吉野さんからのお誘いがありましたので、拙い意見を述べさせていただきます。
「30数万の党員」はあり得ないのではないかという疑問がまずありますが、それは別にして、その内容を少し詳細にみてみようと思います。政党というのは程度の差はあっても多かれ少なかれ専従、議員などがその活動の中心になります。日本共産党の場合には約5千人に近い議員とこれをやや下回る数の常任(専従)活動家が日常的な活動の核になっています。約1万人と考えていいでしょう。これらの人々はいわば職業革命家でありますから、職業的に党活動に従事しています。
常任活動家にとって中央の方針に異論を持ったり表明したりすることは直接的に「失業」を意味します。議員も党から候補者に選ばれるということが議員であることの大前提ですから同じことです。したがって、これらの人々を結びつけるのは「日本共産党の特殊に強力な党員統合力」ではなく、むしろ吉野さんのご指摘の「日本の企業社会における特殊に強力な労働者統合力」に近い性質のものでしょう。これは個々の常任活動家や議員の資質、政治的品性の問題ではなく、彼らをとりまく物質的な条件です。それでよいかどうかは別ですが。
次に、非常任の機関役員や支部指導部の人たちが先に述べた核の周りにいます。これらの数は正確にはわかりませんから、中央委員会総会の決定が約2か月間で読了する数が約35%と報じられることを参考にしてざっと10万人程度とみることにします。
この他に、党大会や中央委員会総会の決定をほとんんど読むこともなく、2か月以上も会議にも出席しないが、党費を納入し選挙や年末などのカンパには応じるという党員と党費さえも納入していない人たちがいます。
これらの数字はいずれも21回大会前の「しんぶん赤旗」に公表されたものをもとに推測しているものですから、現在は活動的な層がもう少し減っていると思います。
ヤスさんが指摘していることを否定するつもりはありませんし、吉野さんが問題意識を持ったことについても、私は内容的な点ではそれほど違和感を抱いているわけではありません。しかし、「99%以上の党員が忠実であり続けている」という状態であるとまでは、私は思えないのです。
たとえば、60年代以降長く続いた正常とは思えない拡大運動の中でも、時としてポツリと批判的意見をもらす常任活動家もいました。これが支部段階にまでくると批判的意見はもう少し公然としたものになります。当時の状況から類推しても、「さざ波」の投稿から推察しても、中央の右傾化に対する批判、疑問は底流として存在していると私は思っています。
日の丸君が代法制化問題に象徴される中央の右傾化に対する「さざ波」への投稿は、かなり幅の広いものがありました。そして、少なくとも法制化問題に関しては「赤旗」の報道も最近では「法制化反対」という立場で行われるようになっています。また、先の77周年記念講演会で不破委員長は、現在の路線が綱領路線上のものであること、民主集中制についても「近代政党なら常識的な組織のあり方」ということをあらためて強調していました。現在の路線が綱領路線から逸脱していない、とか、民主集中制が常識的なものであるとかをわざわざ述べなければならなかったという事情があったとみるべきでしょう。奇妙な修飾語がいくつかついていますが当面する革命は反帝反独占の民主主義革命であると不破委員長が言っているのです。
さらに、多くのヨーロッパの党が共産党という党名を投げ捨てた中で日本共産党がその党名変更を拒否しているのはなぜでしょう。共産党という名前を持ち続ける値打ちがあるからではないでしょうか。その値打ちとは何でしょうか。
ヨーロッパの諸国には、資本主義が長い時間をかけて発達した歴史があります。マルクス主義はこの歴史の中で、激しい労働者階級の闘いの伝統とそこに存在する思想を母胎として生まれました。これに対して日本ではマルクス主義はむしろ「移植思想」であったという歴史的な制約があります。もともと日本には世界史的に見てそれほど激しい階級闘争の歴史があったわけではありませんが、それでも階級闘争の歴史もそれなりの思想――欧米にはない優れた思想もあったのですが、日本におけるマルクス主義はこれらの歴史の延長上に存在することはできませんでした。日本の社会主義運動が労働運動などの大衆運動の中で育まれてきたのではなかったという歴史は、その後の日本の革命運動にあまり好ましくない特殊性を与えたことも考えられるでしょう。ヤスさんの「共産主義政党が、労働市民運動の一潮流ではなく」という意見はこのことをいっているのだと思います。
