日本共産党資料館

撹乱者への断固とした回答
毛沢東一派の極左日和見主義集団とかれらに盲従する反党裏切り分子の党破壊活動を粉砕しよう

(『赤旗』1967年8月21日「主張」)

 中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子が昨年来計画的におしすすめてきたわが日本共産党にたいする不当な攻撃、干渉、破壊活動は、最近ますます常軌を逸した凶暴なものとなっています。

 第一に、かれらは、45年の革命的伝統をもつ、日本の労働者階級のただ一つの前衛党であるわが日本共産党の「打倒」を公然と呼号するにいたり、わが国の反党対外盲従分子にたいして、日本共産党にたいする「造反(むほん)」をよびかけています。たとえば6月16日付『人民日報』は、ひとにぎりの反党対外盲従分子の党破壊活動を報道し、これを支持するとともに、「このむほんはすばらしいものだ」と題する「国際評論」なるものをかかげ、わが党の政治方針を「反マルクス・レーニン主義、反革命、反人民、反中国の修正主義路線」と中傷し、反党対外盲従分子を「真のマルクス・レーニン主義者、真のプロレタリア革命戦士」とよんで、その「むほん」を公然と支持激励し、わが党の打倒をあからさまによびかけました。その後の『人民日報』は、佐賀その他で反党分子がつくったと称する「左派県委員会」なるものの成立を報道し、わが党に敵対するこれら反党組織との連帯を公然と表明しています。

 第二に、かれらは、わが党を「修正主義」とか「ソ連修正主義の新しい追随者」とかののしるにとどまらず、アメリカ帝国主義や佐藤内閣と同列において「中日両国人民の共同の敵」として公然と敵視の態度をとるにいたりました。前掲『人民日報』の「国際評論」は、わが党を「佐藤政府の中国敵視の共犯者」、「日本反動派の従僕」とよびまレた。また、6月24日の北京放送が放送した中日友好協会の日中友好協会脱走派の「大会」なるものに送ったメッセージは、わが党を「米帝国主義、日本反動派、ソ連現代修正主義指導集団」とならべて「中日両国人民の共同の敵」と断定し、「四つの敵」の一つにかぞえいれました。

 第三に、かれらは、わが党にたいする破壊活動を押しすすめるにあたって、職業的な反革命反党集団であるトロツキストと、公然と野合しはじめました。2月28日以来の日中友好協会本部への暴力的襲撃が、「社会主義学生同盟マルクス・レーニン主義派」と名のるトロツキスト暴力分子の参加のもとに実行されていることは、すでに周知の事実です。それどころか、中国共産党の極左日和見主義分子は、6月18日付『人民日報』に「中傷によって戦士の名誉をけがすことはできない」という評論を発表し、安保反対闘争のなかで自民党や財界から援助をうけ田中清玄ら反共右翼と結託して闘争を破壊するための極左的挑発をくりかえしたトロツキストの反革命的活動を、日本における「真の革命派」の代表としてほめたたえました。そして、トロツキストに反対したわが党と民主勢力を、「革命をおそれる卑怯者」として、1960年の安保闘争にまでさかのぼって攻撃することまで、あえておこないました。

 中国共産党の極左日和見主羨、大国主義分子は、このようなわが党にたいする不当な攻撃、破壊活動を、凶暴に拡大したあげく、8月3日と4日には、北京空港で、狂信的な紅衛兵と日本人反党分子を動員して、日本共産党中央委員会代表砂間一良幹部会員候補と紺野純一『赤旗』特派員にたいし、国際共産主義運動史上はもちろん、資本主義諸国の外交史上でさえ前例のない破廉恥きわまる集団的テロをくわえ、長時間にわたる不法監禁をおこなったうえ、肋骨を3本も折り、奥歯までうちくだき、全身打撲の重傷を負わせるという反階級的蛮行まで組織しました。平壌からの高杉『赤旗』特派員の連日の報道や、砂間同志の談話がつたえてきたすべての事実は、わが党にたいするもっとも凶暴卑劣な攻撃を意味する今回の集団暴行事件が、中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子の指揮と「統制」のもとで、計画的、組織的にしくまれた事件であったことを、疑問の余地なく証明しています。

