日本共産党資料館

ふたたびアメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線の強化について

(『赤旗』1966年8月8日)


一、ハノイ、ハイフォン爆撃とベトナム侵略戦争の段階的拡大

二、アメリカ帝国主義に反対する闘争とベトナム人民にたいする国際的支授の決定的強化について

三、ソ連共産党指導部の評価と統一行動の問題

四、反帝闘争と反修正主義闘争との関係の問題

五、二つの戦線での闘争とマルクス・レーニン主義の堅持


 アメリカ帝国主義の凶暴なベトナム侵略戦争に反対する全世界の人民、反帝民主勢力の闘争は、うたがいもなく、戦後最大の国際的闘争の一つとなっている。

 ベトナム人民の正義の闘争は、あらゆる国で、思想・信条の別をこえて、もっとも広範な人びとから支持をうけている。国際民主運動の一連の会議では、ベトナム問題がもっとも重要な議題の一つにとりあげられ、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対し、ベトナム民主共和国政府の4項目の主張、南ベトナム解放民族戦線の5項目の声明を支持し、ベトナム人民にたいする精神的、物質的支援を強化する決議が採択されている。これらの決議にもとづき、また今年の1月、ハバナで第1回大会をひらいたアジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民連帯機構のよびかけにこたえて、世界のすべての大陸で、アメリカ帝国主義のベトナム侵略とその拡大を糾弾し、アメリカ軍隊がベトナムから撤退してベトナム問題をベドナム人民の手にまかせることを要求する大衆集会、大衆的デモンストレーションがおこなわれている。英雄的にたたかっているベトナム人民にたいするさまざまの支援も全体として強化されつつある。各国人民はみずからの解放闘争と、世界人民の共通の敵であるアメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する共同の闘争との深い関連を自覚し、国際反帝統一行動の強化をいっそうつよく要求している。

 日本人民もまた、ベトナム侵略反対闘争を、日本人民が当面している第一の国際的課題としてたたかっている。とくにアメリカ帝国主義が日本をベトナム侵略戦争の重要な拠点とし、佐藤内閣がそれに積極的に協力して、軍国主義復活政策をおしすすめている情勢のもとで、ベトナム侵略反対闘争と日本の核基地化反対、安保条約破棄、沖縄・小笠原の返還、小選挙区制反対、憲法改悪阻止、生活と権利の擁護などの日本人民自身の闘争課題との結びつきはいっそう緊密なものとなっている。

 わが党は、日本人民の解放をめざす見地からも、国際的反帝闘争をさらに強化する見地からも、ベトナム侵略、反対闘争のもつ意義をとくに重視し、わが党の綱領の見地を具体化した四つの旗の一つ、「アメリカを先頭とする帝国主義に反対する民族解放と平和の国際統一戦線の旗」を高くかかげ、日本の民主勢力の先頭に立ってたたかってきた。

 同時にわが党は、反帝民主勢力、とくにその中心部隊となるべき国際共産主義運動内部の誤った路線とそれにもとづく不団結が、アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争とその拡大に利用されてきた事態を重視し、すべての反帝民主勢力の国際統一行動と統一戦線の強化を、一貫して訴えつづけてきた。

 たとえばわが党は、本年(1966)2月4日付の『赤旗』に、論文「アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線を強化するために」を発表した。これは、昨年30周年を迎えた共産主義インタナショナル(コミンテルン)第7回大会の反ファシズム統一戦線戦術の歴史的教訓を想起しながら、いま国際情勢の最大の焦点となっているアメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する、全世界のすべての反帝民主勢力の国際的な行動の統一、国際的な統一戦線の強化がもっとも重要な任務となっていることを主張し、この国際統一行動と統一戦線に関連する理論的、実践的諸問題を解明したものである。その後の情勢、とくにアメリカ帝国主義のハノイ、ハイフォン爆撃の強行によって、アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動の強化はますます焦眉の課題となった。だが同時に、この数年来の国際共産主義運動の原則上の意見の相違と関連して、国際統一行動の問題をめぐって、さまざまな見解が提起されている。わが国でも、ソ連共産党指導部に盲従してきた志賀一派の反党修正主義者だけでなく、腐敗した反党分子である志田重男一派その他の一握りの反党教条主義者にちも、わが党の路線にたいして、さまざまな悪罵と中傷を投げつけている。今日の重大な情勢がますますつよく要求している反帝統一戦線強化の任務にこたえるためには、かれらの見解の誤りを徹底的に暴露し、国際統一行動をめぐる理論的、実践的諸問題をいっそう深く解明する必要がある。

一、ハノイ、ハイフォン爆撃とベトナム侵略戦争の段階的拡大

 昨年(1965)2月のベトナム民主共和国にたいする連続約な「北爆」開始以来約1年半たった今日、アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争は、さらにいっそう重大な段階にはいりつつある。

 さる6月29日、アメリカ帝国主義がベトナム民主共和国の首都ハノイおよびこの国の重要な工業都市、港湾都市であるハイフォンにたいする爆撃を公然と開始して以来、ハノイ、ハイフォンにたいする連日の爆撃が強行されている。

 アメリカ帝国主義のハノイ、ハイフォン爆撃という重大事態を迎えて発表された、わが党中央委員会幹部会の6月29日付声明はつぎのようにのべている。

 「アメリカ帝国主義は、大増強した米軍による乾期作戦の失敗、占領地域における反米闘争の発展などで窮地におちいりながら、あくまで帝国主義侵略者としての野望をとげようとし、侵略戦争の新しい拡大にふみきった。ハノイ、ハイフォン爆撃は、ベトナム人民にたいする侵略行為のさらに暴虐な拡大であるだけでなく、社会主義陣営全体にたいする許すことのできない正面からの攻撃であり、アジアと世界の平和にたいするもっとも重大な挑戦である」
 「アメリカ帝国主義のハノイ、ハイフォン爆撃という事態のもとで、ベトナム侵略とその拡大に反対する国際統一行動と統一戦線の強化は、全世界の反帝民主勢力のもっとも緊急な任務になった。全世界の反帝勢力の団結した力をもって、アメリカ帝国主義の侵略の恥しらずな拡大に効果的な反撃を加え、この野望を徹底的に粉砕しなければならない。そのために、国際共産主義運動、社会主義陣営は、反帝闘争の先頭にたって行動を統一し、反帝国際統一戦線の中心部隊とならなければならない。
 そのことは、アメリカ帝国主義のベトナム人民とベトナム民主共和国にたいする侵略拡大と、アジアの平和、社会主義陣営への新しい挑戦にたいするもっとも効果的な回答である。
 それはまた、アメリカ帝国主義によるアジアの他の社会主義国への侵略,第3次世界大戦への放火を阻止する、先制的、効果的な反撃である」

 とくに「北爆」開始以来、アメリカ帝国主義の凶暴なベトナム侵略戦争にたいして全世界人民の抗議がたかまり、ベトナム人民の正義の闘争にたいする国際的支援がひろがって、帝国主義陣営内部の矛盾などいろいろな困難が拡大し、アメリカ帝国主義の国際的孤立はさらに進行している。ジョンソン政府の今回の暴挙は、こうしてそのベトナム侵略戦争がますます窮地に追いつめられた結果、おこなわれたものである。ジョンソン政府は、南べトナムを新しい植民地と軍事基地に変え、それによって、東南アジアにおける民族解放闘争を抑圧し東南アジア全体をアメリカ帝国主義の支配下におくというその戦争目的を達成するために、ベトナム侵略戦争のさらに新しい大規模な拡大にふみきった。

 ジョンソン政府がおしすすめているベトナム侵略政策のいちじるしい特徴は、欺まん的な「和平提案」を利用しながらその侵略を一歩一歩、拡大していくという「段階的拡大」(エスカレーション)の戦術をとっていることにある。たとえば1964年6月、ジョンソン政府は、ラスク、マクナマラ、テーラー、ロッジなど40数名の政府、軍首脳をあつめた第1回ホノルル会議でベトナム侵略戦争拡大の基本計画をねりあげ、北ベトナム沖合への米空母の出動を第一段階とし17度線の侵犯から北ベトナムの工業施設の爆撃にいたる12段階の「段階戦略」を決定した。この計画にしたがって、同年8月の「トンキン湾」事件と最初の北爆、翌1965年2月からの連続的北爆の開始が順を追って実行されていった。それでも目的をとげることができないと、かれらはさらに南ベトナムへの米軍の大量増強、北爆の強化、ラオス、カンボジアへの段階的な侵略拡大、中国領空への侵犯などにすすんでいった。そして今日、アメリカ帝国主義がこれまで「聖域」などと称して、一応留保する態度をみせてきたハノイ、ハイフォンの爆撃に公然とふみきったことは、かれらがベトナム侵略戦争をさらに大規模に拡大することをねらって、いっそう危険な内容をもった「段階的拡大」を開始したことを意味している。

 ジョンソン政府がこのような段階的拡大の戦術を採用している主要なねらいはつぎの3点にある。

 第一のねらいは、それによって世界人民を欺まんし、ジュネーブ協定をふみにじりいっさいの国際法を無視した凶悪なベトナム侵略戦争とその拡大に反対する全世界的な闘争のもりあがりをおさえることである。帝国主義勢力と反帝・民族解放・平和の勢力との今日の力関係のもとで、かれらは、各国人民の反対闘争を手におえないほど大きくするおそれのある侵略戦争の急激な拡大のかわりに、しだいに侵路を拡大してゆく戦術をとっている。そして、そのあいだに欺まん的な「和平提案」をくりかえし、アメリカの「平和的意図」と「限定された戦争目的」なるものを宣伝し、やむをえない措置であるかのようにみせかけながらつぎの拡大にすすんでいく方法をとっている。反対闘争を肩すかしし、分散させ、同時に広範な人民に、ベトナム侵略戦争という「きたない戦争」にしだいになれさせ、これを慢性化した既成事実としてうけいれさせようというのである。

 第二のねらいは、この数年来、国際共産主義運動、社会主義陣営内部に生まれた反帝闘争を回避する日和見主義路線とそれにもとづく不団結につけこみながら、国際共産主義運動、社会主義陣営の反応を打算し、団結した決定的反撃をうけるおそれが少ないことをたしかめつつ、一歩一歩侵略を拡大してゆくことである。

 社会主義陣営にたいする公然たる侵略を意味する1964年8月の「トンキン湾」事件と最初の北爆に際して当時のソ連首相でありソ連共産党第一書記であったフルシチョフは、この問題を、国連安保理事会にもちこむことに賛成して事実上見のがす態度をとった。ジョンソン政府はこのことをみとどけたのち、昨年(1965)2月、コスイギン首相がハノイ訪問中であるにもかかわらず大規模な北爆を開始した。そしてコスイギン首相が帰途北京を訪問しても、社会主義陣営の団結した反撃が実現するどころか、3月1日にはモスクワで国際共産主義運動の不団結を表面化した会議がひらかれるのをみて、その翌日、一時休止していた北爆を大規模に再開した。アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争が、その侵略的本質にもとづくものであることはいうまでもない。だが同時に、その拡大の実行、とくに社会主義陣営の南の前哨であるベトナム民主共和国にたいする侵略の強化は、このように、国際共産主義運動および社会主義陣営の不団結につけこみ、そのベトナム人民にたいする国際的支援の規模と程度を計算にいれつつ、おこなわれてきたのである。このことはわが党がこれまでくりかえし強調してきたところである。

 第三のねらいは、ベトナム侵略戦争をめぐる帝国主義陣営の内部対立をおさえ、全帝国主義陣営をできるだけ結集して、ベトナム侵略戦争を遂行することである。よく知られているように、ベトナム侵略戦争にたいしては、帝国主義陣営内部でも米、仏の矛盾の激化を反映してフランスのドゴールその他からの批判があり、アメリカの議会のなかにも、ベトナム侵略戦争に反対するアメリカ人民の闘争の圧力をも受けたフルブライト上院外交委員長、マンスフィールド上院民主党院内総務をはじめとする批判意見もある。これはアメリカ帝国主義が国連軍の名のもとに帝国主義陣営をほぼ動員することができた朝鮮戦争当時とは、ある程度ことなった困難な条件をジョンソン政府に課している。これらの内部対立が激化する危険、ジョンソン政府が決定的に孤立する危険をさけながらベトナム侵略戦争を拡大するためには、一方ではアメリカがうけいれることのできる「和平」の条件とその「用意」を多少とも具体的に示してみせながら、他方では、このような「和平」を実現させるために必要な最小限の措置という口実のもとに、一歩ずつ侵略の拡大をおこなうことが必要なのである。

 そして重要なことは、このような段階的拡大のねらいのなかに、今日における侵略と戦争の主勢力としてのアメリカ帝国主義の、凶暴な侵略者の本質が一貫してつらぬかれていることであり、段階的拡大の一段一段の失敗ごとに侵略の強化と拡大の欲求がますます強まっていることである。

 かれらの論理はきわめて単純である。すなわち、「失敗は力がたりなかったためであり、力さえつよければ勝利する」というものであり、「北ベトナムの侵略から南ベトナムを守るためには、アメリカにできることならなんでもやる」というものである。当面南ベトナムの確保を至上命令としているアメリカ帝国主義者は、政治的、軍事的に窮地におちいればおちいるほど、新しい困難にとりまかれればとりまかれるほど、力の培強による事態の打開とそのあとにくるはずの「勝利」を、ますます必死になって追求せざるをえない。

 ジョンソンはこの論理を、ことしの年頭教書では、つぎのようなケネディばりの美辞麓句で語ってみせた。

 「われわれは紛争を限定するよう努めるであろう。われわれは破壊の増大も欲しないし、危険の増大も招きたくないからである。しかし、われわれはアメリカ将兵にかれらが必要とするすべてを与えるつもりである――必要なすべての銃を、すべてのカネを、すべての決定を――犠牲がいかに大きかろうと、課題がいかにきびしかろうと」
 「十分明白にしておきたい。それは『幾日』が『幾ヵ月』になるか『幾ヵ月』が『幾年』にもなるかもしれないが、侵略がわれわれに戦いを命ずるかぎり、われわれはとどまるつもりであるということである」

 アメリカ軍部の代弁者の1人である「ニューヨーク・タイムス」のハンソン・ボールドウインは同じ内容をよりむきだしにのべている。

 「勝つためにはエスカレートしなければならない。しかしエスカレーションだけが勝利を保証するものではない。時間の要素が何よりも重要である。敵から先手を奪うためには、ベトナムでの軍事力増強は速やかにやらねばならぬ」(「ベトナム戦争論」、『朝日新聞』1966年3月15日)

 「勝つためにはエスカレートしなければならない」――ボールドウインが公然とのべたこの言葉こそ、かつて中国の東北地方にたいする侵略を中国全土からアジア全域におしひろげた日本帝国主義者、オーストリア、チェコスロパキアにたいする侵略を全ヨーロッパから対ソ侵略にまでおしひろげたドイツ・ファシズムが信じこんだ侵略の教理にほかならない。それ以後世界史が全体として巨大な前進をとげ、資本主義の全般的危機がいっそう深化した今日の情勢のもとで、アメリカ帝国主義は東南アジアで、「共産主義の脅威」をふりかざして、旧日本軍国主義とドイツ・ファシズムがたどった侵略の道を一足、一足すすみつつある。

 「勝つため」にこれまで追求されてきた侵略の段階的拡大の一歩一歩は、アメリカ帝国主義の国際的孤立の進行と結びついているだけでなく、つねに、南ベトナムにおけるアメリカ帝国主義の地位が、そのままでは「負ける」ほかはないほどに悪化してきた一歩一歩と結びついていた。たとえば、南ベトナムを平定しようという「ステーリー・テーラー計画」、「ジョンソン・マクナワラ計画」が南ベトナム人民の英雄的闘争によって完全に失敗し、南ベトナムがいらい政権の危機が深まったとき、1964年8月からの北爆が開始された。かいらい軍を前面にたてた「特殊戦争」戦略が完全に挫折し、かいらい軍の崩壊が急速に進行したとき、1965年7月の南ベトナムにたいする米軍の大増強が決定された。そして今回のハノイ、ハイフォン爆撃は、米軍の大量投入にもかかわらず、南ベトナム情勢がさらにいっそう劇的なまでに悪化したことと結びついていた。

 このような南ベトナム情勢の悪化の第一は政治的破綻の進行である。南ベトナムの占領地域では、ダナン、ユエ、サイゴンを中心に、仏教徒、知識人、学生、一般市民による大規模な反米、反政府の大衆闘争が発展した。米軍の圧力、グエン・カオ・キ政権の軍隊による弾圧と懐柔工作による事態収拾も、ほんの一時的なものとしかなりえないであろう。なぜなら、事態の根源は、米軍の大量投入と「殺しつくし、焼きつくし、破壊しつくす」政策そのものが、アメリカ帝国主義と南ベトナム人民とのあいだの根本的矛盾と南ベトナム占領地域での政治的、経済的危機を激化させ、かいらい政権の反民族的本質をさらに暴露し、その内部分化を促進したことにあるからである。

 第二は軍事的破綻である。もっとも機動化された最精鋭の第1空輸師団と第101空てい旅団を全面的に投入しておこなった「乾期攻勢」も、南ベトナム軍民の巧妙な戦術と確信にみちた英雄的な闘争によって失敗に帰した。この戦闘で南ベトナム解放軍は、「11年間のたたかいにおける第3回目の重要な勝利」と評価されているほどの大きな成果をかちとった。30万近くに増強された米軍は、ようやく海岸線に点在するダナン、チュライなどの軍事拠点を占拠することはできたけれども、解放武装勢力を消滅することも、かいらい軍の崩壊の進行をくいとめることもできず、逆に手痛い打撃をこうむった。

 米軍の大増強後の南ベトナム情勢のこのような重大化に加えて、アメリカ国内におけるベトナム侵略反対闘争の拡大、ジョンソン支持率の低下にあらわれた一般国民の焦燥感と早急な解決の要求、支配層内部でのジョンソン批判の高まり、今秋にひかえた中間選挙対策などなどもまた、ジョンソン政府をしてさらに思いきったエスカレーションに突入させる圧力としてはたらいた。ベトナム侵略政策のいっさいが崩壊する脅威からのがれようとして、アメリカ帝国主義は、従来の水準をさらに上まわる侵略の強化と拡大に突進し、その結果、その崩壊の規模をさらに大きくする危険を蓄積しつつある。

 このようにしておこなわれたハノイ、ハイフォンの爆撃は、アメリカ帝国主義にとって、現在の南ベトナム情勢の悪化が重大であればあるほど、その程度に対応した大規模な新しい段階的拡大の序曲となる危険がある。したがってこれは、一時的な試みではけっしてない。もしも、この爆撃にたいする世界人民の抗議、とくに国際共産主義運動、社会主義陣営の断固とした反撃がおこなわれなければ、ジョンソン政府は、さらにハノイ、ハイフォンの工業施設、港湾施設爆撃、港湾封鎖、全面的な水利施設・ダム爆撃などなどの強圧手段をつぎつぎに採用してゆくであろう。現地の米軍やグエン・カオ・キは、ベトナム民主共和国にたいする地上軍の進攻さえ公然と要求し、すでに17度線南の非武装地帯への侵入がはじまっている。

 そして、これらいっさいが、年末までに40万、来年度は60万以上に達するものと予定されている南ベトナムでの米軍増強、「韓」国軍その他の従属国軍隊の増強、ラオス、カンボジアにたいする爆撃の拡大、タイの軍事力増強などと関連して、ベトナム侵略戦争が決定的に、ラオス、カンボジアなどをふくむインドシナ全域における戦争に拡大し、さらには他の社会主義国にたいする侵略戦争に拡大していく危険をますます強めていることは明らかである。

 ジョンソン政府は、凶暴なベトナム侵略戦争にたいする全世界人民の憤激のたかまりに直面しながらも、ベトナム人民に打撃をあたえることに役立つと思われる、侵略戦争拡大のありとあらゆる手段にうったえることによって、南ベトナムのかいらい政権の立て直しと占領地域の拡大、経済再建と治安維持に必要な時をかせごうとしている。だが、南ベトナムの占領地域の情勢がもっともするどく示しているように、このような政治的制圧は、軍事的制圧以上に不可能なことである。そうであるとすれば、ハノイ、ハイフォン爆撃によって幕をあけられた新しい段階は、いままでのすべての段階的拡大と同じようになんらかの効果おさめることができず、かれらはさらに新たな、さらに凶暴な段階的拡大にのりだすことをねらうであろう。

 アメリカ帝国主義者は、明らかに、ベトナム民主共和国にたいする侵略のいっそう重大な拡大に向かって突進しつつある。

 ジョンソン政府は、このような侵略拡大の道をすすみながら、同時に、ある期間をおいで、新しい「和平提案」をふくめた欺まん的な外交的策動をも、さらに大規模に併用しようとするだろう。だが、「ジュネーブ協定は、東南アジアの平和のために十分な基礎を提供するであろう」(1965年12月27日に発表された「14項目の提案」)というような、アメリカ帝国主義にとってのジュネーブ協定の尊重とは、実際には、ジュネーブ協定の各項目の忠実な厳守を意味するものではけっしてない。それは、南北ベトナムの分割と、アメリカ帝国主義による南ベトナム占領という、ジュネーブ協定後のゴ・ジン・ジエム時代の状態への復帰をめざすものでしかない。そのことは、アメリカ帝国主義が宣伝するあらゆる欺まん的な「和平提案」をみても、それらがベトナムからの米軍の即時撤退、南ベトナム解放民族戦線を南ベトナムの唯一の代表としてみとめること、南北ベトナムの統一をはじめとするベトナム民主共和国政府の4項目の主張、南ベトナム解放民族戦線の5項目の声明を基本的に拒否していることによっても明白である。

