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党員用討論欄

多国籍軍派遣は憲法に違反する

1999/10/16 『雑草』、20代

 先日のフンコロガシさんの投稿について・・・

多国籍軍による治安回復行為が戦争行動でないのは明白であり、明確な戦争行動である湾岸戦争の場合とは明らかに異質なものです。湾岸戦争の場合を例にとっての今回の財政支援批判は的外れなものです。

 そうでしょうか?「治安回復行為」なるものと、「戦争行動」なるものを一体どのような基準で区別するのでしょうか。湾岸戦争にしろ、ユーゴ空爆にしろ、ソマリア問題にしろ、戦争行動であり治安回復行為であったのではないでしょうか。湾岸戦争だって、クウェートへの侵略、クルド人・国内反対派へのイラク当局による虐殺という、人道的な介入が根拠じゃなかったでしょうか。

したがって、今回の多国籍軍への財政支援は戦費、すなわち戦争に要する費用とは言えず、何ら憲法9条に抵触することもなければ、湾岸戦争時の党の見解とも矛盾はないと思います。

 憲法9条はあらゆる軍事力の行使を禁じているのであって、それが「人道的」かそうでないかという価値観で論じられるものではありません。したがって、多国籍「軍」への支出は、いかなる目的のものであれ、戦費の費用に使われるものと当然考えるべきでしょう。また、ここで当然疑問としてあがるのは、「金だけ出して、何故人は出さないのか?」ということです。フンコロガシさんの言う、「正しい治安回復行動」に金だけ出して人を出さないのは、それこそ非人道的なんじゃないですか? 既に東ティモールでは戦闘が始まり、血が流されているんですよ。他国の人々が血を流しているのに、自分たちは金だけだしていていいんですか? 金を出すことと人を出すことにそんなに違いがあるんでしょうか? とすると、多国籍軍に人を出すことは憲法違反にならないんでしょうか?。

仮にオーストリア軍派遣の理由が人道上以外の意図にあったとしても、それが人道的効果を生みだす行為なのであれば、非人道的結末に至る人道的意図よりはるかにましなはずです。この場合の人道的効果とは、罪なき人々が「殺されない」ことであり、非人道的結末とは罪なき人々が「虐殺」されることです。その行為(豪州軍派遣)がいかなる政治的時間的文脈の中にあるとしても、後者より前者の選択の方が是であり、人道的行為であることは言うまでもありません。

 この「人道的介入」なる口実で、これまでどれだけの戦争が引き起こされ、どれだけの血が流されたことか・・・。確かにユーゴのミシェロビッチをみても、民族主義を煽り、ジェノサイドを行なってきたことは明白である。しかし、その解決が武力の行使によって果たして効果的に成されたのか否かは、例えば千田善「ユーゴ紛争は何故おこったか」(剄草1999)などを読んでも、疑問といわざるを得ません。

 「東ティモールでの虐殺をやめさせることは、それ自体としては肯定的に評価されるべきこと」であるのに、肯定的に評価されるべき行為を支援することを否定する行為は、憲法云々以前の大いなる矛盾です。それとも、憲法9条は「肯定的に評価される行為」を否定する憲法なのでしょうか?

 憲法9条は「肯定的に評価される行為」なる手前勝手な判断で、軍事力を行使することを明かに禁止しています。ここまでくると小沢一郎の憲法前文に依拠した「国際貢献」イデオロギーと何が違うのかわからなくなります。
 例えばオウム真理教という教団があります。私も、そして多くの人々もこの教団のファッショ的な性格に警戒心をもって、できれば消えて無くなってほしいと思っているでしょう。しかし、「ひどいから」「許せないから」あいつらに破壊活動防止法を適用してしまえ、という話にしてしまってよいのでしょうか。私はその対象がいかに反民主主義的であれ、それに対して憲法違反の、人権侵害を引き起こすような法律を課すことには絶対反対です。我々は法と秩序ではない他の方法でオウム問題を解決していかなければならないと思います。これと今回の問題も同じです。いかに東ティモールの事態が深刻だろうと、我々が、少なくとも憲法の理念がこれから未来に渡って普遍的な意義をもつものと考える限り、これを遵守し、一切の軍事的手段の行使に関与すべきではないと思います。我々はそれ以外の方法での解決を模索すべきです。