 砂間、紺野両同志にたいする集団テロ事件の直後、8月6日付『人民日報』は、「宮本修正主義集団の裏切り」と題して、砂間、紺野の「反中国の活動」なるものを非難し、わが党を「宮本修正主義集団」などと誹謗し、「中国反対に狂奔している」とののしった評論員の一文を掲載しました。

 この論文は、「わたしたちはあいかわらずかれらに中国に滞在する客としての待遇をあたえてきました」などと白じらしいウソを書いています。しかし、たとえば、『赤旗』特派員の紺野同志が日本共産党代表の砂間同志の住居に行くのを禁止するなどといったことを、『人民日報』は「客としての待遇」だといったい考えているのでしょうか。こうしたことは、日本共産党の代表にたいする許すべからざる公然たる侮辱、迫害でなくていったいなんでしょうか。さらに、この論文は、不当な迫害をうけてよぎなくされた砂間、紺野両同志の帰国を、「日本共産党宮本修正主義集団」が「アメリカ帝国主義、ソ連修正主義と佐藤反動政府に緊密に呼応して計画的につくりだしたいまひとつの反中国の事件」として攻撃し、今回の北京空港での集団的暴行の責任を、こともあろうにわが党に押しつけようとしていますが、これは、自分たちの恥ずべき犯罪行為をごまかそうとするきわめて卑劣な態度であり、同時に大国主義的な居直りのひどさを示すものです。そしてこの一文こそ、逆に今回の事件を直接に指揮したものが、現在の『人民日報』などを私物化している中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子にほかならないことを、みずから立証したものです。この論文は、このほかにも、わが党にたいする悪罵をならべたてていますが、それは、なんの論証もない独断と口ぎたない漫罵以外にはなにものもふくまないものです。これは、わが党がこれまで発表してきた批判になにひとつまともにこたえることのできないでいるかれらの低劣さと理論的な無力きを、かさねて暴露しているにすぎません。

 中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子が、わが党の政治路線全体に悪罵をくわえてわが党を日中両国人民の「敵」と規定し、公然とその打倒をよびかけ、トロツキストの反革命分子とも手をくみ、実際に砂間、紺野両同志にたいして見さかいのない集団的暴行を組織したことは、昨年来のかれらのわが党にたいする攻撃、干渉、破壊活動がさらに全面化し、まったく手段をえらばない、低劣、悪質な段階にはいったことを示しています。

 中国共産党の極左日和見主義分子は、8月6日付の『人民日報』の評論員論文で、わが党を「宮本修正主義集団」などと呼ぶことによって、あたかもわが党が、特定の個人的な集団であるかのような印象をつくりだそうとしていますが、これほどこっけいなことはありません。

 志田一派や西沢隆二など、わが党から除名された反党、反革命分子は、自分たちの裏切りが、光栄ある日本共産党にたいする破壊活動ではなく、「宮本一派」にたいする闘争にすぎないかのようにみせかけるために、「宮本路線」とか「宮本一派」とかいう言葉をつかってきました。中国共産党の極左日和見主義分子は、志田一派や西沢隆二らのまねをして、わが党にたいする破壊、転覆活動の反人民的、反革命的性質を、「宮本修正主義集団」という言葉でおおいかくそうとしているのです。

 わが党は、戦後、党が再建される過程で一時期おかされた家父長的個人中心指導の誤りと、1950年の党の分裂という重大な経験からきびしい教訓をひきだし、第7回党大会以後、厳格にマルクス・レーニン主義党の組織原則である民主主義的中央集権制と集団指導をまもって前進してきました。大会は、規約にしたがって定期的にひらかれ、大会と大会とのあいだの最高決議機関であり指導機関である中央委員会は、規約で定められた回数以上に、頻繁にひらかれています。日常の党指導もこれらの正規の党機関のそれぞれの決定と集団指導にもとづいて厳格におこなわれています。このように、いっさいの個人崇拝とまったく無縁であり、民主主義的中央集権制と集団指導というマルクス・レーニン主義党の組織原則を堅持しているわが党にたいして、「宮本修正主義集団」などといった中傷をなげつけるのは、まったく笑止千万なやり方といわなければなりません。