 ジョンソン政府は、抜け出ることの困難な窮地におちいりながら、南ベトナムにおける侵略戦争においても、ベトナム民主共和国への攻撃においても、より重大な軍事的敗北やより決定的な政治的孤立におちいらないかぎり、南ベトナム支配の目的を捨てず、そのための侵略戦争拡大の方針をかえようとはしていない。ジョンソンは、ハノイ、ハイフォン爆撃後の6月30日、「北ベトナムの軍事施設にたいする爆撃は、他国の自由に挑戦するものにたいし、重い負担と高い代償を課したが、今後もこれを課し続ける」とのべ、さらに7月12日には、「アジアにおける自由と安全保障の義務」をはたすために、「ハノイが平和解決に応じるか、戦闘の停止に応じるまで戦い続ける」と演説し、アジア支配の強化をめざして、大規模な北爆と、凶暴な侵略戦争を継続する意図をかさねて公然と明らかにした。

 ベトナムの情勢は、全世界の反帝民主勢力のまえに、あらためて重大な任務を提起している。

二、アメリカ帝国主義に反対する闘争とベトナム人民にたいする国際的支授の決定的強化について

 6月29日付のわが党中央委員会幹部会声明が指摘しているように、アメリカ帝国主義のハノイ、ハイフォン爆撃というこの重大な事態のもとで、ベトナム侵略とその拡大に反対する国際統一行動と統一戦線を飛躍的に強化することは、全世界の反帝民主勢力のもっとも緊急な任務となった。アメリカ帝国主義のベトナム侵略とその段階的拡大をはばみ、ベトナム問題を正しく解決する決定的な力は、ただ、ベトナム人民の英雄的闘争と、それを断固として支持する反帝民主勢力の効果的な国際的支援の強化と統一行動の積極化にしかない。

1、反帝民主勢力の国際統一行動の緊急性

 広く知られているように、わが党はこれまで、アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争とその拡大を重視し、ベトナム侵略戦争反対を、日本人民が当面しているもっとも重要な闘争課題の一つとしてその先頭に立ってたたかってきた。それと同時に、ベトナム侵略戦争に反対しベトナム人民の正義の闘争を支持するすべての反帝民主勢力、国際民主運動、国際共産主義運動の反帝闘争の強化と国際統一行動の強化を一貫して訴えつづけてきた。すでに指摘したように、反帝民主勢力、とくに国際共産主義運動と社会主義陣営内部の日和見主義路線とそれにもとづく不団結こそ、アメリカ帝国主義がベトナム侵略戦争を拡大するにあたって利用しつづけてきたものであるからである。

 1964年10月、すなわち「トンキン湾」事件とアメリカ帝国主義の最初の北爆がおこなわれて2ヵ月後、そして、フルシチョフを中心とするソ連共産党指導部が、国際共産主義運動の決定的分裂をめざす「国際会議」開催の策謀をすすめていた時期に、わが党は、「もし、アメリカ帝国主義をはじめとする侵略と戦争の国際勢力と断固としてたたかうという方向で、国際共産主義運動と社会主義陣営が団結して共同のたたかいをすすめてきていたならば、インドシナ半島をめぐる国際情勢は、疑いもなく、現状よりわれわれの側にはるかに有利なものとなっていただろう」と指摘した。そして「1957年の宣言と1960年の声明に明確に規定されている各国人民の共同の敵が現におこなっている侵略と一致してたたかう具体的な共同行動について脇議する国際会議を準備すること」を各兄弟党に提案した(1964年10月5日『アカハタ』主張「各国共産党・労働者党の国際会議は、分裂のためでなく、団結に役立つようにおこなわれるべきである――日本共産党の提案」)。

 また1965年4月、すなわちアメリカ帝国主義の大規模な北爆開始から2ヵ月後、そしてソ連共産党指導部が一方的に3月1日の分裂主義的国際会議をひらいてから1ヵ月後に、わが党はアメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争の野蛮な拡大という重大な情勢が「国際労働者階級と全世界の平和、民主勢力にたいして、アメリカ帝国主義を先頭とする帝国主義の戦争と侵略に反対する国際的な統一行動をつよく要請し、なかんずく国際共産主義運動の団結した闘争の強化を、もっとも緊急の任務としている」ことを強調し、3月1日の分裂主義的な会議をひらいたこと自体が「アメリカ帝国主義を鼓舞する結果になったこと」を糾弾した。そして団結のための国際会議がひらかれるか、ひらかれないかにかかわらず、各国共産党・労働者党が「ベトナム人民の正義の闘争の支持、アメリカ帝国主義の侵略戦争反対、米軍の即時撤退のためにただちに一致して闘争にたちあがること、国際民主運動のなかでもアメリカ帝国主義の侵略戦争に反対する方向で共同行動を発展させるよう、ともに努力すること」をよびかけた(1965年4月13日付『アカハタ』「ソ連共産党指導部が3月1日からモスクワに招集した会議について」)。

 さらに、米軍の南ベトナムへの大量投入、北爆の強化、ラオス、カンボジア、中国領空への侵略拡大などによって、ベトナム侵略戦争拡大の危険がますます強まっているにもかかわらず、国際共産主義運動と社会主義陣営の状況がさらに複雑なものとなりつつある情勢のもとで、わが党は、1966年2月に論文「アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線を強化するために」を発表するとともに、2月から4月にかけて宮本書記長を団長とする日本共産党代表団によるベトナム民主共和国、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国の3国訪問をおこない、ベトナム労働党、中国共産党、朝鮮労働党とそれぞれ会談をおこなった。これらの努力の主な目的は、すでに公表された共同コミュニケ、共同声明、3国における宮本書記長の演説などで明らかにされている。すなわちそれは、当面する情勢のもとで、それぞれの国の党および人民との友好関係の強化とともに、国際民主運動と国際共産主義運動のより効果的な支援と共同の問題をふくめて、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する国際的闘争を強化することをめざしたものであった。アメリカ帝国主義は、侵略者としての本質にもとづき、国際共産主義運動と社会主義陣営の不団結にさらにつけこんで、ハノイ、ハイフォン爆撃をはじめとする新たな侵略の拡大にのり出すことが必至とみられる情勢にあったからである。

 アメリカ帝国主義がハノイ、ハイフォン爆撃にふみきったことは、わが党をふくめた真のマルクス・レーニン主義的潮流、自覚的な反帝民主勢力の国際統一行動強化のための努力をむなしくしたものではない。この事態はただ、英雄的なベトナム人民の闘争を支援する国際的闘争強化の努力をいっそう緊急で切実なものとし、1日の猶予も許さないその緊急性をますます広範な共産主義者と反帝民主勢力につよく自覚させるものとなっただけである。

 ナパーム弾からB52の集中爆撃、毒ガスから化学薬品まで、核兵器以外のすべての近代兵器を動員した、残忍きわまるアメリカ帝国主義の侵略にたいして、ベトナム人民はすこしもひるまず、史上まれにみるような不屈の英雄的闘争を敢行している。闘争形態のうえでも、南ベトナム人民は、10年以上におよぶ闘争の経験のなかから政治闘争と武装闘争の結合、都市、農村、山村での闘争の結合など、きわめて効果的な独自の闘争形態を創造しつぎつぎと偉大な勝利を獲得している。南ベトナム人民は、南ベトナム解放民族戦線の指導のもとで、すでに領土の5分の4を解放し、1400万の人ロのうち1000万の人民を解放し、200万ヘクタールの土地を農民に分配した。米軍の大量投入後、昨年11月からのいわゆる「乾期攻勢」にたいしても大きな打撃をあたえ、南ベトナム・解放軍は、ことしのはじめから6月までの集計だけで約4万7000人の米軍をふくむ16万2000人をせん滅、飛行機1400機以上を撃墜破し、7千の各種の火砲を捕獲するという戦果をあげている。

 北ベトナム人民も、連日のアメリカ帝国主義の空襲にたいして、軍民一致した地上砲火による交戦のなかで、幾多の新しい闘争形態を創造し、北爆以来すでに1200機以上の飛行機を撃墜した。北ベトナム人民は、ベトナム労働党の指導のもとで、連日の空襲という困難な状況に耐えぬいて、北部の社会主義を防衛し、意気たかく社会主義建設を前進させつづけている。ベトナム人民のこのような英雄的な闘争と、ベトナム労働党および南ベトナム解放民族戦線の正しい指導とは、ベトナム人民の解放闘争の歴史的勝利を力づよく約束するもっとも重要な条件である。

 しかし、これらのことは、世界の反帝民主勢力が、ベトナム侵略反対闘争を、ベトナム人民の自力でのたたかいにゆだねておいてよいということをけっして意味しない。各国の解放運動の主休はその国の人民であり、アメリカ帝国主義のベトナム侵略をうちやぶり、ベトナム人民の主権、独立、統一をかちとる抗米救国の事業の主体がベトナム人民であることはいうまでもない。ベトナム人民はそのことをはっきり自覚し、もっとも大きな帝国主義国家であるアメリカ帝国主義の侵略と一歩もひかずに対決し、全力をあげてたたかっている。しかし、一般に各国の解放運動にとって、プロレタリア国際主義にもとづく国際的援助が重要な意義をもち、その勝利は国際、国内の力がかたく結合することによって確実に保障されるものである。わけてもベトナム人民の解放闘争の勝利にとっては、全世界の反帝民主勢力、とくに国際共産主義運動と社会主義陣営の国際的援助と共同闘争が重要な役割をもっている。

 第一に、ベトナム侵略戦争の急速な国際化とともに、ベトナム問題は、ベトナム人民の民族的運命を決する問題であると同時に、帝国主義陣営と反帝民主勢力の国際的闘争の、当面もっとも重要な対決点としての性格をますます強めてきた。アメリカ帝国主義は、ベトナム侵略戦争の成功が、かれらの世界支配計画の進行のなかでもつ特別な意味を重視し、ベトナム侵略戦争の国際化をめざして、国際帝国主義陣営、国際反革命勢力をこの侵略にひきいれている。かれらは「韓国」、フイリピン、ニュージーランド、オーストラリア、タイなどに軍隊を派兵させ、日本を補給基地、修理基地、攻撃基地として協力させ、SEATO、東南アジア閣僚会議などをつうじて、アジア反共同盟の結成をはかり、イギリスその他の帝国主義国の政治的支援を利用している。すべての事態は、ベトナムが、帝国主義と社会主義の矛盾、帝国主義と民族解放運動の矛盾、帝国主義諸国間の矛盾、戦争と平和の矛盾などの世界の諸矛盾の集中点となっており、帝国主義勢力と反帝・民族解放・平和の勢力との国際的対決の焦点となっている事実をますます明白にしている。この闘争の帰趨が、ベトナム人民の将来だけでなく、世界の全局に影響する歴史的なものとなることは、論議の余地がない。

 第二に、ベトナム侵略戦争は野蛮な植民地戦争であるだけでなく、現実にアメリカ帝国主義の社会主義陣営にたいする公然たる侵略戦争となっている。ベトナム侵略戦争は、アメリカ帝国主義、将来17度線を越えて地上軍を北上させるとき、はじめて社会主義陣営にたいする侵略戦争になるのではない。一昨年(1964)8月以来おこなわれているベトナム民主共和国にたいする爆撃こそ、社会主義陣営の各個撃破をねらったその一国にたいする攻撃であり、したがってまた社会主義陣営全体にたいする許すことのできない公然とした侵略なのである。

 第三に、人口約3000万人のベトナム人民が相手にしている敵は、今日における戦争と侵略の主勢力、世界反動の主柱であり、世界人民の共適の敵であるアメリカ帝国主義である。アメリカ帝国主義はいま、ベトナム侵略をその世界政策の最重点におき、その国家的「威信」をかけて、ドルと兵器と軍隊をつぎこんでいる。国民所得(名目)を比べてみただけでも、アメリカの年間約5000億ドルにたいし、ベトナム民主共和国は約20億ドルでアメリカの250分の1にすぎない。工業力、技術水準にも格段の開きがあることはいうまでもない。戦争の決定的要素は人間であるが、戦争である以上、武器の優劣は重要な要素の一つである。とくにかいらい軍を前面に立てた戦争が、米軍が直接戦闘にのり出す戦争にしだいに転化し、北爆が強化されている条件のもとでは、近代兵器の役割もまたますます大きくなっている。しかも、ベトナム民主共和国の現状では、航空機、高射砲、ミサイルをはじめとする近代兵器の供給は、主として社会主義国の援助にたよるほかはない。全世界人民の政治的、精神的、物質的支援の一部として、ベトナム人民が必要とするだけの各種兵器が、より効果的に、より速くベトナムに送られるほど、ベトナム人民の犠牲はより少なくてすみ、アメリカ帝国主義がうける打撃がより大きくなり、その困難がさらに大きくなることは明白である。

 このような情勢のもとで、世界人民の共同の敵、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対し、精神的、物質的にベトナム人民を支援するたたかいは、今日すべての反帝民主勢力にとって、文字どおり第一義的な共同の国際的任務となっている。そして現在、この国際的支援が、ベトナム人民が1日も早く最後の勝利をかちとるうえで、きわめて重要な要素の一つとなっていることもまた明白である。各国人民のベトナム侵略反対闘争と、ベトナム人民ににいする国際的支援が積極的であり効果的であればあるほど、ベトナム人民の英雄的闘争の勝利の日はそれだけ早められることになる。いまこそ全世界の人民、反帝民主勢力、国際共産主義運動、社会主義陣営は、共同して、全力をつくし、ベトナム人民を最大限に援助することによって、アメリカ帝国主義の侵略をうち破り、ベトナム人民の英雄的闘争をかがやかしい歴史的勝利のうちに終わらせなくてはならない。万一、われわれが、ベトナム人民の自主的な英雄的闘争を評価し称賛するだけにとどまり、国際的な統一行動と統一戦線を強化してベトナム人民を支援するみずからの任務をすこしでもかろんずるならば、それは実際には、ベトナム人民の革命的闘争力への信頼を理由としてわれわれ自身の国際的責務を回避するという、無責任な立場におちいることとなるであろう。

2、国際共産主義運動の共同の責務

 いまわれわれが、あらためて真剣にきびしい検討をくわえなければならないのは、アメリカ帝国主義のベトナム侵略が激化して以来、国際的な反帝統一戦線の中心部隊となるべき国際共産主義運動、社会主義陣営内部の不団結が、ベトナム人民支援闘争をより効果的なものとするうえでの障害ともなってきたという冷厳な客観的事実である。

 その最大の原因がフルシチョフ時代のソ連共産党指導部の日和見主義・分裂主義の路線にあったことは、指摘するまでもない。すなわち、フルシチョフらは、無原則的な対米追随路線を国際共産主義運動、国際民主運動におしつけ、不団結を激化させただけでなく、「一点の火花も世界大戦になる危険がある」という降伏主義的口実をもちだして、ベトナム人民の闘争にたいする支援をおこなわずアメリカ帝国主義との闘争を極力回避しようとしたのである。もしもあの当時、国際共産主義運動の団結が維持されており、フルシチョフらを中心とするソ連共産党指導部がベトナム人民にたいする断固たる支援の態度、アメリカ帝国主義にたいする断固たる糾弾と反撃の態度をとっていたならば、事態は大きく変わっていたにちがいない。

 フルシチョフが解任されて以後、ソ連共産党指導部の態度は、フルシチョフ時代と比べて一定の変化が生まれたとはいえ、次節でのべるように二面的なものであって、情勢が要求するものに十分ふさわしいものではなかった。同時に、ベトナム人民支援の国際統一行動の重要性を事実上過小評価する別の傾向も生まれてきた。もちろん、これまで、少なからぬ国の党がベトナム人民を支援する闘争の先頭に立って奮闘し、個々の社会主義国のなかにも、全力をあげて大きく貴重な支援をおこない、犠牲を惜しまない努力をはらっている国がある。それにもかかわらず、全体としての国際共産主義運動、社会主義陣営のベトナム人民にたいする支援は十分強力なものということはけっしてできない。

 とくにわれわれが重視するのは、南ベトナムにたいするアメリカ帝国主義の凶暴な侵略の問題とともにベトナム民主共和国にたいする北爆の問題である。

 すでにくりかえし強調したように、北爆は、決定的な主戦場としての南ベトナムにたいする米軍の大量投入とともに、アメリカ帝国主義によるベトナム侵略戦争の凶暴な段階的拡大の主要な手段となっているだけでなく、社会主義陣営にたいする公然たる侵略である。

 6年前、1960年の81ヵ国共産党・労働者党代表者会議の声明は、今日における帝国主義の戦争政策との闘争について、つぎのようにのべていた。

 「この時期における主な結論は、社会主義世界体制の力量と国際的影響力の急激な成長、民族解放運動の打撃による植民地体制のいちじるしい崩壊の過程、資本主義世界における階級闘争の激化、資本主義世界体制のいっそうの衰退と腐朽である。世界の舞台では、帝国主義にたいする社会主義勢力の優位、戦争勢力にたいする平和勢力の優位がますます明らかになっている。
 しかし、帝国主義は自分の陣地を保持しようとして軍縮をさぼり、冷戦をひきのばして、あらゆる方法でそれを激化させようとつとめ、新しい世界大戦を執ように準備している。したがって、実生活は、社会主義諸国、国際労働者階級、反帝国主義民族運動、あらゆる平和愛好諸国、およびすべての平和の戦士にたいして戦争を防ぎ、平和な生活を保障するために力をますます堅く結集し、断固たる行動をとるよう強く要求している。実生活は、帝国主義に反対し、民族独立、社会主義をめざしてたたかうためにすべての革命勢力がいっそう団結するよう強く要求している」

 さらに声明は社会主義陣営の統一と団結についてつぎのようにのべていた。

 「社会主義陣営の団結した力は、個々の社会主義国を帝国主義反動の主権侵害から確実に守る保障である」
「社会主義諸国の発展の経験がかさねて示しているように、これらの国が実績と成果をあげるうえでもっとも主要な国際的条件は、たがいに援助しあい、支持しあうことであり、社会主義陣営の統一と団結から生まれるすべての優越性を利用することである。社会主義陣営は分裂するかもしれないという帝国主義者、変節者、修正主義者どもの期待は砂上の楼閣であって、結局裏切られる運命にある。すべての社会主義国は、社会主義陣営の統一をひとみのように大切にまもっている」

 すべての共産党・労働者党が一致してくだしたこれらの評価と決意にもかかわらず、世界の舞台での帝国主義にたいする社会主義勢力の優位、戦争勢力にたいする平和勢力の優位が強調されてから数年たたないうちに、現実には社会主義国にたいする連日の空襲という事態が慢性化し、さらに激化させられているのである。

 アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争が、アメリカ帝国主義の侵略的本質から生まれているものであることは、もちろんである。しかし、ベトナム侵略戦争の拡大、北爆の慢性化とその激化もまた、アメリカ帝国主義の侵略的本質からいって不可避的なものであるということはできない。むしろ重大なことは、国際共産主義運動と社会主義陣営がその内部にある誤った路線とそれにもとづく不団結によって、団結した効果的な闘争を強力に組織することができないでいる現状につけこんで、アメリカ帝国主義が、北爆を慢性化させ、拡大しているということである。ベトナム民主共和国にたいする爆撃の慢性化と拡大という事態は、事態の本質においては、ソ連や中国にたいするアメリカ帝国主義の連日にわたる空襲という事態となんの変わりもない。これにたいして、個々の党、個々の社会主義国の努力と闘争にもかかわらず、国際共産主義運動と社会主義陣営がこれまでおこなってきた全体としての抗議と反撃の弱さ、とくに共同した支援の欠如は、残念なことにだれもがみとめないわけにはいかないものである。

 もちろん、帝国主義の戦争と侵略があるかぎり、世界の舞台での力関係や、社会主義陣営の団結だけで、自動的にすべての社会主義国の主権が完全無欠にまもられるなどということは正しくない。戦後の朝鮮戦争の例が示すように、国際共産主義運動と社会主義陣営が団結していた時期にも、アメリカ帝国主義の朝鮮民主主義人民共和国にたいする公然たる侵略戦争がおこなわれた。だが、団結していても帝国主義の社会主義陣営にたいする侵略がおこなわれたことがあるということは、けっして現在の事態をそのままにしておいてよいということではない。同じく朝鮮戦争で、朝鮮人民の英雄的闘争とそれを支援する国際共産主義運動および社会主義陣営の団結した闘争によって、朝鮮民主主義人民共和国の主権が守りぬかれた経験が示すように、団結して帝国主義の主権侵害とたたかう決意と実行のなかにこそ、究極的にすべての社会主義国の主権を守りぬく保障が存在している。そして、国際共産主義運動内部に原則上の意見の相違がある条件のもとでも、もしも、国際共産主義運動とすべての社会主義国が、アメリカ帝国主義の南ベトナム侵略と北爆にたいして、断固として行動を統一し、強力な糾弾と対決をおこなっていたならば、アメリカ帝国主義が今日のような北爆の慢性化と激化というような凶暴な行動に出ることができたかどうかはきわめてうたがわしい。

 現在でも、許すことのできない連日の爆撃からベトナム民主共和国を防衛するために必要な手段を、社会主義陣営がもっていないわけではない。

 アメリカ帝国主義のベトナム民主共和国にたいする侵略は、政治的には、国際共産主義運動と社会主義陣営の不団結を利用しながら、また、軍事的には、小銃、高射砲、ミサイルなどによる集中的な対空砲火によって大きな損害をうけながらも、B52、各種ジェット機など大量の空軍力をそそぎこむという状況のもとでおこなわれている。ここに、社会主義国家にたいするほとんど一方的な空襲が継続され、一方的に強化・拡大されていくという、考えられないような事態が現実のものとなっている理由がある。

