すでに「お知らせ」で書きましたように、『さざ波通信』が党の規約に違反しているかどうかについての吉野さんの詳細な検討と分析は、非常に参考になりました。しかしながら、これまで党の規約が中央指導部によって実際にどのように運用されていたかを見るなら、われわれのこの活動を規約違反として処罰することは容易であると思います。
たとえば、新日和見主義者として多くの党員が処罰された事件では、当事者の詳しい手記(『査問』や最近出版された『汚名』)を見るかぎり、ほとんどの党員が日頃しているような行為(私的な会話で中央に対する不満を漏らしたりすること)すら分派活動の証拠として使われ、過酷な査問をされた挙句、大衆団体から追放されています。このような大量処罰は、党規約をどんなに拡大解釈しても正当化されないものであり、これはもはや規約の第何条がどうのという問題を完全に超越しています。
また、例の伊里一智事件にしても、除名に相当するような反党行為はまったくありませんでした。伊里一智氏は除名後も、基本的に共産党擁護の立場を捨てておらず、党破壊者とはおよそかけ離れた立場でした。
しかし、以上はいずれも宮本時代に起きた事件であり、不破-志位指導部のもとでも、以前のようなでたらめな規約解釈による異論弾圧をやるのかどうかについては、今のところ不明です。われわれはそのようなことにならないことを切に願っています。
われわれは、サイト開設にあたっての「一問一答」等で表明している通り、規約の第何条と合致しているか違反しているかということにもとづいてではなく、民主集中制が建前としている根本原理、すなわち、全党員が民主的に討論し、民主的に決定し、それを全員で実行するという原理を、本当の意味で実現するためのものとしてこのサイトを開設しました。
もちろん、現在の日本共産党が採用している民主集中制というのは、レーニン時代のそれではなく、明らかにスターリン時代のそれを模範にしており、その意味で、その「民主集中制」それ自体が深刻な欠陥を持っています。しかし、それでも、この「民主集中制」は党内民主主義というものを建前上肯定しており、その発展をうたっています。であるならば、この建前を建前に終わらせるのではなく、それを真に意味あるものにすべく、全党員が努力すべきなのです。そして、現在の党内民主主義において最も欠落しているのは、ほとんどの党員が、党内でどのような異論が存在し、どのような意見が存在しているのかをまったく知ることができないということ、そして、同じことですが、自分の持っている意見というものを、支部内の限られた党員にしか伝えることができず、全党員に伝えるすべがないということです。
まともな社会主義政党なら、独自の討論報というものを、公式の機関紙誌とは別に発行しており、その討論報の中で、すべての党員は党内での異論の存在を知ることができ、自分の意見をそこに発表することができます。しかしながら、日本共産党にはそのような討論報は存在せず、かろうじて、3年に1度開催される大会の前に、何号か討論用の『評論特集版』で自分の意見を表明することができる(しかもたった1通だけ、3000字で)だけなのです。このわずかな期間(年々少なくなり、前回の大会のときにはわずか1ヶ月半ほどでした)を過ぎれば、後はひたすら、中央の意見しか知ることができず、たとえ中央委員会や党幹部が大会決定や党規約に照らして矛盾したことを言っていたとしても、それについては数人から十数人の支部会議で意見を述べるのが関の山なのです。
共産党は最近、「日の丸・君が代」問題における国民的討論の一貫として、『しんぶん赤旗』の貴重な紙面を使って、「日の丸・君が代」肯定を含む多様な意見を紹介しています。つまり、このような討論は、中央委員会がその気になれば十分にできるということです。国民に討論を呼びかけ、自民党に対しては国民的討論を無視して勝手に決めるなと主張している党が、自分たちの重大な新見解を決定するのに、いかなる党内討論も組織せず、常任幹部会での議論だけですましているのは、何と奇妙なことでしょう。
最近開かれた4中総は、このような党内討論をする絶好の機会だったはずですが、赤旗の報道を見るかぎり、そのような討論は結局行なわれなかったようです。このような不正常な状態が続くかぎり、共産党は内的な生命力をしだいに失っていくことでしょう。
『さざ波通信』に対して、規約違反だとか、党中央に敵対しているのはけしからん、という党員や支持者の声がしばしば聞かれますが、しかし、もっと大きな現実を直視していただきたいと思います。中央が大会決定にも反する奇妙な新見解や政権論を好き勝手に発表しているというのに、党員が異論も唱えず、それに唯々諾々と従っているとしたら、そのような現状を黙認するのが党を強めることになるのか、それとも、勇気を出して、それはおかしい、と公然と発言することが党を強めることになるのか、そこのところを真剣に考えていただきたいと思います。