最近、われわれの党は政権を目指す党として、断絶関係にあった政権党である中国党との関係正常化を達成しました。また『赤旗』の支局開設も果たしました。
共産主義党では指導部からの討議要請があるないにかかわらず、その時々の党の政策・路線について真摯に討議すべきです。しかし、この中国党との関係正常化について全党的な討議がはたしてあったでしょうか? 私の知る限り、それはなかったように思います。
天安門事件後、われわれの党は大きな被害を受けました。反共勢力は口を開けば「日本でも中国でも共産党は共産党」、「共産党の宣伝カーが来たら、装甲車が来たと思ってください」などなど。当時の党員たちは非常に苦しい思いや屈辱的な思いをしながら、活動してきました。
私が入党したのは1992年です。入党の初心は、第1には、民主連合政府に期待を寄せていたからであり、第2には、帝国主義国はおろか、いかなる社会主義「大国」の圧迫にも毅然とした態度を取りつづけたことに信頼したからです。
1989年の天安門事件当時、わたしは九州の片田舎の高校生にすぎませんでした。天安門事件が日本党に及ぼす影響を心配していましたが、「言語道断の暴挙を怒りを込めて断固糾弾する」という大見出しの踊った『赤旗』を見て、「ゆくゆくはこの党とともに人生を歩むだろう」と無意識に感じました。
さて、われわれの党は10年経った現在でも天安門事件に関して当時と同じような見解にたっています。それはとてもいいことです。どんなに歴史が流れようとも、あの事件は「人民解放軍」が人民を弾圧した事件に変わりないからです。
しかしながら、残念なことに中国党は未だに天安門事件を反省していません。確かに「暴乱」とか「反革命動乱」という表現は使われていませんが、やはり「政治的風波」という表現で否定的です。
自らの人民をある程度確信的に殺害する政府の政権党と関係を結ぶことがはたして共産主義党として正しい行動なのか、はなはだ疑問です。
実際、中国党幹部はわれわれの党との意見の相違を認めています。少なくとも、中国党幹部は天安門で起こった事態を「社会主義的民主主義とは両立しえない暴挙」(不破委員長の言葉)とは思っておらず、「必要な措置だった」(江沢民総書記の言葉)と考えているのです。
さて、中国党に対してわれわれの党はどんな評価をしているのでしょうか。もちろん中国党を批判もしつつも、他方では今の最高幹部は天安門事件後に加わったということ、「人治」から「法治」への移行が行なわれようとしていることを評価的に伝えています。
私は、中国党との関係について、順序は違ってしまったが、全党的議論を起こすべきと考えます。
それこそが、真の日中共産党の良好で協力的な関係を作り上げるための第一歩になると信じています。