 しかし、実際には、アメリカ帝国主義と社会主義陣営の本来の力関係は、このような侵略を容易に許すほどのものではけっしてないし、また軍事的にも、社会主義陣営全体の力は、アメリカと比べてけっして劣るものではない。社会主義陣営が、団結した援助の強化によって、アメリカ帝国主義が大量の空軍力を利用している現状をうちやぶり、不法、不当な北爆からベトナム民主共和国を防衛することは、実際に可能である。社会主義陣営が、今日の事態の重要性とそれが要求している任務を正しく認識し、団結を妨げている右と「左」の日和見主義を正しく克服して、1960年の声明で誓いあったように、「社会主義陣営の統一と団結から生まれるすべての優越性を利用」し、アメリカ帝国主義の侵略にたいする断固たる対決をおこない、ベトナム人民にたいするもっとも強力な共同の支援を実現するならば、ベトナム民主共和国がアメリカ帝国主義の北爆にたいし、世界人民の支持をうけつつ、より強力なより決定的な防衛措置をとることは十分に可能である。そして、老若男女をとわず生死をかけてたたかっているベトナム人民が心から求めているものも、アメリカ帝国主義を国際的に孤立させる全世界的な政治闘争の発展と強力な国際的援助であり、アメリカ帝国主義のベトナム侵略にもっとも効果的な打撃を加えうるような、全世界の反帝民主勢力、およびその先頭に立つべき国際共産主義運動の真剣な反帝闘争と統一行動の発展と強化なのである。

 どんなに原則上の問題をめぐる意見の相違がはげしくとも、論争を通じて真理を追求しながら、なおかつ世界の反帝闘争の焦点となっているベトナム人民の闘争のより早い、より輝かしい勝利をかちとるために、反帝民主勢力の先頭に立ち、強力な国際統一行動をただちに組織することは、全国際共産主義運動、全社会主義陣営にとって共同の貴務である。

 そのためには第一に、国際共産主義運動と社会主義陣営は、フルシチョフのような「平和共存」を口実にしてアメリカ帝国主義に追随し、その戦争と侵略の政策にたいする闘争を回避する日和見主義路線の影響を克服し、断固として、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する世界各国人民の闘争の先頭に立つ任務をもっている。

 ハノイ、ハイフォン爆撃に際して、少なからぬ共産党・労働者党、社会主義諸国は、それぞれアメリカ帝国主義の凶暴な侵略行為をつよく糾弾し、ベトナム人艮の閤争を支援するためあらゆる手段をとる決意を表明した。

 国際共産主義運動と社会主義陣営は、ベトナム人民にたいする暴虐な侵略、社会主義陣営にたいする公然たる攻撃、アジアと世界の平和にたいする重大な挑戦をおこなっているアメリカ帝国主義にたいするこのような政治的糾弾をさらに強化し、全線にわたって毅然として対決する態度をとり、その戦争と侵略の政策を徹底的にうちやぶる必要がある。

 第二に、国際共産主義運動は、国際民主運動の各分野で、さまざまな形で現に発展しつつあるベトナム侵略反対、ベトナム人民支援の国際統一行動を、いっそう前進させ、拡大するために共同して奮闘する任務をもっている。わが党の2月4日付『赤旗』の論文が指摘したように、ベトナム侵略反対のために共同してたたかおうという全世界人民の一致した決意を反映して、この1、2年来、一連の重要な国際会議では、国際民主運動の団結は基本的に前進をかちとってきた。とくに今年の1月にひらかれた第1回アジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民連帯大会は、ベトナム人民の正義の闘争支援をはじめとする一連の決議を満場一致で採択し、全世界の反帝・民族解放・平和勢力の連帯の政治的、組織的方向を明らかにした。そしてこの連帯機構は、7月13日、執行書記局とベトナム支援委員会との合同会議をひらき、ハノイ、ハイフォン爆撃に抗議する週間を設定し、3大陸の各国人民にたいしてベトナム人民支援闘争をいっそう強化することをよびかけた。あらゆる形の日和見主義、分裂主義とたたかって、これら反帝民主勢力の国際統一行動と統一戦線をいっそう前進させ拡大するために共同の努力を強めることは、国際共産主義運動のきわめて重要な任務である。

 第三に、国際共産主義運動と社会主義陣営は、ベトナム人民支援のためのその国際統一行動を効果的に強化することをめざして、それ自身の努力を払う必要がある。

 これらの責務は、これまでの国際共産主義運動、社会主義陣営内部の誤った路線とそれにもとづく不団結が、アメリカ帝国主義が侵略を拡大してゆくうえで利用してきた一つの要素となってきただけに、いよいよ重くいよいよ厳粛なものとなっているといわなければならない。

3、侵略戦争拡大に対処する誤った態度

 こうして現在の情勢は、全国際共産主義運動、全社会主義陣営が、反帝民主勢力のベトナム侵略反対闘争の先頭に立ち、社会主義諸国がアメリカ政府にたいして外交的にもより断固とした描置をとることを要求している。ソ連や中国が不法侵入してくるU2機を撃ち落としたように、ベトナム民主共和国に侵入してくるアメリカの飛行機を、いわば水ぎわで撃ち落とし撃退できるような状態をつくりだすための共同の支援をおこなう必要も生み出されている。

 だが、社会主義国家の主権を防衛するために必要な、このような最低限の手段をとることでさえも、ベトナム侵略戦争のいっそうの拡大を生みだし、ついには中国、朝鮮などアジアの他の社会主義国にたいする侵略戦争や第3次世界大戦の危険をはらむ冒険主義的行動となるのではないかという反論があるかもしれない。

 しかし、このような意見は、「一点の火花も世界大戦になる危険がある」という口実で侵略にたいする正当な、かつ必要な反撃を回避したフルシチョフらと同じ日和見主義の主張である。これは実際には、第2次世界大戦直前ヒトラーの侵略を容認した英、仏の「ミュンヘン政策」や、アメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策に無原則的に妥協したフルシチョフの日和見主義と同じく、アメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策に屈服し、社会主義国家にたいする凶暴な侵略を事実上黙視することになる。これは逆にかれらをつけあがらせ、戦争の拡大を阻止することに役立つどころか、逆にベトナム侵略戦争のいっそうの拡大を許し、結局は戦争の大規模化の危険を強める役割をはたすものである。

 強力な反撃をさしひかえることによっては、侵略の拡大をを防ぐことができないことは、すでにこのベトナム侵略戦争の事実そのものが証明している。「トンキン湾」事件からハノイ、ハイフォン爆撃までの現実の経過が明白に示したように、北爆にたいする断固たる国際的反撃が実行されないならば、アメリカ帝国主義は、そのことに安心して、ますます図にのって北爆を強化、拡大してくるだけである。今回のハノイ、ハイフォン爆撃にさいしても、かれらがそれを強行した理由の一つに、ハノイ、ハィフォン爆撃にふみきっても、社会主義陣営からの強力な反撃はないという予測があったことは、広く報道されているとおりである。

 不法な侵略は断じて許さないという決意を現在行動で示すことだけが、アメリカ帝国主義のこのような打算を粉砕してベトナム侵略戦争の拡大を阻止し、アジアの他の社会主義国への侵略戦争や、さらには世界戦争の勃発をも防止する道である。なぜなら、これらの危険もまた、ベトナム侵略戦争の拡大と無関係にあるものではなく、まさに、現在進行しているアメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争の無制限な段階的拡大のなかにこそはらまれつつあるものだからである。たとえば、アメリカ帝国主義がいまぶつかっている困難がさらに大きくなり、かれらがおちいっている窮地がさらに救いがたいものとなるとき、アメリカ帝国主義が、背後からの武器輸送路を断ち切るということを口実にして、北爆をさらに中国・ベトナム国境地帯から中国領内へ拡大する可能性も現実に存在している。

 しかも、アメリカ帝国主義のアジア侵略政策の青写真のなかには、「中国封じ込め政策」の極点として中国にたいする侵略戦争の準備がふくまれていることは、かくれもない事実である。そして現在でも、中国がより強力な核兵器やミサイルを完成する以前に「予防戦争」をおこなうべきだと主張し、ベトナム侵略戦争をただちに中国侵略戦争へ拡大することを要求する有力な極右的好戦派が、アメリカ帝国主義者の内部に存在している。すべての反帝民主勢力は、アメリカ帝国主義の「中国封じ込め政策」に反対し、中国侵入をたくらむ政策に反対して、たたかわなければならない。しかし、これらのことは、そのままわれわれが、ベトナム侵略戦争が、中国にたいする侵略戦争のたんなる予備段階であるとか、いまやベトナム侵略戦争よりもアメリカ帝国主義の中国侵略戦争の危険こそ最大の問題となったとか、中国侵略戦争は文字どおり不可避になったとかという態度をとってよいことを意味するものではない。

 戦争と侵略は、帝国主義の本質にもとづくものであるが、この侵略にあたって、帝国主義者が、かれらなりの「知恵」をはたらかして侵略実行にもっとも適した条件をえらび、状況をねらうことも帝国主義の常とう手段である。

 アメリカ帝国主義は現在、「中国封じ込め政策」をいっそう強化するためにも、一方ではインドネシアの右翼化という事態を歓呼して迎えながら、同時に東南アジアの支配を強化しようとし、そのために必要で不可欠な拠点として南ベトナムを確保しぬくことに主要な力を集中している。その際かれらは、強力な核兵器とミサイルをもっているソ連と正面から対決することを余儀なくされるような事態はできるだけさけ、さらにソ連と中国が対立をつづけている状態を最大限に利用しながら、ベトナム侵略戦争を勝利に終わらせることをねらっている。もしも、複雑な事情によって、ベトナム人民の英雄的奮闘にもかかわらず、ベトナム人民にたいする国際的支援が全体として十分に強化されず、アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争の拡大を阻止することができず、逆にかれらの勝利を許して、南ベトナムの永久的な軍事基地化と東南アジアの支配の強化が実現し、帝国主義と反帝勢力の力関係がアメリカ帝国主義に有利な方向に変化するようなことになれば、それはアメリカ帝国主義のアジア侵略政策と「中国封じ込め政策」、社会主義諸国と民族解放運動にたいする各個撃破政策をさらに鼓舞することとなる。そのときはアメリカ帝国主義の中国侵略戦争の危険もまたそれだけいっそう強まるであろう。この意味では、まさにベトナム侵略戦争の経過と結果こそ、アメリカ帝国主義をアジアから追い出す方向に前進するか、それともアジアの他の社会主義国への侵略戦争やひいては世界大戦の危険を強めるかの歴史的分岐点の一つとなるものである。だからこそベトナム問題は、今日の戦争と平和の問題の最大の焦点であり、帝国主義陣営と反帝勢力との国際的対決の集中点となっているのである。

 こうした情勢のもとでは、すべての反帝民主勢力に必要なことは、戦争が大きく拡大するだろうとして「戦争を恐れ」て強力な抗議と対決を回避することではない。あるいは反対に、戦争の大規模な拡大、他の社会主義国への侵略の拡大は不可避だ、――「戦争を恐れるな」などといいながら、アメリカ帝国主義のベトナム侵略反対という焦眉の課題を事実上過小評価し、アジアの他の社会主義国へ侵略戦争が拡大された場合の対策にだけ力を集中したりすることでもない。

 もちろん、われわれは、帝国主義の戦争脅迫を恐れるものでもないし、帝国主義の侵略を打破するための正義の戦争をたたかいぬくことをも恐れるものではない。国際共産主義運動の歴史は、あの二つの世界大戦の歴史的経過でも証明されているように、マルクス・レーニン主義者こそ、帝国主義戦争を内乱に転化するたたかいにおいても、民族を解放し、社会主義を防衛するたたかいにおいても、あるいはまた凶暴な反動的独裁を打倒する人民の武装闘争においても、もっとも戦闘的な戦士であることを実証してきた。だが、同時に、マルクス・レーニン主義者は、帝国主義の侵略戦争を積極的に阻止し、世界大戦を防止し、世界平和を擁護するたたかいにおいても、もっとも戦闘的な戦士である。諸民族の独立と人民の解放をめざし、不正義の戦争に反対して平和の確保のためにもっとも勇敢にたたかうものであってはじめて、同じ人民の政治の延長として、正義の戦争をももっとも勇敢にたたかうことができるのである。

 われわれがベトナム侵略戦争とその拡大に反対する闘争を重視するのは、アメリカ帝国主義者の第3次世界大戦脅迫を恐れ戦争を恐れているからではけっしてない。すでにのべたように、アジアの他の社会主義国への侵略戦争や第3次世界大戦を阻止するためにも、現在、ベトナム侵略戦争とその拡大に反対する闘争に、全世界の人民を結集してたたかわなければならないのである。そして全世界の反帝民主勢力がこの闘争を全力をつくしてたたかってこそ、万一、アメリカ帝国主義者がさらに大規模な戦争放火を強行した場合にも、世界の人民を結集してその戦争と侵略にたいしてもっとも効果的に、もっとも強力にたたかうことができる。「第3次大戦に備えよ」、「戦争を恐れるな」といって当面のベトナム侵略戦争とその拡大に反対する闘争にたいして受動的、消極的になることは、結局は、戦争拡大に正しくそなえることもできないこととなるのである。

 もちろん、帝国主義者の侵略政策の対象となっている国が、最悪の場合にそなえて準備することは当然のことである。その準備が万全であってはじめて、帝国主義の戦争脅迫に屈せずに断固としてかれらの戦争と侵略の政策にたいしてたたかうことができるし、そうした準備そのものが、侵略を阻止するうえで重要な役割をはたすからである。しかしそのことは、侵略戦争阻止の任務を侵略戦争が起きた場合にたたかう準備だけに解消することを許すものでもないし、現在の時点で、侵略戦争を阻止するための闘争を過小評価し受動的、消極的になってよいことを意味するものでもない。

 アメリカ帝国主義が侵略戦争の段階的拡大を一歩一歩狡猾におしすすめている際に、反帝民主勢力にもっとも必要なことは、一方では侵略戦争拡大のおどしを恐れず、ベトナム侵略戦争がさらに大規模に拡大され他の社会主義国にたいする侵略戦争にまで発展した場合にはもちろん断固としてたたかう準備をすすめるとともに、他方では、そのような最悪の事態を積極的に防止するために、現在の時点で、ベトナム侵略とその拡大を断じて許さず、その侵略を失敗させるために、いっさいの努力を集中することである。これこそ今日のアメリカ帝国主義の複雑な二面的手口による戦争拡大にたいする反帝民主勢力の正しい適切な対応である。

 したがって、今日もっとも重要なことは、アメリカ帝国主義のベトナム侵路そのものをうちやぶることである。まさに、アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争に反対し、北を守り南を解放し、南北統一を実現するというベトナム人民の正義の要求を支持するということが、全世界の民主勢力の共同の目標とならなければならない。そのために、すでにのべたように、ハノイ、ハイフォン爆撃という事態にあたって、すべての反帝勢力、とくに国際民主運動と国際共産主義運動は、各国人民のベトナム侵略反対の広範な政治闘争を前進させ、あらゆる形態、あらゆる分野で国際統一行助を強化することが必要である。このような全世界人民の闘争と結びついて、すべての社会主義国家は、ジョンソン政府にたいし、外交的にもさらに決然たる態度と抗議の措置をとり、社会主義国の主権と自衛のための強力な効果的反撃を組織することが必要である。

 これらいっさいのことは、冒険主義的方法にうったえることをすこしも意味しない。それは、ベトナム侵略戦争の凶暴な拡大が世界の反帝勢力をあげての反撃を覚悟しなければならないということをアメリカ侵略者に事実でつきつけることであり、べトナム侵略戦争の拡大を防止しつつ、北を守り南を解放する事業にもっとも積極的に寄与することにほかならない。6月29日付のわが党中央委員会幹部会の声明がのべたように、このような団結した闘争と効果的な反撃こそ、アメリカ帝国主義のベトナム人民とべトナム民主共和国にたいする侵略拡大と、アジアの平和、社会主義陣営への新しい挑戦にたいするもっとも効果的な回答であり、アメリカ帝国主義によるアジアの他の社会主義国への侵略、第3次世界大戦への放火を阻止する、先制的、効果的な反撃なのである。

三、ソ連共産党指導部の評価と統一行動の問題

 アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争とその拡大に反対し、ベトナム人民を支援する国際統一行動と国際統一戦練を飛躍的に強化するという緊急課題にとって、現在きわめて重要な問題となっているのは、この国際統一戦線の中心部隊となるべき国際共産主義運動の統一行動をめぐる問題である。そして、これに関連して、これまで現代修正主義の国際的潮流の中心の一つとなってきたソ連共産党指導部の最近の路線と行動をどうみるか、先にのべたようにわが党が一貫して提唱してきたベトナム侵略に反対する国際統一行動と、ソ連共産党指導部が昨年来強調しはじめた「共同行動」との関係はどうかなどなどの問題についていろいろな見解が提起されている。わが国でも、ソ連共産党指導部に追従する志賀義雄らの反党修正主義者は、国際民主運動とことなって国際共産主義運動には行動の統一などはありえないといっていた以前の主張をたちまちたな上げして、今度は一転してソ連共産党指導部のいう「共同行動」に無条件に参加せよと叫び立てて、わが党の国際路線に攻撃を加えている。他方、腐敗と分派活動によって10年前に除名された志田重男一派の残党を中心とするひとにぎりの反党分子は、外国の党の主張を事大主義的、教条主義的におうむ返ししながら、ソ連共産党指導部の評価や「修正主義者とはいかなる共同行動もありえない」という主張を理由にして、反帝国際統一行動、統一戦線を提唱しているわが党の方針に、口ぎたない罵倒をあびせかけている。そして、志田一派のデマゴギーの本質を見やぶることのできない、善意ではあるが動揺的な人びともある。したがって、わが党の撹乱をめざして狂奔しているこれら反党分子の「主張」の誤りを全面的に暴露し、徹底的に粉砕することは、革命党としてのわが党の重要な任務である。

 志田一派の「主張」の根本的な特徴は、かれらが外国の党の主張に盲従するだけでなく、具体的な現実を分析することなしに抽象的な一つの公式から機械的に結論をひきだすという、二重の教条主義におちいっていることである。すなわち志田一派は、当面の統一行動、統一戦線を問題にする際に、具体的情勢を具体的に分析するかわりに、ただ「修正主義はマルクス・レーニン主義に敵対する潮流である」という定義だけをふりまわし、そこからすべての結論をひきだしている。これは、マルクス主義の弁証法的見地を形而上学的な見地におきかえることであり、こうしたやり方が、マルクス・レーニン主義にも事実にも反し、当面の情勢が要求する任務にも反した、極端な主観主義的結論に導くのは、きわめて当然である。

1、修正主義者と統一行動の問題

 志田一派の議論の、このような二重の教条主義を、もっとも端的に示しているのは、かれらが事大主義的な態度でふりまわしている「修正主着者とはいかなる共同行動もありえない」というテーゼである。

 もちろん修正主義は「マルクス主義の内部にあってマルクス主義に敵対する潮流」であり、修正主義の政策は「プロレタリアートの根本的利益を犠牲にする」ものであり(レーニン「マルクス主義と修正主義」、全集15巻、15ページ、20ページ)、あらゆる日和見主義と同じように、「プロレタリアートの大衆を敵として一部の労働者とブルジョアジーが同盟すること」(レーニン「第2インタナショナルの崩壊」、全集21巻、242ページ)である。フルシチョフらの現代修正主義もまた、思想的、理論的には、マルクス・レーニン主義と国際労働者階級への敵対と帝国主義ブルジョアジ一との同盟とを表現する右翼日和見主義である。

 しかし、このことは、修正主義の思想、理論をもつ、あるいはその影響下にあるいっさいの政治的潮流、いっさいの政治組織とは、どんな場合にも共同行動を拒否することこそマルクス・レーニン主義の原則であるなどということをけっして意味しない。そのような断定こそ、まさに行動の指針としてのマルクス・レーニン主義を死んだ教条におきかえるものである。反対に具体的な情勢と大衆の要求にもとづいて、日和見主義者、修正主義者、あるいは日和見主義、修正主義の潮流との共同行動、統一行動の問題に正しく対処し、それを革命的マルクス主義の勝利のために正しく利用することこそが、国際共産主義運動の実践の試練のなかでためされたマルクス・レーニン主義者の原則的態度なのである。

 レーニンが日和見主義、修正主義との潮流にたいしておこなった闘争の経験については、次節でくわしくのべるが、アメリカ帝国主義との「同盟者」「共犯者」であるという理由で、いっさいの修正主義者との共同闘争を拒否する志田一派の主張のこっけいな誤りを粉砕するためには、レーニンが指導した、第3インタナショナルと第2インタナショナルなどとの統一戦線戦術の実例をひくだけで十分であろう。なぜなら、この第2インタナショナルに結集した社会民主主義諸党こそ、体系化した日和見主義、修正主義の国際的潮流にほかならないからである。レーニンは、第2インターと第2半インターがまさに「世界の反革命的ブルジョアジーと不安定で動揺的な同盟」を結び、事実上「資本主義の主要な支柱」としての役割をはたしていることをはっきりと指摘しながら、大衆の要求に応じ、かつ労働者大衆をマルクス・レーニン主義の側に獲得するために、第3インタナショナルが、国際資本にたいする闘争において、第2および第2半インタナショナルとのあいだに統一行動、統一戦線を結ぶことを主張したのである。

 レーニンが指導した1921年12月のコミンテルン執行委員会のテーゼ「労働者の統一戦線と第2、第2半およびアムステルダム・インタナショナルに所属する労働者ならびにアナルコ・サンジカリスト的組織を支持する労働者にたいする関係についてのテーゼ」は、統一にたいする労働者の要求にこたえることこそが、労働者階級をマルクス・レーニン主義の側に獲得する道であることについて、つぎのようにのべている。

 「労働者大衆は、労働者階級の非妥協的で戦闘的な分子、すなわち共産主義者にたいしてその信頼をますます増大させつつも、全体としては統一にたいするかつてない希求によって動かされている」。「しかし同時に、かれらはまだ改良主義者にたいする信頼を失っておらず、かなりの大衆が依然として第2インタナショナルの諸党およびアムステルダム・インタナショナルを支持している。これらの労働者大衆は自分の計画や願望を十分明確に定式化していないが、新しい気分は、だいたいにおいて、統一戦線を確立し、資本の攻勢に反対する第2およびアムステルダム・インタナショナルの諸党や組合と共産主義者のあいだの共同行動を実現しようとする願望に帰着させることができる。そのかぎりにおいて、この気分は進歩的である。改良主義にたいする信頼は本質的には掘りくずされている。今日、労働運動がおかれている一般情勢のもとでは、いかなる真剣な大衆行動も、たとえそれがたんに部分的要求から出発したものであっても、不可避的に、革命のより一般的で根本的な問題を前面におしださずにはおかない。共産主義的前衛は、労働者の新たな部分が、改良主義や妥協の幻想的な性格をかれら自身の経験をつうじて確信したときにのみ、勝利をうることができる」

