことがありうるでしょうか。常識的に考えてもおかしいと思いませんか? 党全体を見まわせば相当数あるはずの批判的意見は、けっして中央の大会までは届きません。途中の都道府県レベルではかろうじて批判的意見の持ち主が代議員に選ばれても(それさえ至難の業です)、そういう批判的党員はけっして、指導部から大会大議員として推薦されないし、指導部から推薦されない立候補者はすべて、許すべからざる「異端」とみなされるからです。しかも、党内の選挙制度は、単純小選挙区制よりも少数派に不利にできており、基本的に多数派が議席の100%を独占できる仕組みになっています。
不破委員長のスマイルと人あたりのよさにだまされないでください。実際の行動を見てください。たしかに、共産党は現在、農業問題にしても、金権腐敗の問題、福祉の問題、中小零細企業の問題、新ガイドラインの問題にしても、既存の議会政党の中では最もまっとうで、民衆の利益に合致した政策を持っています。しかし、その一方で、共産党内の民主主義はますます押しつぶされていっており、共産党以外に有力な革新政党が存在しないのをいいことに、共産党はますます「柔軟路線」という名の体制迎合を深めています。
井上さんは、今回の著作の中で、「これまで共産党を愛してきた旧世代から、『なんだか不破体制になってから急にソフトになって、社会党の二の舞になりゃしないか』という声があがっているようですが、こういう心配について不破さんはどうお考えでしょうか」という「第三の質問」をされています(61頁)。私の読んだかぎりでは、この質問に対する答えも不破委員長より出されていませんね。
率直に言えば、このような心配の声を上げているのは、旧世代などではなく、われわれ若い世代です。20代、30代の党員です。共産党の年齢構成が圧倒的に40~50代以上の人間で占められていることを井上さんはご存知でしょうか。若い党員の多くは、いわゆる二世党員(親が党員の党員)です。なぜ若い人をひきつけられないのでしょう。その原因はさまざま複雑にあって簡単ではないですが、その一つの重要な要因は、70年代に起きた新日和見主義事件という名の弾圧事件です。当時、最も血気盛んで、中央に対しても一定自立的であった20代の中心的活動家を一網打尽にし、大衆運動団体から一掃したこの事件は、共産党の党内史において真に犯罪的な事件でした(前述の『査問』はこの時の模様を当事者が克明に明らかにした歴史の証言です)。これによって、生き生きとした青年運動は消滅し、ひたすら中央の顔色をうかがいながら活動する物言わぬ党員がはびこるようになったのです。生き生きとした革命運動は常に、血気盛んで生き生きとした青年党員の運動を不可欠の条件としています。後者なしにけっして前者はありえません。しかし、当時の党指導部は、分派の影におびえて、党の最も貴重な財産である彼らを過酷な査問にかけ、粉砕してしまったのです。
現在の不破指導部は、今なおこの事件を反省しておりません。今なお、あの時の処置は正しかったと強弁しています。一人の人間を集団で13日間も監禁して自白を迫ったことを、今なお正当化しているのです!
おかげで、日本の共産党は、ヨーロッパの共産党と比べても、青年党員の比重が圧倒的に小さく、そして活気に乏しいという病に苦しめられています。あのときのつけを、今なお支払わされているのです。
われわれのような若い世代の党員は圧倒的に少数です。しかし、それでも、現在の党指導部の独走や体制迎合の姿勢に対し、最も批判的な意見を持っています。指導部はわれわれのような党員をどうするでしょうか? 70年代の新日和見主義事件のときのように一網打尽にするでしょうか。それとも、しょせん影響力のない連中として無視するでしょうか。おそらく後者でしょう。いずれにせよ、中央に対する批判的意見を持った党員を「異端」とみなし、敵視する今の姿勢が変わらないかぎり、若い世代を本当にひきつけることなどできないでしょう。
最後に井上さんにもう一度お願いします。不破委員長のスマイルや柔軟な印象で判断するのではなく、党の実態を見て判断してください。われわれのような少数意見にも耳を傾けてください。そして共産党の未来が、中央の方針に何でもイエスと言う党員たちにあるのか、それとも、自分の頭で考え行動しようとする党員たちにあるのか、このことをぜひ考えてみてください。
いろいろと生意気なことを言ってしまいましたが、本当に共産党と日本社会の未来を思ってのことだと考えてお許しください。
p.s なお、この手紙は、現役の党員たちによって運営されているホームページ「日本共産党と現代日本政治を考えるホームページ」(『さざ波通信』)(http://www.linkclub.or.jp/~sazan-tu/)にも同時に投稿させていただきます。もし、パソコンとインターネットをお使いでしたら、このサイトにも1度、目を通してみてください。外からはなかなか見えにくい党員の生の声が聞けるはずです。