前回の投稿で、ヤス同志の投稿のうち第1の問題提起を検討しましたが、今回は第2の問題提起の方を検討したいと思います。
ヤス同志は、現在の団塊世代が活動からリタイアする頃には、共産党は組織的に縮小し、「少数の組織で多数の票を集める」という旧来の社会党型の政党になり、「マルクス主義政党・反体制政党としての存続」が困難になり、志位委員長のもと完全な改良主義政党になると予想しています。そして、「新自由主義政党が権力を担い、その左で改良主義政党が不満を吸収するクッションとなり、マルクス主義政党は少数としてだけ存在する。日本の政治的上部構造は帝国主義にふさわしいものにな」るとしています。
私は、このような問題の立て方には大いに疑問を感じます。
まず第1に、「少数の組織で多数の票を集める」という事実そのものと、「マルクス主義政党・反体制政党としての存続」が困難になるという予想との間に論理的な必然性があるとは思えません。むしろ、常識的には、党がその輪郭をあいまいにして、無原則的に党員を拡充することこそが、党の改良主義化、体制内化を生むとされているのではないでしょか? 実際、最も早く完全に改良主義政党化したのは、資本主義国の中で最も党員数の多かったイタリア共産党です。また逆に、イタリア共産党の左派と党外の左派とが共同で作ったイタリア共産主義再建党の党員数は現在10~12万人ほどであり、日本共産党の3分の1程度ですが(ただしイタリアの人口は日本の半分ほどなので、人口比で見るとこの差はもう少し縮まる)、その左翼性は明らかに日本の党より上です。
しかし、実際には、党員数と党指導部の政治的態度の間にはいかなる機械的な対応関係も設定することはできません。それはすべてその時々の党内外の社会的・政治的・経済的状況によって規定されます。
第2に、現在の団塊世代のリタイアとともに、自動的に、共産党が改良主義化するとみなされていることです。ここには主体の契機がいっさいなく、とことん受動的で傍観者的であると思います。マルクス主義者が行なう未来の予測は常に条件的であり、自らも参加する党の未来のことならなおさらです。そしてその諸条件の中には、個々の党員の主体的・能動的行動が少なからぬ位置を占めているはずです。
第3に、ヤス同志の言う「帝国主義的上部構造」なるものがきわめて静態的かつ安定的なものであるかのようにみなされていることです。そのような安定した帝国主義的上部構造は、基本的に、高度経済成長期にのみ見られたものです。現在のような、大規模な譲歩や改良の余地がますますなくなりつつある新自由主義的帝国主義においては、そのような長期的安定を想定するいかなる理由もないはずです。
以上、主体的な構えとしても、客観的な可能性としても、ヤス同志の2番目の問題提起には多くの問題があるように思われます。しかしながら、問題提起そのものは非常に重要であると思いますので、引き続きこのテーマをめぐって討論ができればと思います。