 レーニンは、翌1922年春、このテ―ゼにしたがって、第3インタナショナルと、第2および第2半インタナショナルとの統一戦線戦術を実行する際、「統一戦線戦術の目的と意味は、第2インターや第2半インターの指導者にさえ資本に反対するたたかいを共同でおこなうようくりかえし提案するにとどまらず、ますます広範な労働者大衆をこのたたかいにひきいれていくことにある」(レーニン「コミンテルンにおけるロシア共産党(ボ)代表団の報告にもとづく決議草案への提案」、全集42巻)ことを明らかにしつつ、国際的統一行動の実現のためにねばりづよい努力をはらった。レーニンは、このとき、統一戦線が第2インターの修正主義者を美化し、その立場を強めることになるなどといってこれに反対した「左翼」セクト主義者たちをつよく批判した。レーニンは、統一戦線戦術が、第2インターの日和見主義、修正主義の潮流の美化を前提にしたものであるどころか、「大衆が資本とたたかうのを援助する」と同時に、改良主義的戦術と革命的戦術とのどちらが正しいかを労働者に納得させる闘争の場をつくるものであることを、くりかえし強調した。

 「われわれは、第2インターと第2半インターが反革命的な世界ブルジョアジーと一貫性のない動揺的な同盟を結んでいるもの以外のものではないとみなしている。われわれは、大衆の直接行動の可能な実践的な統一を達成するために、第2インターと第2半インターのすべての立場の政治的な誤りを暴露するために統一戦線について話しあうのであり、まったく同様に、第2インターと第2半インターとは、大衆の直接行動の実際の統一のために、われわれの立場の誤りを政治的に暴露するために、われわれと話しあうのである」(1922年2月1日、ブハーリンとジノビエフへの手紙、全集42巻)
 「かれらは、入場料をなにも払わずに、われわれ共産主義者の会場にはいりこみたがっており、統一戦線戦術によって、改良主義的戦術が正しく革命的戦術が誤っていることを労働者に納得させたがっているからである。われわれに統一戦線が必要なのは、われわれがその反対のことを労働者に納得させたがっているからである」。
 「これらの大衆が資本とたたかうのを援助するために、かれらが国際経済全体と国際政治全体における二つの戦線の『巧妙なしくみ』を理解するのをたすけるために、われわれは統一戦線の戦術を採用したのであり、またそれを最後まで遂行するであろう」(レーニン「われわれは払いすぎた」、全集33巻、344-345ページ)

 志田一派ら反党分子の主張が、まさにレーニンに敵対したものであることは、きわめて明白である。そして、かれらのこのような反マルクス・レーニン主義の立場が、レーニンの教訓を発展させたコミンテルン第7回大会の反ファシズム統一戦線戦術、すなわち第2インタナショナルの社会民主主義諸党、およびその影響下にある労働者とのファシズムと帝国主義戦争に反対する共同行動にかんする国際共産主義運動の重要な経験にもまっこうから敵対するものであることも指摘するまでもない。日和見主義者や修正主義者とのいっさいの共同行動の拒否という志田一派の立場は、実際には、これらの経験を正しく発展させた今日における統一戦線戦術そのものを否定し、いっさいの社会民主主義勢力との統一行動をも拒否して、そのかわりに「どんな妥協もしない」左翼セクト主義者だけを結集しようとするもっとも極端な左翼小児病的セクト主義にほかならない。

2、ソ連共産党指導部の二面的態度

 さらに、ソ連共産党指導部の最近の路線と行動にたいする志田一派の評価には、具体的分析ぬきに、抽象的公式からすべての結論をひきだすかれらの議論の反弁証法的、観念論的、形而上学的性格が、如実にあらわれている。すなわちかれらは、修正主義は敵である、ソ連共産党指導部は修正主義である、したがってソ連共産党指導部は敵であるという、もっとも単純かつ教条主義的な三段論法をもって、かれらの反米、反ソの統一戦線論なるものをつくりあげ、わが党の国際路線をアメリカ帝国主義の共犯者と共同するものとして攻撃している。だが、これはただ、かれらが、今日の情勢とソ連共産党の最近の路線と行動を科学的に分析する能力がなく、今日における統一戦線の問題を具体的に分析する能力がまったくないことを暴露しているにすぎない。

 フルシチョフを中心としたソ連共産党指導部が、現代修正主義の国際的潮流の指導的役割をはたし、その日和見主義、分裂主義の路線が、国際共産主義運動、国際民主運動の不団結を拡大した主要な責任を負うものであることについては、まったく議論の余地がない。そしてわが党が事実にもとづいて指摘してきたように、フルシチョフを解任して以後のソ連共産党指導部の路線と行動のなかにもその従来の路線が根づよく存在している。わが党はこれまで、一貫して修正主義の国際的潮流の日和見主義、分裂主義、大国主義の路線に反対し、マルクス・レーニン主義の原則とプロレタリア国際主義を守り、1957年の宣言と1960年の声明の革命的原則を擁護して、国際共産主義運動のマルクス・レーニン主義的強化と真の団結のために奮闘してきた。とくにフルシチョフを中心としたソ連共産党指導部が兄弟党間の関係についての基準をふみにじって公然とわが党の路線に全面的攻撃を加え、志賀義雄ら党破壊分子と連絡してかれらを公然と支持激励するという卑劣な行動をおこなって以来、わが党は、日本革命と国際共産主義運動にたいするわが党の厳粛な責任をはたすために、ソ連共産党指導部のわが党とわが国の民主運動にたいする干渉・破壊活動と、それを基礎づける誤った理論と政策にたいして、公然と断固たる批判を加え、理論的解明をおこなってきた。フルシチョフによるケネディの美化、部分核停条約締結その他のアメリカ帝国主義にたいする無原則的屈従、核戦争による人類絶滅をさけるためと称するアメリカ帝国主義との闘争の回避、これらいっさいの誤った路線を国際共産主義運動、国際民主運動におしつけるための常軌を逸した分裂策動、他の兄弟党にたいする一方的な公開の攻撃・中傷と、国際共産主義運動を決定的分裂にみちびくための分裂主義的国際会議の一方的開催の策謀、原水禁運動、日ソ親善運動その他のわが国の民主運動にたいする分裂活動と内部干渉、一握りの反党集団「日本のこえ」一派にたいする公然たる支持とわが日本共産党にたいする干渉・破壊活動、佐藤内閣の美化など、これらはフルシチョフ以来のソ連共産党指導部の誤った路線と行動が、国際共産主義運動、国際民主運動の路線をゆがめ、団結を破壊してきた、消すことのできない重大な罪状である。フルシチョフ以来のソ連共産党指導部の路線と行動にあらわれている現代修正主義の日和見主義、分裂主義、大国主義の誤りと非妥協的にたたかい、これを完全に克服することなしに、国際共産主義運動のマルクス・レーニン主義的強化と真の団結がありえないことは明白である。

 しかし同時に注目しなければならないことは、最近のソ連共産党指導部の路線と行動に、一定の変化があらわれていることである。この問題については、すでにわが党は論文「アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線を強化するために」その他、さまざまな機会に分析を加えてきた。すなわち、現在のソ連共産党指導部一は、一面では、フルシチョフ以来の公然たる日和見主義と分裂主義にたいするきびしい歴史の審判と世界人民の圧力によって、一定の反米的言説とベトナム人民支援の一定の行動をおこなうことを余儀なくされながら、他面では、佐藤内閣の対外政策の公然たる礼賛やわが国の民主運動およびわが党にたいする不当な干渉や破壊活動が示しているように、フルシチョフ以来の誤った従来の路線を根本的には転換していない。わが党はこれらの事実を指摘し、ソ連共産党指導部の路線と行動の現在の特徴を新しい二面的態度と評価したのである。

 その後の事態は、わが党のこの評価の基本的な正しさをさらに明確にした。たとえば、さる3月29日から10日間ひらかれたソ連共産党第23回大会にたいする同党中央委員会の活動報告は、この二面的態度を重要な特徴とするものであった。すなわちこの報告は、国際共産主義運動におけるフルシチョフ時代の重要な諸問題にふれることを極力さけながら、一面では、たとえば無原則的な対米追従路線やベトナム侵略にたいする態度をはじめ、あまりにも誤りが歴然となったいくつかの問題については、自己批判ぬきの手直しをおこなっている。同時にこの報告は、他面では、たとえば「核拡散防止条約」締結の主張や復活しつつある日本軍国主義との闘争を回避していることなどが示すように、従来の路線の根本的転換をも回避しているのである。

 志田一派その他の反党教条主義者は、この二面的態度を、単純にフルシチョフの日和見主義、分裂主義、大国主義の路線を、いっそう欺まん的にし、いっそう悪質な方向へおしすすめたものであるとし、ベトナム侵略反対の強調やベトナム人民への援助をも、修正主義路線とアメリカ帝国主義の共犯者としてのその本質をおおいかくすためのまったくの欺まんにすぎないものとみている。しかしこれは、けっして正確なものではない。

 このような見方は、フルシチョフの徹頭徹尾修正主義的な路線から、現在の二面的態度へ、ソ連共産党指導部の路線と行動が変化してきた基礎を見あやまっており、その当然の結果として変化の性質と方向をも誤ってつかんだものである。

 ソ連共産党指導部の二面的態度への変化を生み出したもっとも奥深い基礎は、この期間におけるアメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策の凶暴化とこれに反対する全世界の反帝民主勢力の闘争の激化であった。

 わが党の論文「現代修正主義者の戦争と平和の理論と、これにたいする歴史の審判」(1965年8月14日付『アカハタ』)が詳細に示したように、ベトナム侵略戦争の凶暴化を中心にした国際情勢の経過そのものが、フルシチョフのケネディ美化や無原則的な対米追従路線の決定的誤りと、それにたいするマルクス・レーニン主義的潮流の批判の正しさとを、白日のもとに照らしだした。そして、ベトナム侵略戦争をはじめとするアメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策の凶暴化に直面した世界の人民は、ソ連の人民をもふくめて、ベトナム人民の闘争を支持し、アメリカ帝国主義に反対する闘争にたち上がり、つぎつぎと闘争をおしすすめてきた。ベトナム侵略が世界の人民にあたえた衝撃の大きさは、いまやアメリカ国内でも、ベトナム侵略反対をかかげた大衆闘争が公然と発展しているという画期的な事実一つをみても明らかである。フルシチョフの無原則的な「平和共存」路線に幻想を抱いた少なからぬ人びとも、みずからの政治的経験をつうじてその幻想から脱却しはじめ、アメリカ帝国主義との闘争なしには、社会制度の異なる諸国家間の平和共存をも真にかちとることができないことを理解しはじめた。全世界の共産党・労働者党だけでなく、あらゆる民主的団体、進歩的人士が、今日ではアメリカ帝国主義の侵略行為を一致して非難せざるをえなくなっている。

 このような状況のなかでは、つまりアメリカの民主党のモース上院議員までもが、「世界平和にたいする最大の脅威は米国だということになる」と叫ばざるをえないような状況のなかでは、ソ連共産党指導部が、従来の修正主義路線を根づよく存在させたままでも、フルシチョフと同じように、アメリカ帝国主義との闘争を回避しつづけることが困難となったことは、明白である。もしもソ連共産党指導部が、アメリカ帝国主義に反対しベトナム人民を支援する態度をとらなければ、世界の人民からもソ連の人民からも見はなされることとなるであろう。

 このことこそ、ソ連共産党指導部が、根本的にはまだ日和見主義、修正主義を脱しておらず、一面では妥協的政策をさまざまな形でつづけながらも、他面では反帝闘争を言葉で強調しはじめただけでなく、一定の範囲で行動においても示さざるをえなくなった真の理由である。

 われわれが正しく見る必要のあることは、ソ連共産党指導部全体、ましてソ連共産党全体は、修正主義に矛盾するなんらの要素をももたないというような存在ではないことである。ソ連共産党指導部は、現実には、現代修正主義の国際的潮流のなかで中心の一つとなってきた存在であると同時に、今日の国際共産主義運動を構成する公認の一部隊としてのソ連共産党および社会主義陣営の一員であるソ連人民の公式の指導部でもある。したがって、その二重の役割から生まれるさまざまな矛盾と複雑な要素をそのなかにもっている。

 たとえば、第一に、ソ連共産党指導部は、現在のところでは、一方で国際共産主義運動と世界人民の利益に反する現代修正主義の路線を実行する場合でも、国際共産主義運動のなかで一定の影響をおよぼそうとするためには、他方で、当面各国共産党・労働者党が一致して採択した1960年の声明の基本路線を公然と、全面的には放棄することが困難であるという矛盾をもっている。もしもソ連共産党指導部が、声明によって、「世界反動の主柱」「全世界人艮の敵」と規定されたアメリカ帝国主義の凶暴なベトナム侵略を容認しつづけ、ベトナム人民と世界人民の利益をまっこうから完全に裏切るならば、それは国際共産主義運動と世界人民のなかでソ連共産党指導部がもっている一定の影響力をも失わせ、みずからの足もとを掘りくずす結果とならざるをえない。

 第二に、ソ連共産党指導部は、一方でソ連の共産主義者とソ連人民の真の利益をうらぎる路線と行動をおしすすめる場合でも、他方でレーニンとスターリンの指導のもとに社会主義建設と大祖国戦争の勝利をたたかいぬき、現在も共産主義への移行をめざして奮闘しようとしているソ連の共産主義者とソ連人民の支持を確保するように考慮せざるをえないという矛盾をもっている。ソ連社会主義のなかには、フルシチョフ以来の日和見主義的指導のために、資本主義復活の傾向が生まれており、ソ連国民の一部、とくに高級官僚、高所得層を中心に自由主義的、個人主義的傾向が強まっていることは事実である。だが、依然としてソ連は現在社会主義国家であり、ソ連人民の多数を構成している労働者と農民のすくなからぬ部分は、社会主義陣営、国際共産主義運動と団結し、世界の人民と連帯して帝国主義とたたかい、社会主義建設のために努力するという志向をもちつづけている。現代修正主義が、ソ連社会主義とソ連人民を完全に変質させてしまわないかぎり、――このような変質を許すかどうかは、最終的には、ソ連人民と世界の共産主義運動のなかのマルクス・レーニン主義的潮流の力量にかかっている――ソ連共産党指導部は、アメリカ帝国主義のベトナム侵略を事実上支持するというような、どんな欺まんによってもソ連人民の目からかくすことのできない、あまりにも明白で、あまりにも公然たる裏切りに突進することは困難である。

 第三に、ソ連共産党指導部は、フルシチョフによるアメリカ帝国主義にたいする無原則的な追従政策にもかかわらず、ソ連共産党とソ連人民の指導者としては、現在のところ、ソ連の社会主義とアメリカ帝国主義との基本的な敵対関係、社会主義陣営と帝国主義陣営との客観的な対立関係によっても、その行動を制約されざるをえないという矛盾をもっている。このことはソ連共産党指導部の対米追従の限界もまた、アメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策の進行によってもある程度条件づけられざるをえないことを意味している。アメリカ帝国主義は、フルシチョフ以来のソ連共産党指導部の日和見主義的政策につけこみ、当面「米ソ協調」政策をとっているが、かれらの基本路線は依然として反社会主義であり、したがってまた本質的には反ソである。アメリカ帝国主義のたくらむ「米ソ協調」も、米ソによる共同の世界支配などを究極的にめざしているものではなく、社会主義陣営と国際共産主義運動の分裂、個々の社会主義諸国と民族解放運動の各個撃破、ソ連社会主義の変質と破壊に利用できるかぎりで採用されるにすぎない。ケネディとフルシチョフがつくりだした「米ソ協調」政策は、重大な影響をもたらしたが、しかもなおそれだけによっては、アメリカ帝国主義とソ連社会主義とのあいだになお存在している根本的対立関係、それが生みだすさまざまの矛盾を消滅させることは不可能である。現にアメリカ帝国主義は、フルシチョフの期待を裏切って、社会主義陣営の破壊、民族解放闘争の圧殺をめざし侵略と戦争の政策を凶暴におしすすめてきたし、今後もおしすすめつづけるだろう。したがって、いわゆる「米ソ協調」政策にしても、もしそれがアメリカ帝国主義の世界支配計画の障害となる場合にはあるいは停滞し、さらには捨て去られることもありうるし、ある場合には、ソ連にたいする公然たる敵視政策もまた復活することとなるであろう。そうした場合、ソ連共産党指導部は、ソ連人民と国際共産主義運動のなかでの自己の影響力を保持するためにも、さらには自分自身を守り、ソ連国家とソ連人民を守るためにも、アメリカ帝国主義の侵略政策、反ソ政策に反対する一定の行動をもとることを余儀なくされる。

 このように今日現存している客観的な諸矛盾は、アメリカ帝国主義のベトナム侵略政策の凶暴化と、それに反対する世界の人民の闘争の高揚という新しい圧力のもとでさらに激化せざるをえなかった。そのことがソ連共産党指導部の路線と行動に一定の変化が生まれ、矛盾した二つの態度、すなわち一定の分野では従来の路線を踏襲しながら、同時にベトナム問題などでその修正主義路線と矛盾する一定の反帝政策と反帝行動を実際にとるという二面的態度がとられはじめた根拠である。

 ソ連共産党指導部が現にとっている一定の反帝政策と反帝行動を、一貫した全面的なものであると単純に信じこむことも、それをいっさい無内容の欺まん的な偽りであるとして全面的に否定することも、ともに複雑な現実を単純な図式にはめこむ非弁証法的な形而上学的な誤った見方である。この二面的態度が意味しているものは、現代修正主義のたんなる欺まんにすぎないものではなく、現代修正主義とマルクス・レーニン主義との国際的闘争のソ連共産党指導部内への屈折した反映である。それは、現代修正主義の国際的潮流の中心の一つであると同時に、ソ連共産党とソ連人民の公式の指導部であるというソ連共産党指導部の二重の役割が生み出した矛盾であり、その路線と行動のなかで、フルシチョフ修正主義をひきついだ諸要素と世界とソ連の人民の要求を反映した事実上の反修正主義的諸要素とが、対立し、からみあい闘争している形態にほかならない。

3、革命的二面政策の必要

 以上のような最近のソ連共産党指導部の路線と行動にあらわれている二面的態度にたいして、マルクス・レーニン主義者はどのような態度をとるべきだろうか。

 ソ連共産党の路線が現在の指導部のままで正しく変わることができるかどうかは別として、ソ連共産党がどのように変わることが、国際共産主義運動と社会主義陣営、世界人民の利益になるかという実践的立場に立つならば、真のプロレタリア国際主義にもとづいてマルクス・レーニン主義者がとるべき態度は、ただ一つ、革命的二面政策があるだけである。すなわち、マルクス・レーニン主義者は国際共産主義運動と世界人民の利益のために、一方では、ソ連共産党の路線と行動のなかにあらわれている、従来の路線をひきついだ修正主義的、分裂主義的要素にたいしては、依然として非妥協的に闘争し、それを克服するためにたたかわなければならない。同時に、他方では、マルクス・レーニン主義者は、ソ連共産党指導部の意図のいかんにかかわらず、ソ連共産党の路線と行動のなかに、マルクス・レーニン主義の国際的潮流の圧力と、世界とソ連の人民の要求の反映としてあらわれている事実上の反修正主義的要素がさらに発展することを、プロレタリア国際主義の立場から正しく促進するという態度をとらなければならない。

 この革命的二面政策の実践的正しさを、もっとも具体的に示すものは、ベトナム侵略に反対する国際統一行動の問題である。

 ソ連共産党指導部のベトナム政策のなかには、ソ連がこの戦争に決定的にまきこまれることをできるだけ回避しアメリカ帝国主義と正面から対決せざるをえなくなることを恐れる、フルシチョフ以来の日和見主義的態度が根づよく流れている。だが同時に、すでに指摘したように、フルシチョフのベトナム政策の完全な破綻と、マルクス・レーニン主義的潮流の批判、さらにベトナム侵略反対を要求するベトナム人民と世界の人民、ソ連の人民の圧力におされて、アメリカ帝国主義に反対する闘争の強調とともに、ベトナム人民にたいする一定の援助もおこなわれている。

 社会主義国としては、きわめて当然なこの援助は、ソ連の国力にふさわしいものでもなければ、すでにのべたような現在の重大な事態が要求するものに十分こたえうるものでもない。だが、事実が示すところによれば、ソ連の援助は、最近しだいに増やされている。1965年のコスイギン首相のハノイ訪問後、ソ連は、ベトナム民主共和国にたいする援助を増大させた。1966年のシェレーピン幹部会員のハノイ訪問後は南ベトナム解放民族戦線にたいしても援助がおこなわれはじめた。ソ連共産党第23回大会に出席したベトナム労働党のレ・ジュアン第一書記、南ベトナム解放民族戦線のグエン・テイ・ビン中央委員は、ソ連共産党、ソ連人民の精神的、物質的支持にたいして、ともに感謝を表明している。

 ソ連共産党のベトナム問題にたいする公式の態度にもまた、一定の変化があらわれている。たとえば昨年5月、ソ連最高会議は、ベトナム民主共和国政府の4項目の主張の支持を表明した。ソ連共産党大会が採択した「ベトナムにかんする声明」もまた、「アメリカのベトナム侵略の停止、同国からの全干渉軍の撤退」を要求し、「ベトナム民主共和国政府と南ベトナム解放民族戦線の正当な諸要求を認めることを基礎としてはじめて、ベトナム問題は解決することができる」とのべて、ベトナム民主共和国政府の4項目の主張、南ベトナム解放民族戦線の5項目の声明を支持する態度を表明している。