また、ヨーロッパの諸国には帝国主義国としての長い歴史があります。それは「労働運動における日和見主義の台頭とヘゲモニー、階層としての労働貴族の発生と支配、……、帝国主義概念と不可分に結びつく」と「さざ波5号論文」が指摘するように、労働者階級が「階級として買収される」状態を生み出したことを意味するのであって、ヨーロッパの共産党が非常に早い時期から日和見主義の路線を歩み始めた物質的な条件でした。一方、資本主義が遅れて発達し未熟な帝国主義国として侵略にのりだした日本では、労働者階級や社会の底辺にまで「帝国主義のおこぼれ」が行き渡るのは欧米に比べてはるかに遅れ、戦後の高度成長期以降を待たねばならず、その歴史は浅いものであったと思います。
日本共産党の綱領が確定されたのは、第2次世界大戦後の困難とアメリカ帝国主義の支配という条件の中でした。歴史的な安保闘争を経て確定されたこの綱領が基本的な正しさを保持し得たのはこのような歴史があったからだと思います。帝国主義的な特質をそなえた日本独占資本が外国からの収奪を繰り返し、日本の労働者階級や社会の底辺にまで「帝国主義のおこばれ」が行き渡るようになりましたが、それはせいぜい30年から40年の歴史しかありません。そして、ソ連崩壊後、資本主義が本性むき出しにして、いったん与えたさまざまな労働者の権利、賃金水準、福祉を奪い返そうとする事態に直面しているというのが現状でしょう。
消費税、小選挙区制、従来の保守政党の支配が揺らぎながらも社会民主主義政党を育成することによって資本主義の支配を貫徹するという帝国主義国の内政の定番ともいうべきものが、欧米よりもかなり遅れて日本に実現したということは、このような日本の歴史と現状があったからです。消費税も小選挙区制も社会党の右傾化も支配階級が繰り返し試みたにもかかわらず、かつては成功しなかったという歴史があります。
このようにみていくと、党名も変えず、反帝反独占の民主主義革命を掲げるという共産党が日本には存在していることは、ヨーロッパのようにはならないという力が日本社会のどこかにあったということにはならないでしょうか。
77周年記念講演会での不破講演についての論評をするつもりはありませんが、上記に示したように、綱領路線を変更したわけではない、ということを述べているのですから、「さざ波」やその投稿者が懸念し批判してきた右傾化路線を不破委員長が肯定しているとは考えるべきではありません。ただし、どう考えても一貫性がないことは否めません。私は、中央の方針には「ユレ」があるという印象をぬぐうことができません。この「ユレ」の原因となる一方の力がまだ日本共産党や民衆の中に残っていると考えることはできないでしょうか。
だから、常任や議員を「統合する力」は先に述べたとおりでありますから、私は日本共産党に「特殊に強力な党員統合力」について言えば、特にとりたてて強力な統合力があるとは考えていません。中央が全党討論を組織し、多くの党員が本当に自由に討論できると納得をしたときには、批判的な意見が驚くほど出てくるでしょう。
ただ、党に関する理論はいまだにスターリン流の水準を脱しておらず、非常に長い間この考え方以外の理論がありませんでしたから、不破委員長自身が民主集中制についても「近代政党なら常識的な組織のあり方」と言っているにもかかわらず、公表された政治的な問題について述べることさえ「許されない」とする考え方から半歩も進みません。これについては、革命党であれば中央には強力な指導力が必要ですし、中央委員会はその中核としての機能を果たさなければなりません。中央委員の最高の行動基準は革命の事業と人民の利益でありますから、このために自己の全存在をかけるという人でなければなりません。最高の行動基準が「上司に忠実」という一般企業のごときものであってよいはずがありません。
党に関する理論は規約や幹部政策を含めて解明しなければならない課題が残っています。だから、多くの党員がほとんど何も言わないというのが実状であれば、それは「何も言わない」という表現であると理解すべきでしょう。
最後に、吉野さんがご指摘のようにヤスさんの第2の点に関連することですが、ヤスさんの指摘はひとまず私もそう思いますけれども、ヤスさんの指摘には1つ致命的な問題点があります。それは「情勢が進行していく」ということが考慮されていないことです。ヤスさんは、アメリカ帝国主義による世界支配と現代資本主義が少なくともあと10年から15年ぐらいは続くということを前提としているように理解しました。
実際、そうなるかもしれませんが、現代資本主義はそれほど安泰の状態ではないと私は思っています。これらについては、また吉野さんのイニシアがあればその機会に投稿するつもりでいます。吉野さんの問題提起にかみあった投稿になっていないかもしれません。もし、そうであればどうかお許しを。