私も数年前までは学生でしたし、今も大学にいるので、学生運動のゆくえについては非常に興味をもっています。そして、現状に問題意識をもって、なんとかしなければと考えている学生党員がいることをとても頼もしく思います。私が考えていることが少しばかりでも、足しにでもなればと思って投稿します。
20代の青年党員の青年層全体に比しての数は、恐らく戦後共産党最低水準ではないでしょうか。さらに学生についていえば、戦前の大学における学生活動家の割合と、戦後大衆化した大学における学生活動家の比率を勘案するならば、戦前以下じゃないでしょうか。(影響力については言うまでもない)すなわち、学生党員の量的水準は、結党以来最低という、深刻な事態に陥っていると思われます。
こうした危機的状況を生み出したのは、必ずしも共産党の主体的責任のみとはいえない、戦後社会における状況の変化があったと思われます。端的に言えば、「わだつみの悲劇を繰り返さない」という悔恨意識をベースに展開された平和運動の中で培われた、「層としての学生」という意識と運動が、高度成長の中でしだいに形骸化し、90年代に至って決定的に変容したことにあるのではないでしょうか。問題なのは、こうした青年・学生層の意識の急速な変化を客観的に捉まえようとせずに、党が旧態依然たる指導方針を堅持していることにあると思います。
旧態依然たる方針とは「学生は現状に不満をもっているので、「正しい」方針さえ与えておけば、怒って立ち上がる」というものです。この「失うものなき」「怒れる青年」という定義に則った方針では、「物に満ち溢れ、失うものをもった」青年を捉まえられないのは言うまでもないでしょう。
とはいえ、現状の青年に不満がないかといえばそうではないと思う。確かに物にあふれ、欲しいものはあまりない、という状況が80年代以降実現しはしたが、そのほぼ代償という形で、競争秩序の枠にはめられ、他人を蹴落として自分は這い上がっていくという「処世術」を強いられることにもなりました。こうした対他関係の大規模な変化によって、権力への不満は、国家にではなく他人に対して振り向けられるようになった(いじめなど典型)と思います。
つまりここで言いたいのは、従来狭義の政治へと向かっていた学生のパワーが、人間関係への不満や暴力(他人を蹴落とす・無視するということも含めた)へと現実的には解消されているということであり、これをふたたび政治への対抗・怒りへと持ち上げるためには、この人間関係そのものの修復を伴わなければいけないということです。K・Yさんが「学生の交流がすくない」といっていますが、その新しい交流と人間関係づくりの場として民青同盟が位置づけられうるかどうかはとても大切なことだと思います。
最後に、現状を鑑みて、やはり私たちは青年層の少数派から出発するということを確認したほうがいいと思います。議会での力関係と青年層での力関係はまったく違うわけですから、他党との関係とか政権がどうのこうのにはとらわれず、より先鋭な政治方針と、新しい関係作りという魅力をうちだすべきではないでしょうか。
こういうことは言うは易し・・・ですが、どこか頭の片隅にでもおいておいてもらえれば幸いです。
追伸
全然関係ない話しですが、長年疑問に思っているのですが、あの青年学生対策の人たちって、普段何をやっているんでしょうか。今の学生活動家の数からして、ほかの部署に比べて担当している支部も少ないはずなのに、これといって系統的な指導をするわけでもなし、指導するといっても週一回の支部会議にくるかこないかぐらいで、あと何をやっているんでしょうね? 知っている人がいたら教えてください。