 もし、個人崇拝にもとづく特定の集団の党支配をいうなら、わが党を攻撃している中国共産党の極左日和見主義分子たちの実態はどうでしょうか。

 中国共産党では、1958年5月に第8回党大会第2期会議がひらかれて以来、中国共産党の党規約によれば毎年ひらかれるべき党大会が、すでに9年にわたってひらかれていません。そしてまた、規約によれば、1年に2回以上ひらかれなければならない中央委員会は、たとえば1962年9月の第10回中央委員会総会以後、4年間もひらかれないままでした。これらが、毛沢東にたいする極度の個人崇拝と結合して、マルクス・レーニン主義の民主主義的中央集権制と集団指導という組織原則から逸脱した不正常な事態を生み出していることは明白です。

 しかも昨年来、「毛主席がみずからおこし、指導しているプロレタリア文化大革命」なるものの過程で、毛沢東を中心とする極左日和見主義の一派は、マルクス・レーニン主義の原則やマルクス・レーニン主義党の組織原則はもちろん、中国共産党第8回党大会で決定された中国共産党の党規約をもふみにじって、毛沢東にたいする途方もない神格化をおしすすめてきました。

 毛沢東は「現代のもっとも偉大なマルクス・レーニン主義者」と宣言され、「沈まない太陽」とまで礼賛され、その名前の前にはかならず「偉大な教師、偉大な指導者、偉大な統帥者、偉大な舵手」と四つの崇拝の句がつけられるようになりました。マルクス・レーニン主義の科学的理論のみちびきのかわりに、「一人ひとりが毛主席の本を読み、毛主席の言葉を聞き、毛主席の指示どおりに事を運ぶ」(林彪「『毛主席語録』第2版へのまえがき」)ことが命令され、『人民日報』紙上では「毛主席の指示は、理解していても、理解しなくても実行されなければならない」「毛沢東思想の絶対的権威をうちたてなければならない」とまで主張されるようになっています。大会や中央委員会の決定、党規約にもとづく規律のうえに、毛沢東の片言隻句がおかれ、その「最高指示」に無条件に忠実であるかどうかが、唯一絶対の基準として中国共産党の全党員、全人民におしつけられています。

 こうした毛沢東神格化が、労働者階級の科学的世界観としてのマルクス・レーニン主義とはまったく無縁な、封建的、非科学的独断であることはいうまでもありません。

 こうして、わが党に「宮本修正主義集団」などと根拠のない中傷をくわえる当人たちこそ、昨年来のいわゆる「プロレタリア文化大革命」と毛沢東神格化の高進のなかで、マルクス・レーニン主義党の組織原則を全面的にふみにじって、偉大な革命的伝統をもつ中国共産党を毛沢東を中心とする極左日和見主義集団の支配下においてきたのです。

 ここでとくに重視しなければならないことは、毛沢東一派が、中国の国内で、「毛沢東思想」の名のもとに、マルクス・レーニン主義党の組織原則を乱暴に破壊してきただけでなく、国際的にも、同じ「毛沢東思想」の名のもとに、「一は分かれて二となる」、「今日は大変動、大分化、大再編の時代である」「むほんには道理がある」などという分裂主義のスローガンをかかげて、国際共産主義運動の公然たる分裂をめざしてきたことです。かれらは「毛沢東思想」を「現代のマルクス・レーニン主義の最高峰」「世界人民の革命の灯台」とよび、「毛沢東思想」をみとめるかどうかが「革命か反革命かのわかれ道」だなどと主張して、世界の革命運動が、これを無条件に自分の「指導理論」とすることを要求しています。これが、外国の革命運動の自分たちへの思想的従属を主張する、きわめてごうまんな大国的排外主義の要求であることは、明白です。

