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党員用討論欄

「党の統合力と未来の姿」論争によせて

1999/8/14 入一、40代、教育労働者

 ヤスさんの問題提起に始まり、吉野さんによって整理され、さらに木村さんも加わっての「党の統合力と未来の姿」に関する論争、興味深く読ませていただいています。おそらくは『さざ波通信』始まって以来の全面的で包括的な論争になるだろうと期待しています。
 ところが問題があまりに大きすぎて、私にはこの問題で真正面から論陣をはる勇気と力量がありません。ただしいくつかの切り口を私なりに見いだすことはできたつもりなので、以下、問題の焦点を拡散させない範囲で、若干の論点を提示し、それによって論争に参加したいと思います。
 まず「党の特殊に強力な党員統合力」の原因についてですが、日本社会のそもそもの存立機制や、日本型企業の労働者統合力との類似点といった論点とともに、私はあえて、日本共産党の党員とその熱心な支持者たちの、この国では際立って高い知的・道徳的水準の問題をあげておきたいと思います。
 歴史的にいってもこの国の共産主義運動には、他党派にはけっして見られない高度な道徳的機制が存在してきたと思います。これを、前述した日本社会の存立機制や日本型企業の労働者統合様式と重ね合わせてみれば、「党の特殊に強力な党員統合力」の実体が浮かび上がってくるのではないでしょうか。もちろん戦前の党員とは比較になりませんが、現在の50歳前後までの人たちにはあきらかにこの特徴が顕著です。
 そしてそのような精神状況と相互に補完関係にあるのが、制度としての民主集中制と、それにささえられた認識における位階制であるといえます。つまり党の方針は実際上、平等な党員間の自由な討論によってではなく、上級機関が提示した方針案を下部の党員が学習によって身につけていくという方法でつくりあげられていきます。もし方針案に異論があるとすれば、それは自らの学習不足のためであり、方針案を理解しうる理論水準に自らが達していないからだと納得されます。少なくともそのように納得することで、党と自己の一体性を維持しようとします(私は、民主集中制それ自体に反対しているのではなく、これが健全な形で実現されていないことが問題だと考えています)。
 ところが若い世代のあいだには、以上のような精神状況とはあきらかに異質なモラルが支配的です。とりわけ70年代半ばを契機として、それ以前の世代では否定的にしか見られなかったモラルが一般化してきました。それは一言で言えば、公共性より私性の優先です。いうまでもなく、その後の四半世紀にわたる時間の経過はこの傾向をいっそう助長しました。若い世代の党離れの一因をここにもとめることは不自然ではないと思います(60年代末期のベ平連運動や全共闘運動のなかにその萌芽が見られましたが、日本共産党とその周辺に結集する人たちからすれば、これはむしろ唾棄すべき、または克服すべき対象としてとらえられました)。
 ちなみに70年代前半に起きた「新日和見主義」問題との関連でいえば、当時の青年学生運動の一部に見られた「大衆運動至上主義」的論調と、その主唱者たちの潜在的心性とのあいだにはあきらかに乖離があります。川上氏や油井氏が、査問後も長期にわたって党籍を維持し、問題の所在をつまびらかにしたのは党籍を離れてからであったという事実にも、そのことはうかがわれます。
 つぎに、以上の論点をふまえたうえで、ヤスさんの提起される「党の改良主義的な未来の姿」について意見を述べてみようと思います。
 ヤスさんの提起に対する吉野さんや木村さんからの反論は、主体の契機、情勢の弁証法的発展の観点を強調されるものでしたが、私の理解では、まさに変革主体としての党自体が内部から変わらないかぎり、あるいは広範囲な大衆運動の組織化によって情勢を主体的に切りひらいていくという闘いがないかぎり、残念ながら現実はヤスさんのいわれる方向にすすんでいくほかないのではないかと思います。
 言いかえれば、この問題はさしあたり、日本社会の客観的変化に対応した党の主体的変革のありようの問題として論じる必要があると思います。あるいは大衆運動の高揚を欠いたここ四半世紀間の運動の総括を前提として検討されるべきだと思います。
 要するに、70年代半ばを契機として日本社会のありようは大きく変化したのです。にもかかわらず党の存立機制は変わらなかった。ここに問題の焦点があります。問題を戦略や戦術の次元に局限したとしても、①党と大衆運動のあいだの<指導と被指導>という従来の関係に固執したこと、②人民的議会主義の名のもとに、すべてのエネルギーを選挙闘争に収斂させようとしたこと、③大衆運動の高揚を欠いたままで、党勢拡大を自己目的的に追求したこと――私は、党勢衰退の主体的要因を以上のなかにもとめます。
 さらにいえば、80年代末から90年代はじめにおける政治状況の大きな変動――労働戦線の右翼再編(連合の成立)、自衛隊の海外派兵(PKO)、小選挙区制の実施――は、この国の変革主体のあきらかな敗退を示すものであり、今日の戦争法、盗聴法、国民総背番号制、国旗・国歌法の制定にいたる「右傾化」の荒波はこのことを前提としてのみ可能であったと考えます。
 だとすればこの国の現在は、民主勢力の大いなる敗北のうえに成立した「反動の時代」であり(世界史的には89年以後の社会主義圏の崩壊という事態がこれを規定していることはいうまでもありません)、これに対応する党の受動的なありかたとしては、ヤスさんがいわれるように(私としては悪夢のようであるけれども)、改良主義的な議会内政党への転換と、それを潔しとしない革命的「共産主義再建派」への分裂――このような方向が見えてきます。
 その場合には、当然のことながら党名は変更され、そのうえで改良主義的課題での一致をもとに社民党との合同が追求されるでしょう。しかしそのことによって総体としての「社会的弱者」層からの集票能力はかえって高まり、結果としてはむしろ「自自」「民主」と拮抗しうる議会内の第3極を形成することが可能になると思います(公明党はこの場合の階級関係からすれば、上記3者の関係を攪乱する不純かつ不透明な要素として機能します)。そして革命的「共産主義再建派」は少数の思想集団としてのみ生き残ることになるのではないかと考えます。
 以上、論拠に未整理な部分もあり、論旨に不安定さが見られますが、その点については今後の論争のなかで深めていきたいと考えていますので、なにとぞご容赦をお願いします。