RUKAさんが予想されているように、今年になってある民青同盟幹部の女性問題の乱れが摘発されました。彼は持ち前の押しの強さで将来が期待されていた活動家だったのですが、問題の発覚後、「党は信用できない」との捨てぜりふを残して党の調査を拒否、失踪してしまったそうです。
民青同盟は事件発覚後に2中委を開いたのですが「被害を受けた方のことを考慮して」との理由で決議などでは、この問題についてはいっさい公表しないことにしたようです(もちろん、『民青新聞』や『われ高』をお読みの方なら恋愛と性の特集が最近あったことにお気づきだとは思いますが)。
私としてはこの問題を彼個人の資質の問題や「ブルジョア個人主義」への転落という部分だけでとらえてはいけないと思います。彼がもともとそういった弱点をもっている人間だったとするなら、そういった者を専従とした党と民青の責任が問われるわけですし、彼が民青専従となった後に「ブルジョア個人主義」に転落したとするなら、「社会進歩」をめざす組織の専従者がなぜそれに逆行する「反社会的な存在」となったのか党と民青は真剣に自己批判的に解明する義務があったのではないでしょうか。問題に何も触れないのが「考慮」では(たとえ対処療法的に学習を強化したとしても)傷ついた方にとって誠意ある対応なのか疑問ですし、組織が「誤り」を真に克服するためにほとんど役に立たないはずです。(「臭い物には蓋」ではないと思いますが)
彼のように問題を起こすかは別としても、専従者は過重労働とその原因でもある上級からの不断の「指導・点検」と無理のある思想的「確信」によって心の余裕を失っている者が多いような気がします。こうした専従者の置かれている状況が、あるときは現状を打破する「強力」な指導力として、またあるときは弱い方向への(彼のような)「転落」としてあらわれる場合があるのかと思います。
よろしかったら、みなさんの専従者への思いを聞かせて頂けたらと思います。