 わが党は、これまで毛沢東の過去の著作が中国革命のなかではたした役割を全体として積極的に評価し、その観点から、『毛沢東選集』などの出版もおこなってきました。しかし、このことが、毛沢東の主張や見解を、日本革命の指導理論とすることを意味するものでなかったことは、当然のことです。わが党は、わが党がマルクス・レーニン主義を唯一の理論的指針とし、これを自主的に日本の革命運動に適用する立場を堅持し、いかなる外国の党の指導者の「思想」や「理論」を「指導理論」とするものでないことは、これまでにくりかえし明らかにしてきたところです。しかも最近、「世界革命の指導理論」として絶対化されている「毛沢東思想」なるものは、基本的にマルクス・レーニン主義とは異質なものに変化しています。

 毛沢東一派は、この「毛沢東思想」の旗のもとに、マルクス・レーニン主義の統一戦線政策をふみにじった「反米反ソ統一戦線」論や、情勢を無視した冒険主義的な武装闘争を各国の革命運動にけしかける「人民戦争」万能論、反帝勢力をアメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する闘争からそらせる「米中戦争」不可避論、国際民主運動を「帝国主義、修正主義の暴露の演壇」とのみ規定し、反帝民主勢力の統一行動を否定し、さらにこれを破壊しようとするセクト主義、分裂主義などの極左日和見主義の路線を国際共産主義運動全体におしつけようとしてきました。

 かれらは、国際友好運動においても、「毛沢東思想」の絶対化、いわゆる「プロレタリア文化大革命」の礼賛を運動の基準としておしつけ、友好運動をかれら一派への盲従運動にかえる大国主義的排外主義を乱暴に実行してきました。

 そして、毛沢東一派は、この大国主義的おしつけをうけいれないマルクス・レーニン主義党を「修正主義」「反中国」「ソ連共産党の新しい追随者」「アメリカ帝国主義の共犯者」などとののしって不当な攻撃と破壊活動にのりだしてきました。毛沢東一派が昨年来おしすすめてきたわが日本共産党にたいする乱暴きわまりない中傷、攻撃、破壊活動はその典型であり、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にまっこうから敵対するかれらの理論と実践の本質を、もっとも如実に示したものでした。これこそ、今日の「毛沢東思想」なるものの反マルクス・レーニン主義的実態と、かれらが国際共産主義運動のもっとも有害な撹乱者となっていることを、みずから暴露したものです。

 とくに、かれらが「毛沢東思想」の忠実な実践として演じてみせた北京空港での2日にわたる集団暴行事件は、毛沢東一派が、独断とデマと中傷によってだけでなく、反階級的暴力によってその誤った路線を内外に強要する狂信的な大国的排外主義、「毛沢東思想」と「プロレタリア文化大革命」の名によって恥ずべき拷問とテロを神聖化する小ブルジョア的盲動主義の徒に堕していることを、まったくいかなる弁解の余地もないかたちで証明しました。これは、かれらが、「毛沢東思想」と「プロレタリア文化大革命」の名で、国際共産主義運動にぬぐうことのできない汚点をきざみこんだものであり、日本の労働者階級と人民、日本共産党にとってだけでなく、世界の労働者階級、世界の共産主義者にとっても、きわめて重大な問題です。

 いまから11年前、中国共産党第8回大会の開会の辞のなかで、毛沢東はこうのべていました。

 「われわれは、傲慢な大国主義の態度をとってはならない。革命に勝利し、建設にあたっていくらかの成果をあげたからといって、思いあがるようなことは、絶対にあってはならない。国の大小をとわず、いずれの国にも長所もあれば短所もある。たとえわれわれの活動が、きわめて大きな成果をあげたとしても、たかぶったり思いあがったりする理由はなに一つない。謙虚は人を進歩させ、傲慢は人を落後させる。この真理を、われわれは永久に心にとめておかねばならない」

 今日、毛沢東一派への無条件追従を国の内外にわたって強要する大国的排外主義、みずからを「マルクス・レーニン主義の最高峰」と呼ぶ傲慢ぶりをみるとき、かつて大国主義をいましめ謙虚さを説いた毛沢東は、いったいどこに行ったのでしょうか。毛沢東とその一派は、「永久に心にとめておく」ことをみずから呼びかけた「真理」を、わずか10年あまりのうちに、どこかに埋葬してしまい、「落後」の道をみずからえらぶにいたったのです。