 ベトナム民主共和国政府の4項目の主張とは、1965年4月の国会決議にのべられているものである。決議は、(1)ベトナム人民の独立、主権、統一、領土保全という基本的な民族的権利の承認、南ベトナムからの米軍の撤退と米軍事基地の撤去、ベトナム民主共和国にたいする侵略の停止、(2)平和的統一の実現までのあいだ、南・北ともに外国と軍事同盟を結んだり、軍事基地をおくことを禁じたジュネーブ協定の各軍事条項の完全尊重、(3)南ベトナム解放民族戦線の綱領にもとづく、南ベトナム問題の南ベトナム人民自身による解決、(4)ベトナム人民自身によるベトナムの平和的統一の実現を骨子とする4項目を、ベトナム問題の正しい政治的解決の基礎、平和的解決へすすむ条件として明示した。

 南ベトナム解放民族戦線の5項目の声明とは、南ベトナム解放民族戦線中央委員会が、南ベトナム人民の唯一の真の代表として1965年3月22日に発表した声明である。「ベトナムにおけるアメリカ帝国主義の侵略戦争の激化と拡大について」と題する5項目からなるこの声明は、南ベトナムを解放し、独立、民主、平和、中立の南ベトナムを実現し、民族再統一をかちとるために、10年、20年、あるいはもっと長いたたかいをしなければならぬとしても、アメリカ侵略者を南ベトナムから駆逐する決意を断固として表明している。

 このベトナム民主共和国政府の4項目の主張と、南ベトナム解放民族戦線の5項目の声明こそ、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対しベトナム人民を支援する反帝民主勢力の国際統一行動、統一戦線の中心的な共同綱領ともなるべきものである。ベトナム人民支援のための国際反帝統一戦線が、当然、ベトナム人民のこの要求を支持している、また支持できるいっさいの勢力を、もっとも広範に結集しなければならないものである以上、ソ連共産党が、大会でこの4項目、5項目を支持している事実は、志田一派のように、頭から無視してよいものではない。

 この点にかんしては、同じように現代修正主義の国際的潮流に属しながらも、ベトナム侵略戦争にたいするソ連共産党指導部の態度と、ユーゴスラビア共産主義者同盟のチトー一派の態度とはことなっている。チトー一派は、ベトナム民主共和国の4項目の主張および南ベトナム解放民族戦線の5項目の声明を支持する態度を一度も表明したことはなく、かえって反対に、ジョンソンの「無条件停戦」論に呼応して、ベトナム問題の無原則的な「平和解決」を提唱し、おおっぴらにベトナム侵略に反対する国際統一行動を撹乱、破壊しようとする策謀をおこなってきた。われわれは、社会主義国がユーゴスラビアとの国家関係をもつことに反対するものではないが、「ユーゴスラビア修正主義者の指導者を今後とも暴露し、共産主義運動と労働運動をユーゴスラビア修正主義者の反レーニン主義的思想から守るために積極的にたたかうことは、依然としてマルクス・レーニン主義党の欠くことのできない課題である」とのべた1960年の声明をふみにじって、ユーゴスラビア共産主義者同盟を国際共産主義運動にひきいれようとしているソ連共産党指導部の誤った態度を重視するものである。しかしだからといって、ベトナム侵略戦争にたいするソ連共産党指導部の態度とチトー一派の態度との、このような相違を無視することは正しくない。

 ソ連共産党指導部のベトナム問題にたいするこのような態度は、明らかに二面的なものではあるが、ソ連のベトナム人民の闘争にたいする支持と援助全体を徹頭徹尾いつわりであり、もっぱらベトナム人民をアメリカ帝国主義に売りわたすものだとする志田一派など反党教条主義者の解釈は、けっして正しいものではない。

 第一に、このような解釈は、ソ連の援助をまったく否定的なものとみなし、実践的にはソ連にたいしては、ベトナム人民への援助をやめることを要求することにならざるをえない。

 このような主張が、ベトナム人民の利益にそむき、したがってまた反帝民主勢力の全体の利益にそむくものであることは、ほとんど検討の必要がない。現にベトナムでは、他の社会主義国の援助による武器とともに、ソ連の援助による武器を手にして、ベトナム人民はたたかっている。その援助の意図のいかんにかかわらず、ソ連がベトナムに送っている高射砲やミサイルは、アメリカ帝国主義の飛行機を射ち落とし、ベトナム民主共和国の防衛に役立っている。すべての反帝民主勢力がソ連共産党指導部に要求すべきことは、政治的、精神的援助の強化とともに、この武器援助をさらに増大せよ、もっと性能の高い近代兵器をもっと多く、もっと速く送れということであって、けっしてソ連の援助をいっさいうちきれということではない。

 第二に、このような解釈は、実際には、ベトナム人民にたいしては、ソ連の援助を拒否してたたかえとすすめることと同じことである。

 しかもこのような主張は、結果的には、ベトナム人民を、自分をアメリカ帝国主義に売りわたすような援助にたいしてさえ感謝し、しかもソ連共産党指導部の口先一つでアメリカ帝国主義に売りわたされてしまう人民であるかのようにあつかうごとにもなる。これはベトナム人民の態度を誤って描き出すだけでなく、ベトナム人民を侮じょくするものである。ベトナム人民は、フランス帝国主義、日本帝国主義にたいする英雄的闘争を自主的におこなってこれを追い払い、その後凶悪なアメリカ帝国主義の侵略にたいする闘争を、自主的に、立派にたたかいつづけている偉大な人民である。南ベトナム解放民族戦線の闘争の発展も南ベトナム人民が主としてみずからの責任で自主的に解放の道をきりひらいてきた結果、かちとられたものである。このような自主独立の態度を一貫してつらぬきかつ苦難の闘争をおしすすめたことによって、ベトナム人民は、だれもがその闘争の輝かしい成果と国際的意義を認めざるをえないような状態をつくりあげたのである。万一、現代修正主義の国際的潮流が、どのような策略をめぐらそうと、アメリカ帝国主義に反対する断固たる闘争の方針を堅持しているベトナム人民とその前衛部隊はけっしてみずからの運命をアメリカ帝国主義にひきわたすことはないであろう。

 ソ連共産党指導部のベトナム問題にたいする二面的態度にたいして、マルクス・レーニン主義者がとらなければならない実践的態度も、革命的二面政策ただ一つしかない。すなわち、一方では、ソ連共産党指導部の態度のなかにある、また将来もあらわれうるいっさいの日和見主義的、分裂主義的路線と行動にたいして、批判を加え、それと闘争することである。すなわち、アメリカ帝国主義に迎合し、追従し、取引きすることをいっさいやめよ、アメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策にたいして、政治的、外交的にもっと決然たる態度をとれ、反帝闘争を阻害する行動、たとえば佐藤内閣の公然たる美化や、日本の民主運動にたいする干渉のような誤った行動をいっさいただちにやめよと批判することである。同時に、他方ではベトナム人民支援のために、ベトナム人民の4項目、5項目の要求を公式に支持しているソ連共産党とソ連人民をふくむいっさいの反帝民主勢力の国際統一行動を強化し、ソ連共産党指導部にたいして、もっと真剣にアメリカ帝国主義のベトナム侵略とたたかえ、かれらに効果的な反撃をおこなうために、その援助をさらに強化せよと要求することである。

 志田一派などのように、ソ連共産党指導部は「ベトナム人民を売りわたすアメリカ帝国主義の共犯者になりさがっている」と主張し、「アメリカ帝国主義の共犯者を統一行動にひきいれることは、アメリカ帝国主義をひきいれることになる」などと主張して、ベトナム侵略反対の国際統一行動と統一戦線からソ連共産党指導部を原則的に排除しようとすることは、実際には、アメリカ帝国主義に反対するこの国際統一行動を弱める分裂主義である。ソ連共産党が、ベトナム人民の4項目、5項目の要求を支持し、ベトナム人民を支援する方針を大会決定においても決めているにもかかわらず、これを「アメリカ帝国主義の共犯者」と決めつけて、ソ連共産党指導部を原則的に排除する方針をとることは、結局、ソ連共産党指導部が代表しているソ連共産党とソ連人民の全体を反帝勢力の団結から排除することにならざるをえない。そしてまた、こうした方針は、同じ理由で、今日、現代修正主義の潮流の影響下におかれているすべての共産党・労働者党とすべての社会主義国家、その指導下のすべての平和、民主団体を、それらがベトナム人民の闘争を公式に支持しているにもかかわらず国際統一行動、統一戦線から排除するという分裂主義的な立場にみちびかれざるをえない。だとすれば、このような方針をもっとも喜ぶものは、実際にはアメリカ帝国主義者である。なぜなら、ベトナム侵略戦争反対の闘争で、反帝民主勢力が分裂し、国際共産主義運動と社会主義陣営が分裂し、国際統一戦線がせまく小さなものになることを、もっとも歓迎し、期待しているのは、アメリカ帝国主義だからである。

 志田一派ら反党分子は、この分裂主義的主張を正当化しようとして、わが党の国際統一行動の提唱は、ソ連共産党指導部の「共同行動」論に追随したものであり、わが党の現代修正主義の潮流への思想的な降伏のあらわれだなどといって非難している。だが、わが党の国際統一行動の提唱が、ソ連共産党指導部の「共同行動」論と本質的な点でことなったものであることは、だれの目にも明白なことである。

 第一に、わが党の国際統一行動の提唱は、すでにのべたように、1964年以来、自主的な立場から、一貫しておこなわれてきたものである。ところがソ連共産党指導部の「共同行動」論は、昨年3月1日の分裂主義的国際会議以来、はじめて強調されはじめたものである。

 わが党が態度を変えてソ連共産党指導部に追随したのではなく、逆にソ連共産党指導部が、フルシチョフ以来の分裂主義路線の破たんの結果、自己批判ぬきで態度を変えて、わが党などの主張に似たものをとりいれることを余儀なくされたものであることは明らかである。これは、現代修正主義の国際的潮流の、従来の大国主義、分裂主義、セクト主義の一つの大きな実践的な破綻のあらわれである。

 第二に、わが党の提唱する国際統一行動は、くりかえしのべたように現代修正主義の日和見主義、分裂主義の路線とベトナム侵略反対闘争におけるそのあらわれにたいする、原則的な批判を堅持することと堅く結びついたものである。ところが、ソ連共産党指導部の「共同行動」論は、『プラウダ』その他でこれまで主張されているように、国際共産主義運動内部の「公開論争の停止」の主張と結びついている。しかし、真に統一行動を強化するためには、統一行動を妨げ、弱めるいっさいの日和見主義、分裂主義にたいする批判と闘争が必要であることは、いうまでもない。

 第三に、わが党は国際共産主義運動の行動の統一を実現するために、1960年の声明が規定した兄弟党間の関係についての基準を守ることが必要であることを一貫して主張している。ところがソ連共産党指導部は、「共同行動」を強調しながら、わが党やわが国の民主運動にたいする分裂行動を依然としてやめていない。本年1月の第1回アジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民連帯大会は満場一致で本年の第12回原水禁世界大会の支持を決議した。ところが、ソ連共産党指導部の指導下にあるソ連平和委員会は、ソ連代表も参加したこの決議をふみにじり、日本原水協が提示した条件を無視して、右翼社会民主主義者と反党修正主義者が中心になった分裂組織の大会にその代表を送っている。このような分裂行動をそのままにし、兄弟党間の関係の基準をやぶって志賀一派の反党集団を公然と支持激励してきたソ連共産党指導部の干渉、破壊活動などをそのままにして、すべての共産党・労働者党の行動の統一を真に強化することはできない。そしてわが党とソ連共産党が、直接の共同闘争をおこなう条件としては、一致できる政治的目標の明確な確認にとどまらず、ソ連共産党指導部がわが党とわが国の民主運動にたいする干渉・破壊活動をいっさい中止することなどが必要なのである。

 わが党が提唱しているベトナム侵略反対の国際統一行動は、わが党とソ連共産党指導部との共同闘争の問題だけを追求したものでもなければ、また、フルシチョフを中心とするソ連共産党指導部の不当な攻撃・干渉によってひきおこされた事態を放置したまま、ソ連共産党とわが党とが無条件で共同闘争をおこなうことを欲していることでもない。また、ソ連共産党と外国の特定の党との共同闘争が無条件的におこなわれるべきだということを提案しているものでもない。

 アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動、国際統一戦線の強化というわが党の提唱を目して、現代修正主義の潮流の反帝闘争回避の路線への無原則的追随だなどと攻撃するものたちは、まったく非科学的な中傷にふけっているにすぎない。わが党の路線は逆に、このような日和見主義、分裂主義の路線と断固としてたたかいながら、いっさいの反帝民主勢力の力を最大限に結集して、アメリカ帝国主義のベトナム侵略をうちやぶることをめざしたもっとも首尾一貫した、もっとも原則的な路線に立つものである。

四、反帝闘争と反修正主義闘争との関係の問題

 われわれがいま、とくに正しく理解する必要のあることは、このような国際民主運動、国際共産主義運動における行動の統一が、たんにアメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争とその拡大に反対する闘争を効果的に前進させるものであるだけでなく、同時に現代修正主義をはじめとするいっさいの日和見主義を克服して国際共産主義運動の真の団結をかちとる闘争をも効果的に前進させるものであるということである。なぜなら、このもっとも緊急で重要な国際的闘争は、だれが真の反帝勢力であるか、だれが真のマルクス・レーニン主義者であり、だれが裏切り者であるか、だれが国際共産主義運動の団結の真の守り手であり、だれが分裂主義者であるかを、すべての共産主義者と各国人民のまえに、実践の試練のなかで、容赦なく徹底的に明らかにするからである。したがってわれわれは、ベトナム侵略反対の国際統一行動を強化し発展させる闘争のなかで、アメリカ帝国主義にたいする闘争といっさいの日和見主義、分裂主義を克服する闘争を二つながら勝利させるためにも、反帝闘争と反修正主義闘争などを正しく結合し、適切に統一するしかたを知らなければならない。

 ベトナム侵略反対の国際統一行動のなかで、たとえば反帝闘争と反修正主義闘争とを正しく結合するためには、やはり一面闘争、一面団結という革命的二面政策こそが必要である。すなわち、現代修正主義と思想上、政治上はきびしく一線を画して、その日和見主義的妥協政策や不徹底さを批判しながら、同時に組織的には団結の旗を明確にかかげつづけて、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する国際民主運動、国際共産主義運動の共同行動を強化するために積極的に奮闘することである。

 この革命的二面政策について、わが党の論文「アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線を強化するために」は、つぎのようにのべている。

 「重要なことは、この共同行動が、アメリカ帝国主義の侵略と戦争への打撃を促進することとなるとともに、国際共産主義運動の団結をかちとるために必要なマルクス・レーニン主義の現代修正主義にたいする闘争をも前進させるものとなることである。われわれの現代修正主義にたいする闘争の唯一の目的は、マルクス・レーニン主義の原則とプロレタリア国際主義を守り、1957年の宣言と1960年の声明の革命的原則にもとづく国際共産主義運動の戦闘的行動と真の団結をかちとり、全世界の5000万人に近い共産主義者を結集して、平和、独立、民主主義、社会主義の事業を勝利させることにある。そして現代修正主義者の指導部の影響下にある多数の共産主義者と勤労人民が現代修正主義の有害な裏切りの本質を正しく自覚していない現状のもとでは、国際民主運動、国際共産主義運動の団結の旗を守り、団結して敵にあたる闘争のなかでこそ、現代修正主義の有害な影響からそれらの人びとをその実際的な政治的経験をつうじて正しくめざめさせ、こうして現代修正主義を理論的にも実践的にも真に克服して、国際共産主義運動の真の団結をかちとる道をさらに早めることができるのである。アメリカ帝国主義が二面政策をおしすすめ、現代修正主義者が二面政策をとらざるをえなくなっている今日の複雑な情勢のなかでは、マルクス・レーニン主義者が現代修正主義にたいする理論的、政治的闘争と、アメリカ帝国主義に反対する共同闘争の前進の努力とを正しく結びつけ、ともに強化することこそ、当面する局面を正しく打開し、国際共産主義運動と世界人民の共同の事業をもっとも正しく、もっとも効果的に遂行するただ一つの道である」

1、日和見主義、修正主義にたいする原則的な思想・理論闘争の強化

 マルクス・レーニン主義者はベトナム侵略戦争に反対する国際民主運動、国際共産主義運動の統一行動の強化のためにたたかいながら、あくまで現代修正主義をはじめとするいっさいの日和見主義と明確に思想上、政治上の一線を画し、日和見主義、分裂主義、大国主義の誤りにたいする原則的な思想・理論闘争をおこないつづけなければならない。

 もしもわれわれが、この重大な事態のなかでは国際共産主義運動の無条件の団結が必要になったとして、反帝闘争のなかに反修正主義闘争を解消させてしまい、現代修正主義にたいするいっさいの思想・理論闘争を停止し、無条件の共同行動だけを要求するならば、それは実際には、反帝闘争をも、反修正主義闘争をも、ともに失敗させることとならざるをえない。

 第一に、反帝闘争の前進を妨げる日和見主義、分裂主義とたたかうことなしに、反帝闘争を真に強化することはできない。現代修正主義の国際的潮流は、たとえば世界平和評議会のジュネーブ総会その他、最近の一連の国際民主運動の会議でみられるように、一方ではベトナム侵略戦争に反対し、ベトナム人民を支持する態度をとりながら、他方では、核拡散防止条約の締結をめぐる問題や国連とその諸機関にたいする態度など、いくつかの問題でアメリカ帝国主義との闘争を回避する日和見主義的態度を公然と強めはじめている。ソ連共産党指導部の国際路線も、すでにのべたように二面的なものである。たとえば、ソ連のグロムイコ外相は7月末に日本を訪問して佐藤首相、椎名外相らと会談したが、7月30日に発表された「日ソ共同コミュニケ」にはつぎのような驚くべき個所がある。

 「双方は国際情勢が全体としては、人類の破滅をもたらす核戦争を起こしてはならないとのすべての民族の確信を基礎として、社会制度を異にする諸国が平和裏に共存するという方向に進んでいることに満足の意を表明した」

 これは、ソ連共産党指導部が、ベトナム侵略戦争、とくに社会主義陣営の一国であるベトナム民主共和国の首都が連日爆撃されているという事態を局地的例外として軽視し、世界情勢全体を平和共存の発展として美化するフルシチョフ以来の誤った見地を依然として捨てていないことを、事実によって証明したものである。

 こうした情勢のもとでは、今後もベトナム情勢が重大化するたびごとに、大量殺りくを即時停止させるためとか、核戦争の危険を防ぎ「平和共存」を守るためとかを口実にして、「無条件停戦」その他のさまざまな妥協的態度がかならずあらわれるであろう。これにたいする批判と闘争なしに、ベトナム人民の真の独立と民族的統一、真の平和をかちとることもできず、国際民主運動、国際共産主義運動の反帝闘争を強化することはできない。

 第二に、マルクス・レーニン主義者が日和見主義と分裂主義の路線を批判することをやめることは、現代修正主義をはじめとするいっさいの日和見主義の潮流とマルクス・レーニン主義の潮流との思想的、政治的区別をあいまいにし、結局は国際共産主義運動のマルクス・レーニン主義的強化と真の団結の事業をあやうくする結果をもたらすだろう。

 レーニンは、いっさいの日和見主義、修正主義との闘争のなかで、革命的マルクス主義者が、つねに、ブルジョア思想の影響のどんな小さなあらわれとも非妥協的にたたかい、思想上、政治上では日和見主義、修正主義と明確に一線を画することを要求しつづけた。

 レーニンは、ロシアのマルクス主義者が、どんな場合にも「ブルジョア自由主義派にたいし、また労農運動内部のブルジョア自由主義派の影響のどんな小さなあらわれにたいしても、まったく仮借することのない思想上および政治上のたたかいをおこなうことができ、それをやめなかった」(レーニン「共産主義内の『左翼主義』小児病」、全集31巻、59ページ)と書いている。

 われわれは、レーニンのこのような原則的態度に学んで、わが国の革命運動に挑戦する現代修正主義をはじめとするいっさいの日和見主義、分裂主義にたいし、もっとも明確に思想上、政治上の一線を画し、その原則的誤りについて必要な批判をおこない、マルクス・レーニン主義の原則を擁護するために確固とした思想的理論的見地をつらぬかなければならない。このマルクス・レーニン主義擁護の闘争は、条件と必要に応じてさまざまな形態をとるとしても、このような闘争なしには、マルクス・レーニン主義にもとづいて是非を明らかにすることはできず、いっさいの日和見主義を克服して、わが国の革命運動を発展させ、国際共産主義運動の真の団結のために貢献することはできない。

 日和見主義、修正主義を克服して、わが国の革命運動のマルクス・レーニン主義的隊列を強化し、国際共産主義運動の真の団結に貢献するこの事業は、なによりもまず、思想的、政治的事業である。われわれは、現代修正主義をはじめとするいっさいの日和見主義の思想、理論、路線、政策を、マルクス・レーニン主義の科学と事実にもとづき、わが党の綱領にもとづいて完全に粉砕し、強大な日本共産党をつくりあげるための党の思想的、政治的建設をおしすすめなければならない。それは、すべての共産党・労働者党、全世界で活動している約5000万の共産主義者の圧倒的多数が、マルクス・レーニン主義の革命的学説のまわりにゆるぎなく結集し、国際共産主義運動のいっそう力づよい革命的前進をかちとる共同の思想的、政治的事業の重要な一環となるものである。

 この歴史的事業の勝利を保障する力は、第一に、マルクス・レーニン主義の科学的学説の思想的、理論的力であり、第二に、国際共産主義運動に結集している共産主義者、全世界の反帝勢力と各国人民の闘争の実践である。われわれは、マルクス・レーニン主義を堅持し、人民大衆の闘争に依拠して日和見主義、修正主義にたいして科学的説得力のある原則的批判をすすめ、いまなお日和見主義、修正主義の政治的影響のもとにある少なくない共産主義者が、首尾一貫したマルクス・レーニン主義者となり、国際共産主義運動のより高い水準の団結がかちとられる日が1日も早くくることをめざして、奮闘しなければならない。

