日本共産党資料館

ラトビアへの武力弾圧を糾弾する

一九九一年一月二十二日 「赤旗」主張

 ソ連内務省の特殊部隊が二十日夜、バルト三国の一つラトビア共和国の首都リガにある共和国内務省を攻撃、銃撃戦のうえ占領しました。ラトビアのラジオ放送によると、十数人が死傷したとされます。
 これは、さる十一日以降のソ連軍空てい部隊によるバルト三国のリトアニア共和国攻撃につぐもので、ソ連からの独立を求めるバルト諸国をあくまで武力弾圧し、独立の要求を抑えつけようとするものであり、日本共産党はきびしく糾弾するものです。

 湾岸戦争のどさくさ利用

 指摘すべきことは、ゴルバチョフ大統領らソ連指導部が、経済問題などでの対応と同様、バルト諸国の民族独立の要求や運動にたいしても、大国主義的、覇権主義的な民族政策を根本からあらためることなく、場当たり主義的な対応を繰り返してきたことです。そして結局、「独立」をもとめる人たちを「分離主義」「民族主義」などと非難し、武力弾圧をおこないました。
 ソ連国内では、国営のタス通信がバルト諸国への弾圧を「重大な法の侵害」と非難し、ソ連最大の日刊紙コムソモーリスカヤ・プラウダがバルト諸国の独立承認の決断を求める論文を掲載、さらに大統領側近をふくむ著名人たちが連名で糾弾する〔本号別項〕など批判が広がっています。また二十日には、弾圧に抗議し「ゴルバチョフ大統領の辞任」を要求する大デモがモスクワでおこなわれました。
 今回のバルト諸国への一連の武力弾圧は、イラク問題に端を発した湾岸戦争に、世界の関心が引きつけられているときに、そのどさくさを利用したものともいえます。
 ソ連は、一九六八年、チェコスロバキアを侵略しましたが、それはアメリカのインドシナ侵略戦争の最中でした。また、七九年のアフガニスタン侵略のさいには、アメリカとイランとのあいだで緊張が高まっていた時期でした。
 見落としてならないことは、今回のソ連の弾圧について、アメリカなどが、チェコスロバキアやアフガニスタンへのソ連の侵略のときとちがって、厳しい対応をしめしていないことです。これについて、「ホワイトハウスは、イラクに対抗する共同を阻害することを望まないため、バルト諸共和国でのソビエトの武力行使にたいして、即座に強硬に反応することには、反対することを決めた」(インタナショナル・ヘラルド・トリビューン十六日付)との報道がおこなわれています。
 一方、ソ連は、ベススメルトヌイフ外相が「われわれの死活的利益をまもるため、イラクの侵略に反対せざるをえなかった」とのべ、米ソ協調推進の立場からアメリカのイラクへの軍事攻撃に保証をあたえています。
 この点では日本政府も、ソ連当局のラトビア弾圧について、「遺憾」とはいうものの、ソ連での民族自決権じゅうりんと人権弾圧に断固抗議せず、中山外相が二十一日予定どおり訪ソしています。アメリカに同調したこうした自民党政府の態度もきびしく問われます。

 科学的社会主義に反する

 ソ連指導部の暴挙は、科学的社会主義の原則を真っ向からふみにじるものです。
 民族自決権をあくまで擁護することは、生まれたばかりのソビエト政権を指導したレーニンが、諸民族の30ソ連からの分離、独立の自由を強調し、この原則を断固まったように科学的社会主義の根本的な原則の一つであり、社会主義を口にするなら当然まもるべきものです。
 日本共産党はこの立場にたって、ソ連指導部によるバルト諸国への武力弾圧について、十二日、リトアニアへの武力介入をただちにやめるよう求める電報〔本号別項〕をゴルバチョフ大統領におくりました。また十四日には、中央委員会声明「リトアニアへのソ連政府による武力行使を糾弾する」〔本号別項〕を発表、ソ連指導部にたいし、「武力行使とその企図の即時中止、バルト諸国からのソ連軍の撤退、バルト諸国民の独立要求の尊重、その基礎にたって問題解決を平和的話し合いの軌道にのせるためのあらゆる努力をつくすこと」をきびしく要求してきました。
 日本共産党は、ソ連軍のラトビアへの武力弾圧をかさねて断固糾弾するとともに、ソ連指導部がいっさいの弾圧をただちにやめ、軍隊をバルト諸国から撤退させ、民族自決権尊重の立場にたって問題の平和的解決をおこなうようあらためて強くもとめるものです。