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党員用討論欄

『週刊新社会』の興味深いコラム

1999/6/17 吉野傍、30代、アルバイター

 新社会党が出している機関紙『週刊新社会』の最新号(6月15日号)の「羅針盤」に、おもしろい文章を見つけましたので、勝手に転載します。新社会党中央委員会のみなさん、ごめんなさい。
 以下引用。

 明治天皇の兎狩りと野立ての碑の立つ多摩の緑豊かな公園を散歩していると宮本顕治氏の日光浴によく出会う。二人の青年に付き添われて車椅子に座る氏にはもはや警備の必要もないらしく、昔日の精悍な面影はなく、話しかけるのも遠慮したくなる。
 もう不破哲三委員長らを指導・意見することもないのであろう。指導できるのであれば、「日の丸・君が代」が法制化されれば容認するなどという方針は認めずに、せめて富士山の「国旗・国歌」でも提唱したのではあるまいか。
 階級意識を育てることによって世界的に団結・連帯すべき労働者階級に、国家意識やナショナリズムを育成しようとするのは、大資本がボーダレスに多国籍化する時代にいよいよ反動的だ。自衛戦力容認論とともに最近の戦争立法や有事法制を通りやすくする国民の意識づくりに手を貸してはいないか。
 宮本氏が引退すれば共産党も変わると言われていたが、かえって悪くなってはいないか。トップダウン的なままでは、未来の展望は開けない。

 以上引用終わり。
 新社会党はこれまで共産党に対する公然の批判を控えていましたが、さすがに昨今の不破指導部の暴走に黙っておれなかったようです。宮本氏が顕在であったらこんな事態になってはいなかった、かどうかは、実際にはわかりませんが、しかし、そう言いたくなる気持ちはわかります。
 共産党はこの批判に反論するでしょうか。おそらくしないでしょう。もはや共産党指導部にはかつてのようにイデオロギー闘争する気力もなければ、能力もないようです。むしろイデオロギー闘争という言葉さえも死語になりつつあります。宮本時代には、それなりに理論的整合性を持たせるための努力があり、したがって、その点に関する批判には猛然と反論してきたものですが、今では、そのような首尾一貫性や理論的整合性などどうでもよいようです(それでいて、ブルジョア法との整合性にだけは人一倍気を使っているようですが)。
 不破指導部のもとで、党内民主主義はただの一歩も前進せず、逆にますますないがしろにされ、他方では、宮本時代にはあったそれなりの政治的原則やこだわり(反天皇と反安保)までさっさと捨て去ってしまう。不破さん、あなたは何のために共産党の委員長をやっているんですか? 穀田さん、あなたは何のために共産党の国会議員をやっているんですか? 
 もう十分です。これ以上、数十万の党員や支持者が血と汗と涙で築いてきた党を私物化し破壊するのはやめてください。