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党員用討論欄

党員同士の自由な議論のために(提案)

1999/11/23 M・T、50代、労働者

 同志の皆さん、こんにちは。通常の枠を越えて、こうして全国の同志と率直に、直接的に語り合うことができるのは、まず何よりも楽しいことですね。自由闊達な議論、そして一致した行動、これこそが前衛党の生命だといえましょう。
 自由闊達な議論がどれだけ組織にいい意味での活力を与えるか、計り知れません。そういう意味で、こうした議論の場を「アングラ」の世界にとどめておくのはもったいないことです。
 ここに投稿している同志の、悩みながらも社会変革のために頑張っている誠実な姿を見て、やはり日本共産党は革命家の集団なのだなと、改めて自分の居場所を見出した思いがします。若干の例外はあるものの、同志的連帯と誠実さ、そして鋭い問題意識と批判精神があります。こうした同志が「処分」といった愚劣な圧迫なしに自由に議論を行なえるようになれば、どれだけ党にとって有意義なことか、私は痛切にそう思います。
 ただ付言しますが、「さざ波通信」編集部の姿勢に全面的に賛同しているわけではありません。分派的活動を戒める姿勢やHP運営のその誠実さはおおいに評価しますが、中央の同志への姿勢があまりに「反体制的」である点、ややもすれば中央の同志のあらさがしに堕している傾向がありはしないかと危惧します(具体的な指摘は割愛します)。党への批判は他者への批判ではなく、自己批判なのだという姿勢を持って欲しい。杞憂であればいいのですが、下手をすれば権力側に付け入られる隙を与えることにもなりかねませんから、特に注意が必要だと思います。まあ、「反体制的」なのは私たちの特長でもありますが。

 それにしても、です。こうした議論の場が、こうした「反体制的」な(そして青年の!)同志たちの手によって生まれた事実は、私には、何か象徴的な事柄に思えます。さらに誤解を恐れずに言えば、こうした有意義な議論の場は、そうした「反体制的」同志の手からしか生まれえなかったのではないかと思うのです。やはりアンチテーゼは進歩のために必要不可欠なのです。
 党の機構に官僚的な側面(あくまでも一つの側面)があることは、これは誰も否定できないでしょう。しかしこれは民主集中制という制度とはまったく別の、いうならば日本的カルチュアの問題だと思います(私の勤めている会社のほうがひどいし、官僚機構ではもっとひどいだろう)。もちろん、だからといって、免罪されるわけではありません。むしろ、私たち共産党こそそうした官僚的機構と無縁であるべきです。
 では、どうすればいいのでしょうか。先に私は「アンチテーゼは進歩に必要」と書きました。よもやこのことを否定する共産党員はいないでしょう。大事なことは、このアンチテーゼを生産的・発展的な形で生かすことです。私たちの組織はここがまったく不十分なのではないでしょうか。形式の問題ではなく、実質的に。大会等での「討論」は討論ではありえず、活動報告でしかない点、皆さんよくご存知だと思います(ただし活動報告がいけないと言っているのでは、むろんありません)。
 第一に、党員が党を批判する「自己批判」は、党をよりよく改善していくために必要不可欠なのだということを改めて全党員が再認識すること、これが基本だと思います。したがって「反体制的」な言動は圧殺するのではなく、むしろ党を発展させるものとして歓迎し、それを組織改革に具体的に生かしていくことです。  以上を前提としたうえで、具体的に提案したい。インターネットという格好の自由闊達な議論の場があるのですから、党として党員の議論の場をネット上に常設してはどうでしょうか。「党として」となると人畜無害の優等生的「討論」に堕する恐れもありますから、

  1. 発言は匿名で(防衛上の問題でいっても当然ですが)、
  2. そして、そのサイトの運営にはこの「さざ波~」の同志に参加協力してもらうこと(党の発展を願う気持ちも、技術力も、人一倍あるでしょうし、そこまで大胆にやらなければ駄目です)、
  3. 中央その他の指導的位置にある同志も一党員として議論に参加すること。
  4. さらには、党員がこうした議論の場をネット上に持つことを「規約と違反しない」旨、公表すること。

 私自身、党組織の改革案として日ごろ考えていることが幾つかありますが、今の状態ではそれをきちんと議論し、具体化することは不可能です。すべては自由な議論からです。たとえ非生産的な議論が最初はあろうとも、時に分散的・自由主義的傾向が頭をもたげようとも、議論という対等で誠実な双方向の知的営みがあれば、必ず私たちは真理により接近できるでしょうし、そこで得られた結論は、たとえそれが段階的なものであろうとも、自発性のない用意された公式的結論よりも、深いところから私たちを突き動かすでしょう。
 このことは青年の党への結集の問題や、国民の党への疑念の問題でも大事なことだと思うのですが、聡明な同志の皆さんはすでにお分かりのことでしょうから、それにもう長くなりましたから、筆を置くことといたします。

 短くまとめたために舌足らずになってしまいましたが、同志の皆さんの議論を心待ちにしています。