本日の(10/8)赤旗日刊紙の一面のトップ見出しを見てぶったまげました。日本共産党の「改革論」は世界に通用する。これは一体どういうことでしょうか。百歩も二百歩も譲ればいわんとすることはわからないでもありませんが、「革命論」は忘れてしまったのでしょうか。路線を世界に押しつけたいのでしょうか。とんでもない表現です。
先日から社会主義について、マルクス主義について投稿が続いていますが、私たちはもっと真剣に革命を語るべきではないでしょうか。どんな用語を使うかに本質が現れるものです。私たちはあくまで革命を起こそうとする集団ですし、共産主義社会を目指す組織です。以前にも書きましたが、大衆的前衛党の大衆の部分に埋没しすぎているのではないでしょうか。私たちが前衛であることを自覚していないのではないでしょうか。
議員になってから様々な「あら」が見えてきました。端的に言って、根性の座っていない幹部が多すぎます。全力を尽くすと言って戦った選挙に負けて、涙一つこぼさないようでは、全力で戦わなかったことが明白ではないですか。言葉に責任を持たないのでは革命と口に出せないのも当たり前です。
私はこのごろよく考えます。自分に腹が切れるだろうかと。そこまでの決意で自らの思想を実践しているだろうかと。今後、我が党が再び非合法とされる可能性も孕んだこの日本で、胸を張って日本共産党員として非転向を貫けるだけの覚悟があるだろうかと。
地区委員長がしきりに大運動はそれ自体が目的ではなく、総選挙勝利を目指す活動なんだと強調します。しかし、私たちの活動はすべて日本革命のためであるはずで、その途中に民主的改革があるにしても目的ではありません。革命を語らないで赤旗を増やしてくれ、党員を増やしてくれでは本末転倒も甚だしい。もちろん私自身は機関の求めには応えていますが、空しさが残るのも事実です。
壮大な目的のためには死ねるけれども、今の状態では党のためには死ねない、これが率直なところです。
誤解のないように言っておきますが、私は日本共産党は大好きです、嫌いなところを除けば。