 そしてわが党にたいする不当な攻撃と破壊活動において、毛沢東ら、中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子が、反党分子の西沢隆二を北京の天安門に上げて、毛沢東はこれと握手するなど、西沢隆二、安斎庫治らわが党が除名したひとにぎりの裏切者の徒党、対外盲従の反党・反革命分子、さらにはトロツキスト挑発者たちと結びついたことは、毛一派が、その大仰な自己礼賛にもかかわらず、実際には西沢(隆)、安斎やトロツキストと同類のマルクス・レーニン主義党の破壊者であり、国際共産主義運動の撹乱者にすぎないことを、議論の余地なく示しています。

 われわれは、日本の革命運動に責任を負い国際共産主義運動に責任を負うマルクス・レーニン主義党として、日本の革命運動の正しい自主性を守るためにも、また国際共産主義運動のマルクス・レーニン主義的強化と真の団結をかちとるためにも、中国共産党の毛沢東ら極左日和見主義集団とかれらに盲従する反党・反革命分子のわが党にたいする攻撃と破壊活動を、断固として粉砕しなければなりません。

 中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子は、『人民日報』8月6日付の評論員の一文で、わが党が中国共産党に修正主義を「押しつけようとした」とか、わが党の新聞、雑誌が「あいついで、やたらと多くの反中国の文章を発表し」、「宮本と野坂はみずから陣頭に立って、中国反対の演説をぶち」、毛主席と「毛沢東思想」、中国の「プロレタリア文化大革命」を「あくどく中傷し攻撃した」とかいって、わが党を非難し、それによって、わが党にたいする干渉と破壊をめざす自分たちの犯罪行為の責任を、わが党になすりつけようとしています。

 しかし、わが党がこれまで「在日華僑学生らの襲撃事件について、北京放送などのわが党と日中友好運動にたいする攻撃に反論する」(『赤旗』1967年3月15日)、「『人民日報』その他のわが党にたいする不当な攻撃と干渉を糾弾する」(『赤旗』3月19日)、「『趙安博談話』なるものがゆがめたもの」(『赤旗』5月19日)、「社会党『通達』の『日本共産党の路線変更』論を反駁する」(『赤旗』6月15日)など一連の論文で、具体的事実にもとづいて明らかにしてきたように、わが党やわが国の民主運動に、反米・反ソの国際統一戦線論をはじめとする極左月和見主義路線や「毛沢東思想」を押しつけ、兄弟党間の関係の基準をやぶってわが党にたいする不当な干渉や攻撃、破壊活動をおこなってきたのは、まさに毛沢東ら中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子にほかなりません。

 わが党は、最近の事態にいたるまで一貫して日中両国人民と日中両党の団結を重視し、両党間に重要な意見の違いがあることが明らかになってからも、日中両国の党と人民の友好の原則を守りぬくことに努力をかたむけてきました。これは、わが党が、アジアと世界の人民解放の事業のうえで偉大なできごとであった中国革命の成果を重視し、それを指導した中国共産党の過去の活動を評価し、戦前戦後の幾多の苦難の試練に耐えた日中両国の党と人民の連帯の歴史を貴重なものと信じてきたからです。それはまた、わが党がベトナム侵略をはじめとする凶暴なアメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策とたたかう緊急の任務にとっても、国際共産主義運動のマルクス・レーニン主義的強化と真の団結をかちとる歴史的事業にとっても、日中両党の団結は重要な役割をはたすものと考えてきたからです。

 わが党代表団が、昨年3月の日中両党会談のさいに、中国共産党の代表団からの申し出に応じて、共同コミュニケの作成に同意したのは、この見地からでした。共同コミュニケは、一致点での団結という原則的立場から作成され、両党代表団のあいだで最終的に確認されましたが、これが正式に成立したのちに、一方的、独断的な変更要求をおしつけてこれを破棄したのは、ほかならぬ毛沢東でした。

