私の投稿に対して色々反応があったようで、興味深く拝見しました。
すべての意見に対して回答していると大変なので、とりあえず以下の疑問に対して答えたいと思います。
1、「戦争と治安回復行動を明確に分離できないのでは?」
確かに戦争が治安回復をその目的としてを含む事はあります。しかし少なくとも東ティモールの場合は、湾岸戦争やユーゴの様な「国家対国家」の戦いではありません。当事国であるインドネシア自体が派遣を認めてもいます。部隊はインドネシアの警察や軍がなすべき事の肩代わりをやっているだけにすぎません。
仮に戦争と治安回復行為の境が不明瞭だったとしても、我々は「これをもって戦争である」と言う明確な判断をを持たなくてはいけません。なぜなら我が国は憲法でもって戦争を否定しているのですから。「××をしてはいけない」と法で定めながら、その「××」の定義付けもできないようであれば、その法は死んでいるも同然です。
戦争と治安回復行為、これらの境目が明確に分離できないとしたら、大変な事になってしまいます。もし我が国で何らかの武装組織が東ティモールのような虐殺行為を起こしたとしたら、これを制圧する行為は戦争行為となりかねず、戦争を禁止した憲法に違反し、これを阻止する事はできない事になります(もっとも、憲法は国内での戦争は放棄していないと言うのでもあれば話は別ですが・・・)。現実にサリンや自動小銃を製造してまでそのような行動を起こそうとした組織が存在したことは、誰もが知る事実です。木村さんが疑問を持った「同様の行為」と言うのはこの様な「日本国内で武装組織が起こす虐殺・争乱」と言う意味です。
日本国内で治安を守るのは警察であって、東ティモールにおける多国籍"軍"とは違うと言う意見もあるでしょう。だとすれば東ティモールに派遣された部隊を「多国籍警察」と言う名前にでもすれば、みなさんは納得するのでしょうか?
2、「今回の資金援助が憲法違反でないのなら、人を派遣することも憲法違反でないということになるのでは?」
治安を維持し取り締まるのは普通警察の役割です。しかしながら東ティモールの場合、武装民兵は強力な武器を装備しており、日本においてはこれらに対抗しうる組織は自衛隊以外にはありません。しかし自衛隊は存在自体が憲法違反であるため、その目的に関わらず派遣自体も同様に憲法違反になります。
それでも「金だけではなく血も汗も流す貢献を」と言う人がいれば、政府が派遣する部隊ではなく、個人の意志で多国籍軍に参加するのであれば、これを阻む法は日本にはありません。
3、「この問題は単なる人道上の問題ではない」
確かに単なる人道上だけの問題ではありません。私は人道上の問題だけで東ティモールの問題を語れと言っているのではありません。しかしそれ以外の問題のために人道的問題が後ろに追いやられるのが間違っていないのだとしたら、私は今後「人道的」などと言うことはやめます。
人道上の対処をおこなった上で、後にその他の問題に照らし合わせて間違いであったのであれば、そのことを反省することはいくらでもできます。しかし人道的見地以外からによる判断を優先し、後で人道的対処をしたとしても意味がありません。なぜなら死んだ人は戻ってはこないからです。それでも疑問に思うのであれば、その時に虐殺された人々の遺族に対して「とりあえず人道的見地からの判断を優先しようと言う意見も有ったが、そうしなかった事に対してどう思うか?」と言う質問をすればよいでしょう。
4、「共産党が財政支出に賛成したのは、人的貢献は許されないが財政的貢献は許されるという論理にもとづいている」
だとすれば、たしかに私もその論理には疑問を感じます。
5、「オーストラリアの軍国主義的意図」
私もその軍国主義的意図の存在を否定するつもりはありません。しかし今回の派遣がそうした軍国主義的影響力を発揮できる内容のものであるのならば、その内容自体が問題なのです。言い方を変えれば、「派遣された部隊に、本来の目的(治安回復)以外の目的があったとしても、その活動が他の目的の達成に利用されうる内容の活動であってはならない」ということです。