2、組織上一線を画することについてのレーニンの教訓

 しかし、ベトナム侵略戦争反対の統一行動のなかで、現代修正主義にたいして、あくまで思想上、政治上の一線を画し、思想・理論闘争を強化しなければならないということは、志田一派ら反党教条主義者が主張するように、ただちにすべての日和見主義者、修正主義者と組織的に決裂し、ソ連共産党指導部などをこの統一行動から一律に排除することを意味しない。

 修正主義と思想上、政治上一線を画する必要を、ただちに組織上一線を画することと直結させ、「修正主義者とはいかなる共同行動もありえない」として、いまただちにソ連共産党指導部、ひいては事実上ソ連共産党とソ連の政府、人民などを反帝国際統一,行動や統一戦線から原期的に排除することはどのような意味をもつだろうか。それは、事実上国際共産主義運動の分裂を決定的なものとして、今日における修正主義の克服の事業をかえって困難にする教条主義、セクト主義であり、他の極端の日和見主義、分裂主義におちいることを意味する。

 すでにのべたように、レーニンは、内外の日和見主義、修正主義の潮流にたいする闘争のなかで、革命的マルクス主義者が、つねに、ごれらの潮流と思想上、政治上「一線を画する」ことを要求しつづけた。だが、レーニンは、思想上、政治上「一線を画する」ことと、組織上「一線を画する」こととを厳密に区別し、日和見主義、修正主義の潮流と組織上「一線を画する」ことを不変の原則にまつりあげたり、これとの統一行動をどんな場合でも無条件に拒否するような態度はけっしてとらなかった。わが党の論文「アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線を強化するために」でものべたように、レーニンは、一定の条件のもとでは、日和見主義、修正主義の潮流と組織上も一線を画することを主張した。だが、同時に、他の一定の条件のもとでは、とくに、日和見主義、修正主義の潮流の指導部がたとえ不徹底にもせよ、また欺まん的でさえあっても、帝国主義や反動勢力との闘争を公然と主張して、その誤った路線の本質をまだ明確に自覚していない広範な大衆に一定の影響力をもっており、労働者階級と人民の広範な部分が行動の統一をつよく求めている場合には、帝国主義や反動勢力との闘争において、日和見主義、修正主義の潮流をもふくむ行動の統一の必要を積極的に強調した。

 それはこうした統一行動、統一戦線の政策が、第一に、広範な労働者階級と人民を帝国主義と反動勢力にたいする闘争に結集することに役立ち、帝国主義と反動勢力に効果的打撃を加えうるからである。第二に、日和見主義、修正主義の潮流の影響下にある労働者階級と人民が、自分自身の政治的経験をつうじて帝国主義や反動勢力にたいしてだれが徹底してたたかい、妥協するかを知り、日和見主義、修正主義の路線の誤りと害悪を理解して真に革命的な立場に移行するものを助けることに役立つからである。その際にも、レーニンが思想上、政治上の批判と闘争をけっしてやめなかったことはいうまでもない。レーニンは「共産主義内の『左翼主義』小児病」のなかで、日和見主義、修正主義の潮流を克服する闘争における統一戦線戦術の重要性を強調して、つぎのように教えている。

 「すべての問題はプロレタリア的自覚、革命精神、闘争能力と勝利をかちとる能力の一般水準を引下げず、高めるために、この戦術を適用するすべを知ることである。……『どんな妥協もしない、どんな迂回政策もとらない』という性急な『決定』は、革命的プロレタリアートの影響を強め、彼らの勢力を増強する仕事に害をあたえるにすぎない」(全集31巻、62ページ)

 すなわち、マルクス・レーニン主義党にとって必要なことは、右翼追随主義にも「左翼」セクト主義にもおちいらずに統一戦線の政策を正しく遂行することであって、あらゆる場合に、日和見主義、修正主義の潮流をふくむ統一戦線を、原則的に拒否することではない。それぞれの歴史的時期にかかれたレーニンの論文をその時期の具体的情勢から切り離して、そのなかから、たとえば、解党主義者、社会排外主義者との統一はありえないことを主張した部分などを引用して、日和見主義者とのいかなる行動の統一もありえないことを論証しようとすることは、マルクス・レーニン主義を行動の指針でなく、文字どおり教条にかえることにほかならない。

 (1)実際、レーニンは、ロシア国内では、革命的マルクス・レーニン主義党―ボリシェビキ党の建設をめざして不屈の闘争をおこないながら、ロシアの広範な革命的労働者を本当に党と革命の事業に結集するためにも、ロシアにおける修正主義の代表的潮流であるメンシェビキとの統一行動をなんどもおこなった。とくに1903-5年、1906-12年には、思想的、政治的にはその日和見主義路線と断固としてたたかいながら、組織的には「単一の社会民主党」という形でツァーリズムに反対する闘争における統一行動の政策を実行した。これは、レーニンもいっているように、当時における統一戦線の一形態であった。

 「1903-1912年にはわれわれはメンシェビキと数年間、単一の社会民主党に正式にはいっていたが、プロレタリアートにたいするブルジョア的影響の伝達者であり、日和見主義者であるかれらと、思想的および政治的にたたかうことをけっしてやめなかった」(レーニン、同前59ページ)。

 レーニンとボリシェビキ党が、修正主義の潮流と組織的にも「一線を画し」、組織的に決裂する方針をとったのは、ロシア国内では、メンシェビキが党の破壊を公然と主張する解党主義に転落した時期においてであった。

 (2)レーニンは国際的にも、一定の条件のもとでは、日和見主義、修正主義の潮流との国際的統一戦線の政策をとることをけっしてためらわなかった。すなわち、レーニンはベルシシュタイン、カウツキーなどに代表される日和見主義、修正主義の潮流にたいする政治的、思想的な闘争をはげしくおこないながらも、第1次世界大戦が勃発するまでは、第2インタナショナル内部で国際的共同行動と一定の団結を維持する態度をとりつづけた。レーニンが、第2インタナショナルの日和見主義、修正主義の潮流との決裂を、断固として主張し実行したのは、第1次世界大戦の勃発とともに、第2インタナショナル内の日和見主義的潮流が、従来の国際的決議を公然とふみにじって、帝国主義戦争を公然と支持し、社会排外主義への転落を明らかにした時期であった。

 「社会排外主義とは、ブルジョア的はれものである日和見主義が、社会主義諸党の内部でいままでどおりの存在をつづけられなくなったほどに成熟したものである」(レーニン「第2インタナショナルの崩壊」、全集21巻、244ページ)

 このような成熟した日和見主義によって、このように決定的な裏切りがおこなわれ、それが世界人民の眼の前で白日のもとにさらけだされた状況のもとでは、帝国主義戦争を内乱に転化させる革命的闘争を組織し発展させるためにも、社会排外主義の潮流と組繊的に絶縁する必要があり、その新しい旗のもとに広範なマルクス主義者と広範な大衆を急速に結集していく現実的条件も生まれていた。こうしてレーニンは、崩壊した第2インタナシショナルと組織的に決裂して第3インタナショナルを結成したのである。

 ここで注目する必要があるのは、レーニンが第2インタナショナルの崩壊を宣言し、新しい革命的インタナショナル――第3インタナショナルの創設のための闘争をただちに開始しながら、その過程を促進するためにも、ツィンメルワルド会議(1915年)やキンタール会議(1916年)において不徹底ではあるが帝国主義に反対していた一部の修正主義的潮流とも、一時的な共同行動をおこなったことである。

 「戦時には、われわれは『カウツキー派』、メンシェビキ左派(マルトフ)、部分的には『社会革命党』(チェルノフ、ナタンソン)とある種の妥協をし、ツィンメルワルドとキンタールでは彼らと同席し、共同宣言をだしたが、しかし、『カウツキー派』、マルトフ、チェルノフと思想的および政治的にたたかうことをけっしてやめなかったし、またよわめもしなかった」(レーニン「共産主義内の『左翼主義』小児病」、全集31巻、59ページ)

 レーニンが、これらの修正主義的潮流と組織上も一線を画することを主張したのは、キンタール会議ののち、これら「ツィンメルワルド右派」が社会排外主義との闘争の方向へではなく、「社会排外主義と合流する方向へすっかり転換してしまった」(レーニン「国際社会主義委員会およびすべての社会主義政党にたいする呼びかけのテーゼ原案」、全集23巻、236ページ)ことが決定的に明らかになってからであった。

 さらに重要なことは、前節でものべたように、第1次大戦後、一方で第3インタナショナルがその日和見主義、修正主義にたいする公然たる闘争の展開によって国際労働者階級のなかで確固とした地歩を確立し、他方、第2インタナショナルが日和見主義、修正主義の諸党の国際組織として「再建」された時期にも、レーニンが、国際資本にたいする闘争において、第3インタナショナルと、第2および第2半インタナショナルとのあいだに統一行動、統一戦線を結ぶことを主張しかつ実行したことである。

 レーニンの指導したこの統一戦線戦術が、その後第3インタナショナルの第7回世界大会の反ファシズム統一戦線戦術に発展させられたことは、前掲論文「アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線を強化するために」が指摘したとおりである。

 日和見主義、修正主義の潮流にたいする一貫した政治的、思想的な闘争を、国際的、国内的統一行動、統一戦線のための努力と正しく結びつけたレーニンのこうした活動をふりかえるならば、修正主義のどんな潮流とも、いついかなる場合でも、組織的に「一線を画さ」なければならないと主張して、それぞれの時期における修正主義的潮流あるいはあれこれの部分の態度を具体的に評価することなしに、修正主義的潮流をふくむ国際的な統一行動を原則的に拒否することが、レーニン主義といかに無縁の見地であるかは、きわめて明瞭であろう。

3、第2インター時代との歴史的相違と教条主義、セクト主義の誤り

 われわれが、論文「アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線を強化するために」で強調したように、日和見主義、修正主義の潮流との闘争についてのレーニンのこれらの教訓を正しく学びとることは、今日反帝国際統一戦線の結成と強化、国際共産主義運動のマルクス・レーニン主義的強化と真の団結をめざすわれわれの闘争にとって、きわめて重要な意義をもっていた

 今日の国際情勢を、ただ修正主義の国際的潮流の強化ということで、第2インタナショナルの崩壊の時期、すなわちレーニンが第3インタナショナルの結成に踏み切った時期と同じだとみるのは、今日の情勢の全体を科学的に正確にとらえる能力を欠いて、レーニンの教訓から一知半解の一面的結論をひきだすことであり、誤った機械的、教条主義的類推におちいることである。

 レーニンの教訓にてらしながら、今日における国際統一行動の問題に対処するにあたって、われわれが重視する必要があるのは、今日の情勢のつぎのような特徴である。

 第一に、現在は、レーニンの時代と比べて、国際共産主義運動ははるかに大きく成長し、13の社会主義国家からなる社会主義の世界体制が成立し、世界人民の反帝、民族解放、平和の闘争に巨大な歴史的前進をとげている。そしてアメリカ帝国主義のベトナム侵略にたいして、これらすべての反帝民主勢力は、一致してそれを非難し、反帝民主勢力、国際共産主義運動、社会主義陣営の団結した力で効果的な反撃をくわえることをつよく要求しており、国際統一行動と国際統一戦線の強化を切実に求めている。

 第二に、こうした情勢はすでにのべたように、修正主義の潮流にも、主に修正主義者の指導する党の態度にも反映している。第2インタナショナルの指導者たちは、第1次帝国主義戦争の勃発に際して「祖国擁護」の名のもとに帝国主義戦争を公然と支持した。しかし、ユーゴスラビアのチトー一派をのぞいて、修正主義的指導部をもつ諸党は、フルシチョフ時代にはさまざまな問題で公然とアメリカ帝国主義の政策に追随したとはいえ、ベトナム侵略戦争の凶暴化に直面した今日では、アメリカ帝国主義に反対することを、公然と表明することをよぎなくされている。

 第三に現代修正主義の潮流が、その指導と影響のもとにおいているのは、社会民主主義政党やその影響下の大衆ではなく、国際共産主義運勧、社会主義陣営、国際民主運動のすくなからぬ部分である。

 もしも今日、第2インタナショナルの諸党が帝国主義戦争を支持したように、修正主義的指導部をもつ諸党がアメリカ帝国主義のベトナム侵略を公然と支持する態度を一貫してとるまでに転落するなら、マルクス・レーニン主義者は、ベトナム侵略反対の国際統一行動にこれらの諸党を加えることはできず、レーニンが第2インタナショナルの崩壊を宣言したときと同じように、組織的にも断固としてかれらと絶縁しなければならない。この場合の組織的決裂は、ベトナム侵略戦争反対の闘争を勝利させるためにどうしても必要であり、世界の人民の支持をうけ、現代修正主義の国際的潮流の影響下にある人びとをふくめて圧倒的多数の共産主義者を結集することができ、正しい立場にたった党はいっそう権威を高めるであろう。

 しかし今日、ソ連共産党指導部その他も、フルシチョフ以来の従来の路線を根本的に清算することを回避しながらも、自己批判ぬきでなしくずしに手直しして、英雄的にたたかっているベトナム人民をはじめとする世界の人民の圧力のもとに、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対し、ベトナム人民の要求を支持し、ベトナム人民にたいする一定の具体的援助をおこなっている。

 こうした情勢のもとでは、今日の時期を、第2インタナショナルの崩壊の時期、第3インタナショナル結成の時期と教条主義的に同一視し、修正主義的傾向の指導部をもった党の組織的分裂を促進することは許されない。

 志田一派ら反党分子、反党教条主義者は、今日の情勢のこのような特徴を具体的に分析せず、さらにまた複雑な分化とさまざまな矛盾を深めている修正主義的傾向の指導部をもつ諸党の現状を科学的に分析せず、世界の人民の切実な要求を無視して、単純な歴史的類推にたよって性急にソ連共産党などとの組織的決裂をとなえ、これらの諸党をベトナム侵略反対の国際統一行動から除外することを主張している。しかしこれは、日和見主義者、修正主義者との闘争にかんするレーニンの教訓をきわめて一面化し、悲劇的なほど教条主義的、セクト主義的に適用する誤りにおちいることになる。そのような立場は、けっきょくのところ、国際共産主義運動の団結がもっともつよく求められているときに、事実上、国際共産主義運動の決定的分裂をめざす分裂主義の立場に立つことを意味している。それは、あらわれかたに右と「左」のちがいはあっても、本質的には、右からの分裂主義と同じ分裂主義である。このことは、教条主義、セクト主義によっては現代修正主義の日和見主義、分裂主義を効果的に克服できないこと、それどころか、それはただ裏返しの日和見主義、分裂主義にみちびくだけであることを、はっきりと示している。

 ソ連共産虎指導部との組織的決裂をとなえて、反米、反ソの国際統一戦線を主張する教条主義的、セクト主義的戦術は、すでにのべたように、反帝民主勢力の国際統一行動を本質的に否定することによって反帝闘争を弱めるだけでなく、反篠正主義闘争をも弱める二重の日和見主義である。

 このような教条主義、セクト主義的戦術は、マルクス・レーニン主義と現代修正主義とのするどい闘争のなかで、現代修正主義の国際的潮流に「団結」の旗を利用させ、しかも修正主義的指導部をもつ諸党の二面的態度を合理化してやる役割をも果たすことになる。そうした傾向をもった指導部は、ベトナム人民支援のための各国共産党・労働者党の「共同行動」をおおいに強調しながら、その共同行動が組織されない責任を、ソ連などをふくむ国際統一行動を拒否する側に一方的に転嫁しようとするだろう。さらにまた、それを口実として、ベトナム人民にたいする援助の強化をおこたり、アメリカ帝国主義の凶暴な段階的拡大にたいする効果的な反撃をおこなうことに消極的態度をとることができるようになるだろう。

 しかもそうした際に、この教条主義、セクト主義の立場は、ソ連その他を排除してたたかうというだけで、ソ連共産党をもふくめた全反帝民主勢力の統一行動にかわるにたるだけの、積極的な闘争の指針を提示することができない。反修正主義、反ソ連共産党を事実上第一義化し、ベトナム人民を売りわたすとか現代修正主義を美化するとかいう理由で統一行動に反対するこの立場は、先に指摘したベトナム侵略戦争拡大を不可避とみて、その対策だけに力を集中する立場と同様、実際には、消極的、受動的なものである。すなわちこの立場は、一見戦闘的にみえはするが、結局は、ベトナム侵略反対の国際的課題にたいしても、現代修正主義の克服という課題にたいしても、積極的にここたえる内容をもたない受動的な立場にすぎないのである。

 志田一派のように、ソ連共産党指導部はベトナム人民をアメリカ帝国主義に売りわたすことをねらっているという理由で、ベトナム侵略反対の国際統一行動からソ連共産党指導部を原則的に排除しようとすることは、実際には修正主義との闘争における敗北主義である。それは、すでに指摘したようにベトナム人民の力を信ぜず、またベトナム人民の英雄的闘争を支持してたたかっている反帝民主勢力の力を信ぜず、ベトナム侵略反対の統一行動を無条件の共同行動であるかのようにゆがめたうえで、世界史をうごかす真の原動力である反帝民主勢力が、ソ連共産党指導部をふくむ統一行動をおこなったとたんに、その日和見主義的欺まんにだまされることは必至であるという立場に立つことを意味する。それはまた、追いつめられた現代修正主義の国際的潮流が、ベトナム侵略反対の国際統一行動をつうじて、ベトナム人民とこの国際統一行動全体を、アメリカ帝国主義にひきわたすほどの力をもっていると決めこむことを意味する。これが敗北主義以外のなにものでもないことは明らかであう。

 だが実際には、わが党が提唱しているベトナム侵略反対の国際統一行動は、だれによるものにせよ、裏切り行為を許す無条件の共同行動ではけっしてない。それが、ソ連共産党指導部もまた主張せざるをえなくなっているベトナム民主共和国の4項目の主張と南ベトナム解放民族戦線の5項目の声明の支持を確認し、アメリカ帝国主義のベトナム侵略政策との無原則的な妥協を拒否して、ベトナム人民の最後の勝利の日までたたかいぬくことを確認しあうなど、統一行動の目標と条件を明白にした統一行動でなければならないことは、いうまでもないことである。マルクス・レーニン主義者は、ベトナム侵略反対の国際統一行動を、このようなものとするためにたたかわなければならないし、それをかちとる条件は現実に存在している。

 また現在、二面的態度をとっているソ連共産党指導部にたいして、現代修正主義にたいする思想・理論闘争と、アメリカ帝国主義に反対する共同闘争の前進のための努力とを正しく結びつける革命的二面政策をとることは、けっして、志田一派がいうように、ソ連共産党指導部を飾り立ててやり、かれらを美化することではない。反対にそれは、現代修正主義者をさらに追いつめ、裏切った場合には、もっとも公明正大に、もっとも実践的にその裏切りを暴露することである。すなわち必要な国際統一行動を強化するにあたっては、マルクス・レーニン主義者は、すでにのべたように、この統一行動の目的を確認するとともに、そのすべての参加者にたいして、アメリカ帝国主義にたいして、国際関係の全般にわたって毅然とした態度をとれ、ベトナム人民への武器援助を最大限に増大せよ、最後までベトナム人民を裏切らず積極的に支援せよ、アメリカと個別的な秘密取引きをいっさいおこなうな、などなどの当然の条件を要求することができる。もしもソ連共産党指導部が言を左右にしてこの当然の条件に応ぜず、あるいはこの条件に応じておきながらそれを裏切るならば、それこそそれまでソ連共産党指導部に幻想をもっていた人びとにたいしても、かれらがなんの信義もない日和見主義者であるごとを、事実と大衆の切実な政治的体験にもとづいて暴露できる。

 しかし、もちろんわれわれが望んでいるのは、ソ連共産党指導部がますます裏切りの道をすすむことでも、またその裏切りによってかれらがいつまでも暴露の対象になりつづけていればよいということでもない。世界人民の利益と、国際共産主義運動の利益のために、われわれが望んでいるのは、ソ連共産党が、統一行動におけるこれらの条件を守り、さらに真剣に反帝闘争をおしすすめざるをえないようになり、アメリカ帝国主義との妥協政策がさらに弱くなり、ソ連共産党が真に革命的な路線に立つ日が早くくることである。

 世界の人民と国際共産主義運動にとって、かつてレーニンの指導のもとに偉大な歴史的役割をはたし、今後も重大な使命をもつソ連共産党、2億の人民を指導して世界の革命運動、民族解放運動、平和運動に大きな影響力をもつソ連共産党が、転落の道をすすむか、それともアメリカ帝国主義とたたかうことをつうじて、マルクス・レーニン主義の大道にたちもどる党となるかは、けっしてどうでもよい問題ではない。どちらが世界の人民と国際共産主義運動の利益になるかは、きわめて明白である。

 ソ連共産党指導部の公然たる攻撃と干渉・破壊活動をうけたわが党が、これまでソ連共産党指導部と公然たる論争をおこない、その路線と行動にあらわれた日和見主義、分裂主義、大国主義の誤りをいまもなお批判しつづけているのも、わが国の革命運動を守る緊急の任務にもとづくものである。同時にそれは、ソ連共産党の転落をおしすすめるためではなく、その批判によって、いまなお現代修正主義の害悪を自覚していない多くの共産主義者が正しく目ざめることに貢献し、ソ連共産党自身が現代修正主義を克服して、マルクス・レーニン主義の道に立ちもどることを心から希望しているからである。

4、ソ連共産党指導部と志賀一派の問題

 志田一派らの反党分子は、志賀一派の問題までもちだし、国内で志賀一派との統一行動を拒否するのが正しいとすれば、それと同じように、国際的にも、ソ連共産党指導部などとの統一行動を拒否するのが当然ではないか、として、わが党の国際統一行動の主張を非難攻撃している。