 わが党は、昨年来、中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子が、「反米反ソの国際統一戦線」論や「毛沢東思想」の絶対化、「プロレタリア文化大革命」の礼賛などをわが党と日本の民主運動におしつけ、大国主義的干渉と攻撃をおこなってきたのにたいしては、必要な批判と反撃を断固としてくわえてきました。わが党は、そのさいにも、大国主義的干渉を糾弾し、「毛沢東思想」の絶対化や「プロレタリア文化大革命」礼賛のおしつけには断固反対しましたが、日中両党の団結の回復への配慮から、最近の「毛沢東思想」そのものの実態の究明や、いわゆる「プロレタリア文化大革命」そのものについては「あくどい中傷や攻撃」どころか、必要な批判さえ公表しないできました。もちろん、わが党は、昨年春の日中両党会談以後わずか1年あまりの期間に、わが党の転覆を呼びかけるまでになった、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義の原則を裏切るきわめて露骨な大国主義的撹乱活動が、中国国内における「紅衛兵」運動などをはじめとする「プロレタリア文化大革命」と呼ばれる異常な事態の進行と不可分に結びついていることについては十分知っており、また、毛沢東の絶対化を至上命令とする「プロレタリア文化大革命」なるものの実態と本質についても、明確な判断をもっていましたが、忍耐づよく節度を守って、その公然たる批判をさしひかえてきたのです。

 ところが、いま毛沢東を中心とする中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子は、毛沢東の神格化や「プロレタリア文化大革命」の礼賛をはじめとする、かれらの言動への無条件の追従を中国の国内問題処理における基準とするだけではなく、国際共産主義運動、国際民主運動における革命と反革命、進歩と反動を区別する基準としています。この立場から、かれらは、北京在任の反党暴力分子らに「毛沢東思想」や「プロレタリア文化大革命」を礼賛してわが党を攻撃した文章を書かせ、これを『人民日報』に発表して、わが党攻撃の武器とするなどしてきましたが、いまや、公然と、わが党が「毛沢東思想」の絶対化や「プロレタリア文化大革命」礼賛の押しつけを受けいれなかったことを、「毛沢東思想」そのものや「プロレタリア文化大革命」そのものへの「あくどい中傷や攻撃」として非難し、「アメリカ帝国主義、ソ連修正主義および各国反動派の反中国の大合唱のあわれむべき鼓笛手」などと罵倒し、その打倒、転覆を公然とよびかけるという、気ちがいじみた攻撃を強化しているのです。

 マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義を乱暴にふみにじってかえりみず、日本人民の唯一の革命的前衛党であるわが党を公然と敵視し破壊しようとする毛沢東を中心とする中国共産党の極左日和見主義分子の、わが党にたいする破壊活動にあらわれている反マルクス・レーニン主義的活動を、わが党は絶対に許すことはできません。われわれは、毛沢東ら中国共産党の極左白和見主義、大国主義分子の、わが党と日本の民主運動にたいする破壊活動を粉砕するために断固たたかうとともに、今後、必要に応じて、マルクス・レーニン主義の原則を守るために、かれらがわが国の革命運動と民主運動にその礼賛を押しつけようとしている「毛沢東思想」そのものや「プロレタリア文化大革命」そのものにたいしても、その本質を究明し科学的批判をおこなう権利を断固として行使するものです。

 これは、わが党と日本の民主運動にたいする毛沢東一派のいっさいの撹乱工作を粉砕し、その手先となっている反党対外盲従分子らの極左日和見主義、セクト主義、解党主義を徹底的に粉砕してマルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義の原則を擁護し、日本の革命運動、民主運動の自主的発展を守るために、欠くことのできない重大な課題となっています。これはまた、アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動、統一戦線の強化、発展をかちとり、国際共産主義運動のマルクス・レーニン主義的強化と真の団結をかちとるためにも、さらに、日中両国共産党間の革命的連帯の伝統を守り、日中両国人民の真の友好の伝統を擁護するためにも、今日では、避けることのできないものとなっています。

