「さざ波」上で、ここしばらく興味深い討論が行われています。1つはヤスさんに始まり、吉野さん、私(木村)、入一さんが参加している討論、もう1つはげじげじさんと吉野さんの討論に春野さんが参加して行われているものです。
この2つの討論には、その背景を考えると非常に共通性の高いものがあるように思います。まず、要点だけあげます。日本の民主勢力の著しい退潮と日本共産党の右傾化を背景として、驚くべき政治の反動化が進行しているというのが今日の特徴的な情勢であると思います。
主体的な状況と客観的な情勢を考えると一種の「閉塞状態」ともいうべき状況にあります。このような情勢の中で、自覚的な民主勢力の一員としてあるいは日本共産党の一員として、「どのように未来を切り開くか」について誰も明るい展望を開けないでいる、ということではないでしょうか。
入一さんの表現を拝借すれば、「この国の現在は、民主勢力の大いなる敗北のうえに成立した『反動の時代』」であるわけですが、闘いの主体がこのままでいいのだろうか、という危機感がこの2つの討論の背景にあると思います。
入一さんの投稿は、的確に論点を整理されており非常に討論がしやすくなりました。吉野さんの2本の投稿もふまえて討論を進めたいと思います。
まず「党の特殊な党員統合力」についてですが、入一さんご指摘の「際立って高い知的・道徳的水準」はたしかに説得力がありました。たとえば、げじげじさんの共産党にたいする信頼の背景にはこれが1つの大きな要素となっているでしょう。このことに同意をした上で、私はなお1つのことをあげなければならないと思います。
それは、吉野さんが8/10の投稿の「②指導者のカリスマ性とは別のところにある統合力…」で、宮本前議長について述べたところと関連します。この一連の討論の中で誰も指摘していませんが、宮本氏に代表される日本共産党指導部がかつて異論に対してどのように対処してきたかという問題です。私は、吉野さんのご指摘のように「カリスマ性」の問題ではなく「異論に対する対処の歴史」が「特殊な党員統合力」として作用していると思っています。
例えば、綱領確定(8回大会)後、宮本氏を中心とする指導部が確立してからもいくつかの中央幹部の除名事件がありました。(これらのできごとの是非を論ずるつもりはありません。)これらの事件にはそれぞれ除名の理由がありますが、その根底には被除名者たちが中央と異なる見解を持ったということが根底にあります。これらの人々に対する執拗な批判が、彼らの政治生命が完全に途絶えるまで行われました。「完膚無きまで」という状態でした。また、中央や地方機関に対する批判的な意見を持ち、これを党内で発表しただけでも次回からは機関役員に推薦されないという例は日常的にみられることでした。異論を持つ者に対する「一罰百戒」的な扱いの長い歴史をみてきた者、特に常任活動家にとって、党内であれ異論を述べることは通常は不可能に近いことであり、その政治生命の危険を覚悟しなければならないことであることはそれほど理解が困難なことではありません。
除名事件の際に、「意見の違いによって排除したのではない。これを党外に発表したことが除名の理由である。」とよくいわれました。しかし、ここには論理的なトリックがあります。たとえば、学問の自由とは「どんなことを研究してもよい」ということではありません。研究した結果を公表する自由がなければ学問の自由とはいえません。「公表する自由」がなければ「異論を持つ自由」があるとはいえないのであり、従って、少なくとも宮本前議長の時代には、実践的には「異論を持つことが許されない」という党内状況があった、といわねばなりません。これが吉野さんの投稿の②③④に関連する私の考えであり、入一さんはご指摘になられませんでしたが、私はこれが「特殊な党員統合力」の原因の1つとして補足されるべきだろうと思います。
この投稿のテーマから少し離れますが、吉野さんの投稿の②中で、「宮本氏が引退しても何も変わっていない」といっておられますが、たしかに「満場一致」体質は変わっていませんが、詳細にみていくといろいろなところでわずかな変化があります。たとえば、川上氏の『査問』、油井氏の『汚名』に対する反応をみると、かつてなら、山ほどの反論を「赤旗」紙上でしたであろうと思います。
とりあえず、今回はここまでとします。