8月23日の投稿は、たしかに居住支部や経営支部によくあるケースです。これらの支部は、1960年代から70年代にかけて活動していた青年党員や民青同盟員だった党員が中心です。彼らは、朝から夜中まで党員拡大や同盟員拡大に奔走していました。
自民党単独政権が、旧ソ連や旧東欧の誤ったさまざまな事件を利用した反共攻撃を大規模に行なわれていたもとでがんばっていました。でも、1970年代には全国で東京や大阪、京都、神奈川、岡山、沖縄の都府県革新知事と横浜市の政令指定都市の革新市長などの誕生があったものの、残念ながらその後、自民党と旧社会党、公明党、旧民社党が住民犠牲の自民党型の都道府県政、自民党型の市政に戻されました。
この時に活動していた党員たちは、時代の流れをよく理解せずに1970年代の激動の経験を青年党員に金科玉条のように語ります。しかし、今の青年党員にとっては、1990年代のことしかわからなくて当然だと思います。
レーニンは、「青年インターナショナル」について書いた論文(レーニンの『青年学生論』参照)のなかで、青年は老人や親と違ったやり方で社会主義建設をするだろうと指摘しています。この論文は、社会主義ロシアのもとでの社会主義建設を担う青年同盟にむけてのメッセージなので、現在の日本とは社会制度が違うので注意する必要がありますが、重要な指摘をしていると思います。
実際の私の党活動について言うと、私はほとんど支部会議には行ってません。それは、支部会議の日が『しんぶん赤旗』日曜版の仕分けの日と重なっているためにベテランの党員の方にこき使われることと、大阪八尾市議の田中ゆうこの選挙ボランティアの「田中ゆうことがんばる会」の会議があるためです。「会」の会議のほうが青年が中心で、政治のことから音楽、スポーツ、恋愛など腹を割って話ができます。「会」自体が田中さんの小中学校の同窓生が中心です。青年党員や民青同盟員が多くないので肩がこりません。
「未結集党員」さんが、知り合いの青年に日本共産党や民青同盟の仲間を増やし、青年支部を結成することを党支部に提案してみたらどうでしょう。それでも、どうしても支部指導部が聞く耳を持たないなら地区委員会や県委員会、さらには中央委員会に直訴したほうがいいと思います。