『さざ波通信』は頻繁に読ませてもらっています。理論分析の高さはさすがですね。ただ私は、党員の生活世界が党生活で規律されているもとでは、なかなか『さざ波通信』の呼びかけは浸透しづらいと考えています。
社会的権威(国家、王、教会、、法王、大企業、有名大学、高い社会的地位など)と個人生活の適度な距離を持っていない日本人が大多数ですし、その日本人がその内面は変えずに、信仰する権威だけを置き換えて、党員になるのが現状だと、私は考えています。欧米的な中流市民意識、そしてその下の層の市民の「俺は労働者なんだ」という我らと奴らの意識。この2つの階層の個人規範の保持が、自らが受け入れている権威ある政党を、客観的に見れる前提なのでしょう。
やはり政党以前に運動(労働運動、市民運動、環境保護運動、NGOなど)がないと、党改革はなかなか難しそうです。日本の場合、共産主義政党が、労働市民運動の一潮流ではなく、政党生活そのものが運動なんですよね。この分離ができない、ここに悩みがあります。私の見るところ、権威ある政党の間違いを納得させると、運動しなくなる人が多いのではと思います。
しかし、上から見れば、下部構成員をカルト化させておいた方が統治は容易いので、なかなか変わらないでしょう。そして下部構成員たちも、一旦外界から切断されて完結した世界観に入ると、そこで精神的安定を得る方が容易くなります。なにせ勉強しなければならないことは山ほどあります。不破政権論に疑問を持っても、その是非を考えるためには、中央委員会総会決定、綱領、戦後の各大会決定、幹部の時々の著作、マルクス主義の古典などを勉強して検討しなければならないのです。こんな勉強をしても、秘蹟を共有している者同士でしか議論はできません。大衆と、そして他政党構成員とその支持者と、政権問題を語るときに、このようなカルトな勉強が役に立つのでしょうか。
これはヨーロッパとの対比で言うと、政党というよりは教会に近いイメージです。信仰生活が宗教運動であり、両者が不可分になっている構造です。党内用語の使用を含めて、外界から相対的に独立した一つの世界を形作っています。だから、「安保凍結には改良も含むんです」などといった党中央の子供だましの論法が通用するんです。本来、改良を含んだら凍結にはなりません。単語の定義を勝手に変えないで欲しいですよね。
でもまあ、このような組織の日常もあと10~15年ほどで変わるのではないでしょうか。党内で分厚い層を形成している団塊世代は今50歳。各人の社会的影響力もピークに達しているところです。10年すると団塊世代はだんだん定年になり退職になっていきます。その退職期だけをみれば、党の自由な(無職の)活動家が増えるのですが、65~70歳くらいで党活動家としてもリタイヤでしょう。そしてその下の1950年代生まれ、60年代生まれ、そして70年代生まれの党員は、団塊世代と比較するとお話にならないくらい少数です。
いま共産党には旧日本社会党の票などがたくさん流れ込んできています。そしてあと15年くらいのうちに党勢がぐっと小さくなることを重ねあわせると、共産党は少数の組織で多数の票を集めるようになるのでしょう。これはかつての日本社会党と同じ構造です。こうなるとマルクス主義政党・反体制政党としての存続は難しいと思います。体制内野党としての性格が全面に出てしまい、私はきたるべき志位委員長体制のもと、共産党は改良主義政党になると予想しています。そのとき初めてマルクス主義者は別党に結集することになるのでしょうか。
新自由主義政党が権力を担い、その左で改良主義政党が不満を吸収するクッションとなり、マルクス主義政党は少数としてだけ存在する。日本の政治的上部構造は帝国主義にふさわしいものになりそうです。