 たしかにわが党は、一貫して、国際共産主義運動の一員であるソ連共産党指導部にたいして、思想的、政治的には同じ現代修正主義の国際的潮流の一部を形づくっている志賀一派らの反党集団と、組織的には区別した態度をとってきた。だが、わが党のこうした態度を攻撃する反党教条主義者の議論は、かれらが、今日における国際統一行動、統一戦線のための闘争の意義をまったく理解できないことをかさねて示しているだけである。なぜなら、われわれがソ連共産党指導部などをふくめてアメリカ帝国主義のベトナム侵略反対の態度をとっているすべての共産党・労働者党、すべての反帝民主勢力の国際統一行動と統一戦線を主張しているのは、なによりもまず、反帝闘争における国際共産主義運動の行動の統一を実現し、全世界の反帝民主勢力の団結を前進させるためである。ところが、志賀一派は、国際共産主義運動の団結の見地からも、日本と世界の民主勢力の団結の見地からも、いかなる意味でも統一行動の対象となりうるものではないからである。

 フルシチョフ以来のソ連共産党指導部と、志賀一派の反党修正主義者の集団とは、思想的、政治的には現代修正主義の同じ潮流に属するものであり、その日和見主義、修正主義、分裂主義の路線は、ともにマルクス・レーニン主義者の徹底した闘争によって打破し、消滅させ、共産主義運動から一掃しなければならないものである。しかし、これにたいする実践的な態度、つまり、どうしてその修正主義を克服し、消滅させるかを問題にする場合、また反帝民主勢力の統一戦線や国際共産主義運動の団結を問題にする場合には、ソ連共産党指導部と志賀一派とのあいだには、けっして同列に論じることのできないちがいがある。

 第一に、ソ連共産党指導部は、フルシチョフ以来、現代修正主義の国際的潮流の中心の一つをなしてきたとはいえ、それは明らかに、国際共産主義運動の公認の一部隊として、1960年の共産党・労働者党代表者会議にも参加したソ連共産党の指導部であり、ソ連政府をつうじて2億のソ連人民に具体的な影響をもっている党の指導部である。

 ところが、志賀、神山、内藤、春日庄次郎一派の反党修正主義者の集団は、いかなる意味でも、共産主義運動を構成する勢力ではない。かれらは、恥知らずにも日本の「共産主義運動の統一」などのスローガンをかかげ、しきりに自分たちを共産主義運動内部の一勢力にみせかけようとつとめているが、その欺まんの本質は、かれらの発生と今日までの活動の実態をみれば、ただちに明らかになる。この集団を構成しているのは、第8回党大会の前夜に党綱領に反対して党から脱走して除名された内藤、春日(庄)一派と、一昨年、フルシチョフら現代修正主義の国際的潮流に盲従して党破壊活動を開始し、第9回党大会で全員一致除名された志賀、神山一派とである。離合集散をくりかえしてきたかれらは、いま、さらに新しい再分裂を生み出しながらも、日本共産党への反対と、現代修正主義の国際的潮流への盲従を第一の旗印にして、みにくい野合をくわだてている。このように、かれらは、たんに共産党内部に存在している日和見主義的分子や傾向ではなく、党規律の重大な違反をおかして、わが日本共産党の大会で全員一致除名され、除名後も党の隊列の撹乱と破壊を最大の目的として活動している党破壊分子の集団――一国におけるマルクス・レーニン主義党の存立そのものに挑戦し敵対している反党集団なのである。マルクス・レーニン主義党にとっては、反党修正主義者の集団であれ、あるいは志田一派の反党教条主義者の集団であれ、こうした反党集団とのいかなる「共同行動」も問題となりえないことは、明白である。これらの党破壊分子にたいしては、これを仮借なく粉砕するための断固とした闘争があるだけである。

 「国際共産主義運動の経験全体がおしえているように、社会主義革命、社会主義建設と共産主義建設という任務を首尾よく解決するのに欠くことのできない保障は、共産党・労働者党が自分の隊列のマルクス・レーニン主義的統一を守り、この統一を破壊する分派やグループをゆるさないことである」(1957年の宣言)

 そして、宣言と声明が明確に規定しているように、こうして、いっさいの党破壊分子とこれを支持する国外からのあらゆる干渉・撹乱活動と粉砕し、マルクス・レーニン主義にもとづく2国の党の団結、その隊列の戦闘的統一をうちかためることは、その国の労働者階級のただ一つの前衛党として、自国の革命運動にたいする責任をはたす道であると同時に、国際共産主義運動の団結にとって欠くことのできない前提をなすものなのである。

 国際共産主義運動の団結にとって、欠くことのできない前提となっているという点では同じく現代修正主義の国際的潮流を形づくっているチトー一派との闘争もまた、志賀一派にたいする闘争と同じ性質をもつ課題である。

 ユーゴスラビアのチトー一派は、ソ連共産党指導部とはことなり、1960年の声明に明らかなように、国際共産主義運動から組織的に排除されなければならない存在である。チトー一派は、マルクス・レーニン主義を公然と裏切り、宣言と声明の革命的原則に正面から反対し、国際共産主義運動と社会主義陣営から脱落して破壊工作をおこなっている集団であり、世界の共産党・労働者党が一致して、これとたたかうことが「マルクス・レーニン主義党の欠くことのできない課題」(声明)であることを確認した集団である。国際共産主義運動の統一と団結は、チトー一派と組織上も明確に一線を画し、そのあらゆる策動と非妥協的にたたかうことによって強化される。

 第二に、すでに指摘したように、ソ連共産党指導部は、その修正主義、日和見主義の誤った路線にもかかわらず、ソ連共産党とソ連の国家を指導し、ソ連人民を代表している勢力であり、ソ連共産党指導部とのなんらかの統一行動をぬきにして、ソ連人民を反帝勢力の共同闘争にひきいれることはできない。

 ところが、この点でも志賀・内藤一派の反党修正主義者の集団は、日本人民のあれこれの部分をも代表する政治勢力ではまったくない。かれらは、フルシチョフに盲従して党を裏切り、党破壊の分派活動によって党から除名され、あるいば脱走した裏切り者や腐敗分子だけをかきあつめたほんのひとにぎりの事大主義的反共集団にすぎず、わが党の第9回大会決定が明らかにしているように「日本人民のなかになんの基礎ももたない寄生的な徒党であり、内外の分裂主義の道具にすぎない」。この点では、志賀・内藤らの反党集団は、社会民主主義政党や労働組合その他の大衆団体とも、性格をことにしている。社会民主主義政党や労働組合などは、たとえその組織が日和見主義、修正主義の路線をとり、また指導部内に右翼的分裂的勢力がいたとしても、現在、たんなる修正主義者や反共分裂主義者だけの集団ではなく、一定の大衆を組織し、人民のあいだに一定の大衆的基礎をもっているのである。

 しかも、これまでのかれらの主張と行動がはっきりと示しているように、この反党集団が日本人民の闘争のなかで一貫してはたしてきた政治的役割は、社会党や労働組合内部のもっとも右翼的、反共的な部分と結びついて、大衆のあいだに反共主義をもちこみ、統一戦線の前進を妨害し、運動の分裂、撹乱をはかること、すなわち、民主勢力の団結を破壊する最悪の分裂集団としての役割である。このような、党破壊分子、分裂主義者だけをかきあつめた反共分裂集団との「統一行動」は、日本人民と民主勢力の統一の前進にとってなんら役だつものではなく、逆に、反共主義、分裂主義を助長して民主勢力の団結をそこなうだけのことでしかない。

 このことは、アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動の重要な一翼をになう、わが国の民主勢力の統一行動、統一戦線の前進をかちとるためにも、反党集団を民主勢力の統一行動に加えることを拒否するだけでなく、かれらを粉砕し、その策動を徹底的にうちやぶらなければならないということを、はっきりと示しているのである。

 志賀一派の問題をもちだして、国際統一戦線に反対する論拠にしようとした志田一派の議論が、共産主義運動および民主運動における、ソ連共産党指導部などと党破壊集団の実際の地位と役割の相違をまったく無視して、善意の人びとをまどわそうとする議論であることは、すでに明らかであろう。志賀一派はもちろん、志田一派やトロツキスト挑発集団など、いっさいの反党集団と非妥協的にたたかい、これを完全に粉砕することは、日本共産党の団結をかため、日本の民主勢力の統一行動の前進をかちとるための欠くことのできない課題である。同時に、この闘争を徹底的におしすすめてこそ、われわれは、国際共産主義運動の団結と世界の反帝民主勢力の共同闘争の前進に積極的に貢献することができるのである。

 ベトナム侵略反対の国際統一行動からソ連共産党を原則的に排除し、アメリカ帝国主義の側におしやることが、現代修正主義を効果的に克服するためにも、世界人民と国際共産主義運動の利益になる方向にソ連共産党が前進するためにも役立つ道でもないことは、きわめて明白である。ベトナム侵略反対の国際統一行動の強化と現代修正主義にたいする思想上、政治上の闘争の強化とを正しく結びつけ、その実際の政治的体験をつうじて全世界の労働者階級と勤労人民をマルクス・レーニン主義の側に獲得することこそ、真に現代修正主義の日和見主義、分裂主義に打撃をあたえ、ソ連共産党がレーニンのつくった党にふさわしい党に立ちもどる国際的条件をつくることに貢献する道である。

 この意味では、わが党が一貫して提唱してきた反帝闘争における統一行動は、けっして現代修正主義との無原則的共同を意味するものではない。それは、マルクス・レーニン主義と現代修正主義とのきびしい闘争の一形態であり、広範な大衆の要求にこたえた統一行動のなかでどちらが大衆を決定的に獲得するかという、もっとも重要な思想的、政治的闘争の場をつくることでもある。それは、現代修正主義を効果的に克服するための、もっとも積極的な、もっとも原則的な闘争方針なのである。

 このような革命的二面政策と統一戦線戦術こそ、ベトナム侵略戦争反対の国際的闘争を勝利させる重要な道であると同時に、現代修正主義を効果的に克服して、国際共産主義運動の真の団結とマルクス・レーニン主義的強化を達成する重要な道なのである。

五、二つの戦線での闘争とマルクス・レーニン主義の堅持

 わが党の2月4日付『赤旗』の論文でも指摘したように、ベトナム侵略に反対する国際統一行動、国際統一戦線は、さまざまな障害や抵抗に直面しながらも、昨年来、一連の重要な前進をかちとってきた。昨年の第4回アジア・アフリカ人民連帯会議、ベトナム労働者人民支援国際労働組合委員会第2回会議、ヘルシンキの平和と民族解放と全般的軍縮のための世界大会、第11回原水爆禁止世界大会などは、一部の代表による反帝闘争回避の路線を克服して、ベトナム侵略戦争反対をはじめとする具体的課題で国際的団結を前進させたものであった。とくに、本年(1966年)1月ハバナでひらかれた第1回アジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民連帯大会の成果は、ソ連、中国をはじめ一連の社会主義国をふくむ3大陸人民の反帝統一戦線の形成として重要な意義をもつものであった。

 また、すでにのべたように、各国人民のベトナム侵略反対闘争も、ますます前進している。かつてない英雄主義を発揮し、最後の勝利の確信をますますかためながら全力をつくしてたたかっているベトナム人民にたいして、少なくない国の反帝民主勢力が、けだかいプロレタリア国際主義にもとづく強力な支援闘争をおこなっており、個々の社会主義国のなかにも、一貫して全力をあげて支援をおこなっている国がある。

 しかし、アメリカ帝国主義が帝国主義と反動勢力を結集しておこなっている不当、不法な侵略行為にたいして、国際共産主義運動、社会主義陣営は、団結していた場合発揮できるすべての潜勢力を動員することができず、反帝勢力全体としてのよりいっそう強力な反撃を組織する努力はまだ不十分である。

 戦後の国際情勢は、これまでにも、アメリカを先頭とする帝国主義勢力の戦争と侵略の政策によって、いくたびか重大な局面を迎えてきた。だが、「ベルリン危機」、朝鮮戦争、インドシナ戦争、スエズ動乱と、そのたびごとに反帝民主勢力は、帝国主義のひきおこす戦争と侵略にたいして、断固たる反撃を加え、諸民族の独立と世界平和を擁護しぬいてきた。その闘争の先頭には、団結した国際共産主義運動が立っていた。

 「帝国主義反動が勢力を結集して共産主義との闘争をおこなっている状況のもとでは、全力をつくして世界共産主義運動を団結させることがとくに必要である。統一と団結は、われわれの運動の力を何倍にもし、共産主義の大業を破竹の勢いで前進させ、敵のあらゆる攻撃を成功裏に撃退するための頼もしい保証をつくりだす」(1960年の声明)

 ところが今日、アメリカ帝国主義は、南ベトナムで抜け出ることのできない窮地におちいりながらも、なおかつ国際共産主義運動の不団結につけこみ、状況をみながらベトナム侵略戦争を拡大し、ベトナム人民を殺りくしている。さらに、社会主義陣営の一国であるベトナム民主共和国にたいする爆撃をおこない、この「宣戦布告なき戦争」を首都ハノイにたいする爆撃にまで拡大している。

 ベトナム人民がなにものをも恐れずに不とう不屈の闘争をおしすすめている現在、もしも国際共産主義運動と社会主義陣営が、10年前の朝鮮戦争のときに示したように、一致してベトナム侵略反対闘争の先頭にたち、一致してアメリカ帝国主義にたいするもっともきびしい抗議と糾弾をおこない、一致してベトナム人民に最大限の援助をおこない、ベトナム人民の主権、独立、平和、統一のための闘争をあらゆる手段をもちいて支持し、アジアと世界の平和を断固として守りぬく決意と行動を団結レて示すならば、そして、国際共産主義運動と社会主義陣営の行動の統一を軸にして、全世界の反帝民主勢力の統一行動、統一戦線をさらに大きく前進させるならば、アメリカ帝国主義のベトナム侵略がかならずより早く失敗し、ベトナム人民がかならず輝かしい歴史的勝利をかちとることは確実である。

 このような行動をとることのできない理由は、どこにも存在しない。このような統一行動を拒否する理由を、マルクス・レーニン主義の原則上の意見の相違に求めることはできない。原則上の論争自体が、なによりもまず、国際共産主義運動の革命的路線の堅持と団結の強化のために、帝国主義に反対する闘争の強化のためにおこなわれているものだからである。

 マルクス・レーニン主義者の原則上の論争は、反帝闘争の前進を妨げるものとなってはならないはずである。マルクス・レーニン主義者は、原則上の論争によって真理を迫求するうえで非妥協的であると同時に、アメリカ帝国主義の侵略と戦争にたいする闘争では、意見の相違する人びととも肩をならべてたたかうという勇気と展望をもった戦士でなければならない。

 ベトナム人民もまた、切実に、国際共産主義運動のすべての部隊がこのような反帝統一行動を強化し、反帝国際統一戦線の中心部隊となることを強く切望している。

 しかし国際共産主義運動の複雑な情勢のために、この国際統一行動と国際統一戦線をさらに強化し、発展させるという、ベトナム人民をはじめ、すべての人民が熱望している当然の課題の実現は、今日一定の困難にぶつかっている。この困難を突破するためには、各国の党がプロレタリア国際主義と正しく結びつけた自主・独立の立場を断固として堅持するとともに、以上に検討してきたような「左」右の二つの日和見主義と分裂主義、すなわち現代修正主義と、教条主義、セクト主義にたいする「二つの戦線」での闘争を強化することが、どうしても必要となってきている。ベトナム人民の勝利を保障する反帝民主勢力の国際統一行動の強化という事業の成否を決定するものの一つは、全世界のマルクス・レーニン主義者が、この「二つの戦線」での闘争を成功的になしとげるかどうかということである。

 1960年の声明は、この「二つの戦線」での闘争について、つぎのようにのべていた。

 「共産主義運動・労働運動をさらに発展させるためには、1957年のモスクワ宣言に指摘されているように、二つの戦線で、すなわち依然として主要な危険である修正主義にたいして、また教条主義とセクト主義にたいして、徹底的なたたかいをつづけなければならない。
 修正主義すなわち右翼日和見主義は理論面でも実践面でもブルジョア・イデオロギーを反映するものであり、マルクス・レーニン主義をゆがめ、マルクス・レーニン主義の革命的内容を骨抜きにするとともに、労働者階級の革命的決意をまひさせ、帝国主義者と搾取者の抑圧に反対して平和、民主主義、民族解放および社会主義の勝利のためにたたかっている労働者、勤労大衆を武装解除し、動員解除してしまうものである。
 教条主義とセクト主義は理論面でも実践面でも、もしそれと徹底的にたたかわなければ、個々の党のある発展段階ではやはり主要な危険となることがありうる。教条主義とセクト主義は、科学的分析にもとづいてマルクス・レーニン主義を発展させ、それを具体的条件に応じて創造的に適用する力を革命的諸党から奪い、共産主義者を広範な勤労者層から孤立させ、かれらを革命闘争で、静観主義か、極左的・冒険的行為に走らせ、情勢の変化と新しい経験を適時に正しく評価することを妨げ、帝国主義、反動勢力、戦争の危険とたたかう労働者階級および全民主勢力の勝利のためにいっさいの可能性を利用することを妨げ、それによって、各国人民がおこなっている正義のたたかいで勝利をおさめるのを妨げる」

 ベトナム侵略戦争に反対する国際統一行動の強化のために、マルクス・レーニン主義者が「修正主義すなわち右翼日和見主義」のあらゆるあらわれに反対し、これを克服するためにたたかわなければならないことは、いうまでもない。たしかにフルシチョフ当時のような公然たるアメリカ帝国主義美化論や、ベトナム侵略を放任するあからさまな妥協政策を主張することは、現代修正主義の国際的潮流にとっても困難になっている。とはいえ、すでに指摘したようにベトナム侵略戦争の段階的拡大ではらみつつある第3次世界戦争の危険や核戦争の危険などを口実にして、無条件でベトナムに「平和」を回復することを主張し、実際にはジョンソンの「無条件停戦」論に屈服する傾向や、社会主義陣営と国際共産主義運動の不団結をさらに公然たる分裂にみちびこうとする傾向などは、いまなお根づよく存在している。

 他方、ベトナム侵略戦争に反対する国際統一行動の強化にとって、「教条主義とセクト主義」との闘争を正しくすすめることも、いまきわめて重大な課題になっている。そのもっとも具体的なあらわれは、すでにぐわしく分析したように、アメリカ帝国主義とたたかうためにはそれと連合する修正主義者に反対しなければならないということを理由にして、すべての反帝民主勢力を結集した国際統一行動を否定し、それにかわるものとして反米・反ソの統一戦線を主張し、わが党の路線を中傷攻撃する志田一派の反党分子らの立場である。

 この立場は実際には、現代修正主義との闘争だけを、事実上すべての課題に優先する第一義的任務にまつりあげ、アメリカ帝国主義との闘争という課題を軽視するものである。

 この立場はまた、ソ連共産党指導部を事実上アメリカ帝国主義と同一視して、これとの組織的決裂を主張する「左」からの分裂主義とも結びついている。この「左」からの分裂主義も、現代修正主義者の右からの分裂主義と同じように、国際民主運動の不団結を強め、1957年の宣言と1960年の声明にそむいて、国際共産主義運動の公然たる分裂をもたらすものにほかならない。

 レーニンはかつて、日和見主義と小ブルジョア的革命性との「二つの戦線」での闘争についてのべた際に、「無政府主義は、しばしば労働運動の日和見主義的な過誤にたいする一種の罰であった。この二つのかたわものは、おたがいに補いあってきた」(レーニン「共産主義の『左翼主義』小児病」、全集31巻、17ページ)と書いたことがある。それと同じように、敦条主義とセクト主義は、フルシチョフを中心とした現代修正主義の「過誤にたいする一種の罰」である。わが国の志資一派と志田一派が、事突上相呼応してわが党への恥知らずな誹謗、中傷のカンパニアをおこなっていることにも明らかなように、現代修正主義と、教条主義、セクト主義は、「二つのかたわもの」として「おたがいに補いあい」強めあって、ともに国際共産主義運動、国際民主運動のアメリカ帝国主義に反対する闘争を弱め、その分裂を促進しようとしているのである。

 すなわち、教条主義、セクト主義の路線は、同時に現代修正主義に反対する闘争をも弱め、客観的には現代修正主義の国際的潮流を助ける路線にほかならない。レーニンは、「左」右の日和見主義との闘争のなかで、「左翼」日和見主義が、右翼日和見主義をたすけ、その「もっとも信頼すべき補助者」の役割をはたすことを、くりかえし指摘した。たとえば、レーニンは、ロシアの第一革命後の反動期に、ボリシェビキ内部にあらわれた「左翼」セクト主義者・召還主義者たちを批判してつぎのようにのべた。

 「諸君は、日和見主義との闘争を空文句にかえ、そうすることによって日和見主義者を助けただけである」(「ボリシェビズムの戯画」、全集15巻、378ページ)

 また、レーニンは、コミンテルンの初期にも「中央主義」つまりカウツキー一派の修正主義的潮流との闘争の重要性を正しく強調しながら、この闘争を「誇張」する「左翼」的誤りにおちいることをきびしくいましめてつぎのように書いた。

 「中央主義との闘争を誇張することは中央主義をすくい、その地位をかため、労働者にたいするその影響力を強めることを意味する」(レーニン「ドイツ共産主義者への手紙」、全集32巻、561ページ)

 レーニンのこの警告は、今日の現代修正主義との闘争にも、きわめて教訓的である。もし、われわれが、現代修正主義の潮流の日和見主義、分裂主義の路線との闘争において少しでも「誤った誇張」におちいり、ソ連共産党指導部やその指導下の大衆組織をふくむいっさいの統一行動を原則的に拒否したり、アメリカ帝国主義に反対する闘争を反修正主義闘争に従属させたりするような教条主義、セクト主義の誤りをおかすならば、それはかならず、国際共産主義運動の統一と団結の旗、世界の反帝民主勢力の統一と団結の旗をかえって現代修正主義の潮流ににぎらせる結果となる。それは現代修正主義の潮流を破たんから「すくい」、かれらが二面的態度によって国際共産主義運動、国際民主運動のなかでの「その地位をかため」、世界の労働者と人民のあいだでの「その影響力を強める」のに役だつだけである。