 中国共産党の毛沢東ら極左日和見主義集団が、反党分子の党破壊行動を懸命に鼓舞激励し、『人民日報』でわが日本共産党の打倒を呼びかけているのに呼応して、毛沢東の片言隻句を狂信的に礼賛し、「紅衛兵」の卑劣な集団暴行をサルまねしようとする恥しらずな対外盲従の反党分子たちは、わが党破壊の活動をますます強化しようとしています。

 かれらは、「造反有理」という中国製スローガンをとなえながら、最近、山口をまねて佐賀、福岡、兵庫、愛知などに「日本共産党左派県委員会」なるものをこしらえあげました。また、昨年9月、紺野『赤旗』特派員に暴行をくわえて党から除名された聴濤学や、党から与えられた任務を放棄して中国にゆき反党活動を開始した元ベルリン特派員金沢幸雄らも、中国から帰国し、西沢(隆)、安斎らとともに党を破壊する新たな策謀をめぐらしています。

 だいたい毛沢東一派がかかげ、反党対外盲従分子たちが輸入している「造反有理」なるものは、毛沢東とその一派にたいする「造反」は「有理」とみなさず、それどころか、いっさいの批判を禁圧し、崇拝、熱愛、盲従の度合いの不足を少しも許さないものです。それは、ひたすら毛沢東への絶対服従を求めるものであり、毛沢東神格化に賛成できないものやためらうものを攻撃する意味にすぎません。

 これらの反党分子は、毛沢東崇拝でこりかたまって日本の党と革命を裏切った対外盲従分子であり、日本人民のなかになんの根ももたない、ほんのひとつまみの連中にすぎません。「県委員会」などと称してみても、それがなんの実体もないものであることも言うまでもありません。しかし、われわれは、けっしてかれらの党破壊の策謀を過小評価することなく、かれらを日本人民から完全に孤立させ徹底的に粉砕するまでたたかいぬかなければなりません。なぜなら、第一にかれらは、「日中交流」や「日中貿易」における事態が示しているように、中国共産党の毛一派が日本共産党攻撃の道具として特別の支持をあたえている集団であるからであり、第二に、社会党「通達」や一部のインテリ分子の言動などが示しているように、わが国の民主運動の内部や周辺にある反共主義や事大主義が、反党分子につけこむ余地を与えているからです。

 昨年来のすべての経験が示しているように、中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子とこれに追従する反党分子のわが党とわが国の民主運動にたいする攻撃や破壊活動との闘争は、今日の最大の国際的課題であるアメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する国際統一行動、統一戦線の強化にとって重要な闘争であるだけでなく、わが国の大衆闘争、統一戦線、党建設の全局にも影響をもち、日本の革命運動の展望にも関係する、もっとも重要な闘争のひとつです。

 わが党は、フルシチョフを中心とするソ連共産党指導部の不当な攻撃、干渉とそれに追随する志賀一派の反党活動と断固としてたたかい、マルクス・レーニン主義の原則を守りぬき、党の思想的、組織的強化をかちとってきました。全党は、この闘争でさらに確固としたものとなったマルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にもとづく自主独立の立場と、現代修正主義および教条主義、セクト主義との二つの戦線での闘争という厳格な立場を堅持し、中国共産党の毛沢東ら極左日和見主義集団と、かれらに盲従するひとつまみのあわれむべき反党分子らの党破壊活動をも断固として粉砕し、党と革命の事業を守りぬき、さらに大きく前進させましょう。

 マルクス・レーニン主義から逸脱したフルシチョフと志賀一派の現代修正主義の路線と行動がみじめに破たんしたように、マルクス・レーニン主義からまったく逸脱した毛沢東一派とその盲従者たちの極左日和見主義の路線と行動が、破たんすることは確実です。中国においても、今日の事態は、長い共産主義運動の歴史からみれば一時的な局面をあらわすものにすぎず、今後の事態の発展がどのように複雑な、ジグザグの道程をたどろうとも、最後には現在の極左日和見主義、大国的排外主義の潮流が克服され、マルクス・レーニン主義が勝利することは確実です。不滅の真理であるマルクス・レーニン主義はかならず勝利し、国際共産主義運動は、両翼の日和見主義の克服をつうじて、かならずより高い段階に発展するにちがいありません。

(『日本共産党重要論文集』第7巻)