 われわれが、反帝民主勢力の国際統一行動を強化し、国際共産主義運動のマルクス・レーニン主義的強化と真の団結をかちとるために、一方では現代修正主義の誤りと断固としてたたかい、同時に他方では、教条主義、セクト主義の誤りと断固としてたたかうことは、一部の中傷者がいうように、現代修正主義との闘争で原則を捨てて動揺し、中間的な折衷主義的な立場をとることでは断じてない。

 レーニンがくりかえして強調したように、どのような真理も、一歩でも誇張すれば誤りに転化する。日和見主義、修正主義との非妥協的な闘争というマルクス・レーニン主義の原則も、あらゆる日和見主義者、修正主義者との即時の組織的決裂という「原則」に誇張されれば、たちまち重大な誤りに転化する。たとえばマルクス・レーニン主義党の内部には、その党が大衆と結びついていればいるだけ、小ブルジョアジーとともにあらゆる日和見主義思想が流れこんでくることは避けられない。党はこれらの思想にたいし、そのどんな小さなあらわれにたいしても、非妥協的に闘争しなければならないが、党員が日和見主義思想にかたむいたからという理由だけでは、けっして組織的に排除してはならないことは自明のことである。その党員が、党の組織原則である民主集中制を無視し、党の規律をおかして、重大な反党行為をおこなったときは厳重な組織処分をおこなうが、そうした反党活動をおこなわないかぎり、実践と結合した党内のマルクス・レーニン主義的思想闘争、教育活動によって真にプロレタリア的なマルクス・レーニン主義者に成長させることが、党内の日和見主義にたいする闘争におけるもっとも原則的な態度なのである。もしも、日和見主義、修正主義的偏向をおかしたすべての人びとの党内からの組織的一掃を、誤って原則にまでまつりあげるならば、党は広範な勤労大衆を獲得し、きたえてゆく事業に背をむけた、セクト的集団となるほかはないであろう。

 1960年の81ヵ国共産党・労働者党代衷者会議の声明で一致して確認されているように、今日の国際共産主義運動の場合には、団結の基準として、一国のマルクス・レーニン主義党と同じ民主集中制の組織原則を適用することはできない。今日の国際共産主義運動の歴史的発展段階は、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にもとづき、各国の党の独立・平等・相互の内部不干渉を前提にして、協議によって見解の統一と共同の行動の協定をかちとるという基礎のうえに、国際共産主義運動の隊列のマルクス・レーニン主義的強化と結集をはかるべき段階なのである。

 現在、国際共産主義運動の内部には、6年前の81ヵ国共産党・労働者党代表者会議のときからみれば、いっそう複雑な事情が発生している。しかし、そうだからといって、新しい共産主義インタナショナルの再建を要求したり、あるいは特定の党の指導的地位を要求したりすることは、国際共産主義運動の歴史的発展を逆行させようとするものである。

 国際共産主義運動の今日の段階において、その内部に各種の日和見主義、分裂主義の傾向が発生した場合、それらにたいする必要な思想的、政治的闘争を決定的な組織的措置――組織的排除などに結びつけることは、軽率に扱われてはならない重要な問題である。

 もしわれわれが、現代修正主義の国際的潮流にたいする闘争を、誤って誇張して、事実上すべての課題に優先する第一義的なものとみなし、修正主義的傾向のある指導部をもった党とは、ただ決裂あるのみでいかなる行動の統一もおこなうべきでないという「原則」をふりまわすならば、すでにのべたように国際共産主義運動の事実上の分裂をめざす立場におちいることとなるであろう。そしてその立場は、それだけでなく、結局はいっさいの国際民主運動、反帝民主勢力の国際的統一行動においても、意見の一致しない点は保留し、一致できる切実な共同の課題で団結するという原則を無視し、すべての共同行動を拒否するという有害なセクト主義的立場におちいるほかはない。このような教条主義的、セクト主義的「原則」なるものが、帝国主義と修正主義を利する結果をもたらすものでしかないことは、理論的にも、実践的にも、すでに明白となっている。一貫してわが党が主張しているように、またこの論文でくりかえし強調してきたように、今日の具体的な情勢のもとでは、現代修正主義をはじめとするいっさいの日和見主義、分裂主義と、思想上、政治上明確な一線を画しながら、すべての反帝民主勢力のアメリカ帝国主義に反対する国際統一行動、統一戦線を強化するために奮闘することこそ、マルクス・レーニン主義党が今日堅持すべき、もっとも原則的な態度なのである。

 志田一派その他の教条主義者は、わが党のこの原則的態度を、孤立を恐れて中間的、折衷主義的立場、あるいは右翼日和見主義におちこんだものなどといって非難している。しかし、これは第一に、かれら自身が教条主義、セクト主義という極左の立場に立っているからこそ、正しいマルクス・レーニン主義の立場が「中間的、折衷主義的立場」や「右翼日和見主義」にみえるにすぎない。

 これらの反党教条主義者たちが、みずからの立場を「孤立を恐れないもの」であるかのように特徴づけようとしていることは、実際にはかれら自身、その立場が、孤立せざるをえないセクト的立場であることを自認していることを示すものである。そして、かれら自身の教条主義、セクト主義の立場をおおいかくすためにもち出されたこの非難は、けっきょくのところ、「二つの戦線」での闘争というマルクス・レーニン主義の重要な原則の一つを修正して、それを事実上、右翼日和見主義、現代修正主義だけにたいする「一つの戦線での闘争」に帰着させようにするものである。

 志田一派その他の教条主義者が、わが党の「二つの戦線での闘争」という原則的立場を、中間的、折衷主義的立場として非難するのは、第二に、かれらが、国際共産主義運動の原則上の論争を、事実上「中・ソ論争」に帰着させているからである。原則上の国際的論争をたんに中国共産党とソ連共産党との論争だと考えている以上、このどちらの党の立場にも追随しない立場が、中間的、折衷主義的に見えてくるのは当然である。各国の党はすべて独立・平等であり、どんな党も他の兄弟党に自己の見解をおしつけず、また他の兄弟党に盲従してはならず、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にもとづいた自主独立の立場を堅持しなければならない。一国の党の国際路線の正しさを評価する基準は、特定の党の路線からの距離であってはならず、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義の原則を今日の具体的情勢に正しく適用しているかどうかということでなければならない。志田一派その他が、わが党の国際路線に加えている非難こそ、実は、かれらが、特定の外国の党の立場を基準としてものをみる事大主義、国際盲従主義に深くおちいっていること、かれらが救いがたいほどマルクス・レーニン主義からそむき去っていることを自己暴露したものにすぎない。

 そして、志田一派その他の教条主義者たちが、「二つの戦線」での闘争にかんするわが党の国際路線を非難すればするほど、それは、真のマルクス・レーニン主義者が、現代修正主義にたいしてだけでなく、これらの教条主義、セクト主義にたいしても明確に思想上、政治上一線を画しつつ、これらの右と「左」の日和見主義にたいする「二つの戦線での闘争」を原則的におしすすめるという重大な任務に直面じていることをますます明らかにするものである。そして、この立場こそが、中間主義、折衷主義であるどころか、マルクス・レーニン主義と人民解放の事業にもっとも忠実なただ一つの革命的立場、カッコつきでなく、正しい意味での真の左翼の立場なのである。

 国際労働者階級の運動内部の同じ小ブルジョア的潮流の二つのあらわれとしての、この右と「左」の日和見主義が、今日の重大な情勢のもとではたしている、最大の否定的役割は、たとえ主観的にはどんなに善意からそれが主張されていたとしても、客観的には、帝国主義と反帝民主勢力の国際的対決のもっともするどい焦点となっている歴史的なベトナム侵略反対闘争において、現実に可能なベトナム人民の偉大な勝利、反帝民主勢力のいわば世界史的な勝利への前進をはばむ障害物の一つとなっていることにある。

 しかし、なにものも、歴史の法則と人民の闘争の前進をはばむことはできない。ベトナム侵略に反対し、ベトナム人民を支援する国際統一行動の前進に困難をもたらし、その障害となるいっさいのものは、人民の闘争の前進そのものによって、歴史的審判をうけ、とりのぞかれることとなるであろう。現代修正主義、および教条主義、セクト主義という、マルクス・レーニン主義の革命的路線から逸脱した「左」右の日和見主義の誤りもまた、ベトナム侵略反対の国際統一行動を強化するための人民の闘争そのものによって、容赦なく批判され、かならず克服され一掃されるであろう。

 レーニンはかつて、メンシェビキの日和見主義路線との闘争にさいして、政治生活の発展そのものによる審判の意義をつぎのように強調したことがある。

 「政党の内部の意見の相違や政党間の意見の相違は、原則上の論戦によって解決されるだけでなく、政治生活そのものの発展によっても解決されるのが普通である」(レーニン「革命はおしえる」、全集9巻、143ページ)
 「現代のような革命的時期には、党のあらゆる理論的誤謬と戦術的逸脱は、かつてない速さで労働者階級を啓蒙し教育しつつある生活そのものによって、もっとも容赦なく批判される」(レーニン「旧『ボリシェビキ』分派に属していた統一大会代議員の、党へのアピール」、全集10巻、296ページ)

 この意味では、現代修正主義、および教条主義、セクト主義の理論的誤謬と戦術的逸脱は、マルクス・レーニン主義者による原則上の批判によってだけではなく、全世界の人民を「啓蒙し教育しつつある」アメリカ帝国主義のベトナム侵略とその拡大の現実、それに反対する各国人民の闘争の発展と各国人民の切実な要求にもとづく国際統一行動の前進という生活そのものによって、容赦なく批判され、真のマルクス・レーニン主義の路線の正しさが、広範な共産主義者と人民によって理解され、ベトナム侵略に反対する国際的闘争は、かならず勝利するであろう。われわれは、それをかたく確信している。

 しかしその確信は、反帝民主勢力が人民の闘争の前進だけに期待して手をこまねいていてよいことをけっして意味しない。アメリカ帝国主義のハノイ、ハイフォン爆撃の強行は、敵もまた時間の要素を重視していることを示している。すべての反帝民主勢力もまた、困難な条件のもとでたたかっているベトナム人民の闘争を援助するために、できるだけ急速に各国人民の闘争を全力をつくして前進させるとともに、ベトナム人民支援のための国際統一行動をあらゆる形態、あらゆる分野で強化しなければならない。

 ハノイ、ハイフォン爆撃の重大事態を迎えて、いくつかの社会主義国の人民は、大規模な抗議集会をおこない、政府も義勇軍派遣をふくむあらゆる形態の支援を表明している。7月4日から3日間、ルーマニアでひらかれたワルシャワ条約機構政治諮問委員会会議も、声明を発表して「ベトナム民主共和国政府が要望するなら、アメリカ侵略者とたたかうベトナム人民の闘争を支援するために義勇軍がベトナムヘおもむくことを許す用意があること」を宣言した。

 アメリカ帝国主義のベトナム侵略の重要な兵員補給基地、修理基地、攻撃基地となり、佐藤内閣がますますジョンソン政府の侵略政策に積極的協力をおこなっているわが国における、日本の民主勢力の責務もまた重大なものがある。日本独占資本と佐藤内閣は、これまで、基地と輸送要員の提供、軍需物資の調達、兵器資材の中継と修理、兵員の休養、医療団派遣など、ベトナム侵略のための直接協力だけでなく、日韓条約の強行締結、東南アジア経済開発閣僚会議開催、ソウルでひらかれたアジア・太平洋地域閣僚会議への参加と、アメリカ帝国主義のベトナム侵略を補強するアジアの反共軍事同盟を結成強化するうえでも、きわめて積極的な役割をはたしてきた。ハノイ、ハイフォン爆撃がひきつづきおこなわれているとき、7月5日から7日までひらかれた第5回日米貿易経済合同委員会と佐藤・ラスク会談は、アメリカ帝国主義のベトナム侵略とアジア侵略政策にたいする日本反動勢力の協力をさらに全面的なものとすることを確認した。ベトナム侵略戦争の拡大と長期化によって、日本の役割がますます大きなものとなってゆくことは確実である。こうした情勢のもとで、小選挙区制粉砕その他の国内の諸闘争と結合して、ベトナム侵略反対闘争を急速に強化することは、日本人民の第一の国際的任務として、ますます重要性を加えている。

 1966年6月29日のわが党中央委員会幹部会声明は、ベトナム侵略とその拡大に反対する国際統一行動と統一戦線の強化という任務の緊急性を強調するとともに、日本人民と全民主勢力にたいして、つぎのように呼びかけた。

 「日本共産党は、この重大事態にさいして、アメリカ帝国主義を断固として糾弾するとともに、日本の人民、全民主勢力にただちにアメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する一大統一行動に決起することをよびかける。とくにわが国の労働者階級は、総評をはじめ多くの労働組合の決議にみるように、アメリカ帝国主義のハノイ爆撃にたいしては、とくにストライキをもっていっせいに抗議するという決意を表明してきた。いまこそ、これらのゼネストをふくむあらゆる大衆行動をもって、アメリカ帝国主義への抗議とベトナム人民への連帯を示し、人民の先頭にたってたたかうことは、日本の労働者階級に課せられた重大な責務である」

 7月20日、日本では、わが日本共産党などの参加している安保破棄・諸要求貫徹中央実行委員会と、社会党、総評などの参加している日韓条約粉砕・原潜阻止全国実行委員会の共催による、アメリカのベトナム侵略反対、ハノイ、ハイフォン爆撃抗議全国統一行動がくりひろげられた。労働組合は、全国いっせいに抗議集会、ストライキをもって抗議し、統一行動に参加した。両実行委員会が共同で開き、3万2千名以上が参加した首都の集会で採択された「大会宣言」には、つぎのような決意がのべられていた。

 「われわれは、アメリカのベトナム侵略に反対し、これをやめさせるための、国際連帯行動を飛躍的に強化し、社会主義国、民族解放闘争をたたかう諸国民、および資本主義国の進歩的勢力の団結のもとにベトナム人民にたいする支援と援助を強化し、アメリカの侵略者に断固反対する国際的統一の行動を前進させる。
 アメリカのベトナム侵略反対のたたかいは、安保条約破棄、憲法改悪阻止、小選挙区制粉砕のたたかいと一体のものであり、戦争協力の佐藤内閣と対決して、われわれは、労働者の実力行使をも含めて、すべての民主勢力と広範な国民を結集して、より強力に闘争を展開する」

 日本人民は、ジョンソン政府と佐藤内閣にたいするゼネスト、デモンストレーション、大衆集会による抗議、無難丸の船員の闘争に学んだベトナム侵略用の軍需物資の生産、輸送などの拒否、広範な署名運動、ベトナム人民支援のための資金、物資の募集など、あらゆる形態の多面的な闘争を全力をつくして組織しなければならない。こうした闘争を、その他の諸闘争と結合させて、いまもっとも真剣に組織し、日本におけるベトナム侵略反対闘争を大きく前進させ、アメリカ帝国主義と日本独占資本という日本人民の二つの敵に反対する全民主勢力の統一行動、統一戦線を強化、発展させることこそが、ベトナム侵略に反対する国際統一行動、統一戦線の強化をもいっそう促進することになるのである。

 われわれは、反帝民主勢力の国際統一行動、統一戦線の強化を促進するために、その中心部隊となるべき国際共産主義運動の当面の団結をかちとることをとくに重視しているが、このことはすべての問題を国際共産主義運動の当面の団結をかちとることに解消することを意味するものではない。われわれは、複雑な事態のもとで、国際共産主義運動が当面の団結を十分に強化できない場合でも、ベトナム侵略に反対する日本人民の闘争を強化し、また国際民主運動を中心とした分野で現に存在レているベトナム侵略反対の国際統一行動、統一戦線をさらに強化することに全力をあげる必要がある。国際共産主義運動内部の原則上の諸問題をめぐって重要な意見の相違があったとしても、民主運動の分野での団結の原則を守り、各国の人民の要求にもとづき、ベトナム侵略に反対する闘争をはじめとして一致できる緊急の諸課題で行動を統一してきたことは、最近の国際民主運動がかちとってきた主要な成果であった。団結を妨げる「左」右の日和見主義、分裂主義を克服してこの成果を守り、さらに発展させることは、各国の反帝民主勢力にとって共同の重要な任務である。

 ベトナム人民支援のための各国人民の闘争のいっそうの強化、国際統一行動と統一戦線のいっそうの強化は、文字どおり一刻の猶予も許されないものとなっている。

 いうまでもないことであるが、ベトナム人民の闘争は、輝かしい多くの成果とともに、多くの犠牲と困難をともなったたたかいである。

 アメリカ帝国主義は、ことし1年間に、第2次大戦中太平洋戦争で投下した総爆弾量58万4000トンに匹敵する。60万トンの爆弾を、あのせまいベトナムに集中投下する計画である。南ベトナムへの米軍の大量投入と、ハノイ、ハイフォンへの爆撃の拡大は、ベトナム人民の闘争の決意をますます固めるものとなっているし、アメリカ帝国主義がいっそう大きな致命的打撃をうける条件をみずからつくりだしたことでもあるが、それだけにまた犠牲も大きくなり、闘争はますます激しさを加えている。

 ベトナム人民軍総司令官ボー・グエン・ザップ将軍は、米軍の大量投入という新しい情勢を分析したその論文のなかでつぎのようにのべた。

 「われわれは、わが民族の戦いが多くの苦難にみち、多くの犠牲を必要とするが、輝かしい勝利にあふれていることをよく知っている。これは、わが人民の革命闘争と歴史におけるばかりでなく、わが民族の侵略者反対の数千年の歴史上偉大な事業である。その正義の事業は、わが民族のもっとも神聖な願望にこたえていると同時に、世界の革命的人民の願望にこたえている」(「挙国一心となって、偉大な愛国戦争を力強くおしすすめ、アメリカ侵略者にだんこ打ち勝とう」、『ホック・タップ』1966年1号、『世界政治資料』235号訳載)

 7月17日、ベトナム民主共和国のホー・チミン主席は、ジョンソンとその一派が、ベトナム侵略戦争を拡大するために、50万、100万、それ以上の軍隊を投入し、何千という飛行機を使っても「英雄的なベトナム人民の反米救国の鉄のような意思と決意を絶対にゆるがすことはできない」「わが人民と全軍隊は……一致団結し、困難と犠牲を恐れず、完全な勝利まで徹底的にたたかいぬくであろう」と堅い決意を表明し、つぎのようにのべている。

 「われわれは正義であり、北から南にいたる全国人民の団結した力と不屈のたたかいの伝統をもっており、また、社会主義兄弟国と全世界の進歩的な人民の大きな、幅広い同情と支持を得ている。われわれはかならず勝利する」
 「この機会に、私はベトナム人民を代表して社会主義各国人民と、アメリカ人民をふくむ全世界の進歩的な人民があたえてくれた心からの支持と援助にたいし、つつしんで熱烈な感謝の意を表明する。現在、アメリカ帝国主義の新たな犯罪的な陰謀に直面して、私は社会主義兄弟国および平和と正義を愛する世界各国家の人民と政府がベトナム人民の反米救国闘争の完全な勝利の日までいっそう強力な支持と援助をあたえてくれるものと確信している」

 ベトナム人民のこのような決意と確信にこたえて、マルクス・レーニン主義の原則とプロレタリア国際主義の原則を堅持し、1957年の宣言と1960年の声明の革命的原則を守り、それらの原則からの「左」右へのあらゆる逸脱とたたかいながら、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する国際的団結をかためるために奮闘することは、全世界のマルクス・レーニン主義者の緊急の任務である。

 そのために国際共産主義運動と社会主義陣営は、アメリカをふくむ資本主義国との「平和共存」政策をその国際路線の中心にまつりあげるようなフルシチョフの日和見主義路線の残りかすを一掃し、民族解放運動にたいする重大な犯罪であり、社会主義陣営にたいする許すことのできない攻撃であり、アジアと世界の平和にたいするもっとも重大な挑戦であるアメリカ帝国主義の暴虐なベトナム侵略戦争とその拡大にたいしてもっとも断固とした政治的、外交的態度をとり、各国人民のベトナム侵略反対闘争の先頭に立つ必要がある。同時に、アメリカ帝国主義の侵略戦争反対、米軍をはじめとする全侵略軍の全ベトナムからの撤退、ベトナム民主共和国政府の4項目の主張と南ベトナム解放民族戦線の5項目の声明支持、ベトナム人民の闘争にたいするあらゆる支援の強化のために、ただちに一致してたちあがり、共同の闘争を組織する必要がある。

 国際民主運動のなかでも、アメリカ帝国主義のベトナム侵略とその拡大に反対する共同行動を発展させるために、国際共産主義運動と社会主義陣営は全力をあげて努力する必要がある。とくに、第1回アジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民連帯大会の決議にもとづき、すでに活動を開始している臨時執行書記局をはじめその他の機関の組織と活動を強化し、3大陸人民のベトナム人民にたいする共同の支援活動を急速に促進することが重要である。

 ベトナム人民は、困難を突破し、不屈の英雄的な闘争を堅持して、全世界の人民をはげましている。このベトナム人民の力を主体として、国際反帝勢力の効果的な支援と共同の力が、あらゆる障害を克服して今後全面的に発揮されるならば、ベトナム人民の勝利の日はそれだけ早く訪れるであろう。ベトナム人民の正義の闘争はかならず勝利する。全世界人民の反帝闘争は、かならず大きく発展し、アメリカ帝国主義の侵略をうちやぶるであろう。

 わが党は、今後とも、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義の旗をいっそう高くかかげ、1957年の宣言と1960年の声明の革命的原則を守り、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する国際統一行動と統一戦線の強化と国際共産主義運動の真の団結をかちとるために、全党をあげてねばりづよく努力するものである。

(『日本共産党重要問題論文集』第4巻より)