●一部の国による軍事攻撃と戦争拡大の道から、国連を中心にした制裁と“裁き”の道へのきりかえを提案する (日本共産党中央委員会議長・衆議院議員 不破哲三・日本共産党幹部会委員長・衆議院議員 志位和夫) (『しんぶん赤旗』2001年10月12日)
●『週刊文春』のひきつづく反共記事とその破たん (『赤旗』1993年4月9日、4月24日)
●憶測からの根拠のない『文春』の妄断――日本共産党の立場は確固としている (『赤旗』1993年4月9日、4月18日)
●ソ連資金問題 (『赤旗』1993年4月9日、4月14日)
●ソ連邦の解体にあたって (『赤旗』1991年12月24日)
●科学的社会主義の世界的な運動の発展のために――日本共産党の見解 (『赤旗』1991年12月7日)
●大国主義・覇権主義の歴史的巨悪の党の終焉を歓迎する――ソ連共産党の解体にさいして (『赤旗』1991年9月2日)⇒<日本共産党公式ページのリンク>
●国際政治は湾岸戦争から何を教訓にすべきか (『赤旗』1991年3月6日)
●リトアニアへのソ連政府による武力行使を糾弾する (『赤旗』1991年1月15日)
●歴史的岐路にあたり、アメリカは平和的解決のために手をつくしたか――わが党はなぜフランス提案を重視したかか (『赤旗』1991年1月23日)
●ラトビアへの武力弾圧を糾弾する (『赤旗』1991年1月22日)
●湾岸地域での開戦の事態にさいしての不破哲三日本共産党幹部会委員長の談話 (『赤旗』1991年1月18日)
●イラク問題の解決と日本がはたすべき役割 (『赤旗』1990年9月7日)
●イラク軍は直ちに撤兵せよ (『赤旗』1990年8月3日)
●どうみるルーマニア問題―事実と経過 (『赤旗』1990年1月29日)
●チャウシェスク政権の変質に日本共産党はどう対処したか (『赤旗』1989年12月28日)
●ルーマニアにおける野蛮な人民弾圧を糾弾する (『赤旗』1989年12月23日)
●アメリカはパナマ侵略をただちに中止せよ (『赤旗』1989年12月21日)
●チェコスロバキア侵略の誤りを認めたワルシャワ条約機構5カ国首脳の声明について (『赤旗』1989年12月6日)
●社会主義的民主主義を踏みにじる中国党・政府指導部の暴挙を断固糾弾する (『赤旗』1989年6月5日)
●焦眉の国際的諸問題に打開の展望を与える「行動のよびかけ」―重要な国際的意義をもつ宮本議長とチャウシェスク書記長の共同宣言 (『赤旗』1987年5月2日)
●日本共産党宮本顕治中央委員会議長とルーマニア共産党ニコラエ・チャウシェスク書記長の共同宣言 (『赤旗』1987年4月30日)
●野蛮な覇権主義の典型のあらたな証明―朝鮮労働党『国際生活』誌論文がしめすもの (『赤旗』1986年6月29日)
●米国の対リビア爆撃を糾弾する (『赤旗』1986年4月16日)
●核兵器廃絶を世界政治の日程にのせた提案として歓迎 (『赤旗』1986年1月17日)
●米ソ首脳会談と反核・平和勢力の任務―米ソ首脳会談を論ず (『赤旗』1985年12月5日)
●「労働新聞」の乱暴な覇権主義の論法 (『赤旗』1984年9月27日)
●人道も国際法も無視する立場の自己暴露――「労働新聞」の日本共産党攻撃にたいして (『赤旗』1984年8月16日)
●朝鮮の漁船銃撃事件は国際法上も不法行為である (『赤旗』1984年8月4日)
●科学的社会主義の原則と一国一前衛党論――「併党」論を批判する (『赤旗』1984年7月25日)
●「朝鮮時報」の日本共産党非難に反論する (『赤旗』1983年12月8日)
●ラングーン事件にたいする日本共産党の立場 (『赤旗』1983年11月21日、11月6日、11月24日)
●アメリカはグレナダ侵略を直ちに中止し全侵攻軍を撤退させよ (1983年10月26日)
●大韓航空機撃墜事件について (1983年9月12日)
●是認できないポーランドの事態 (『赤旗』1981年12月15日)
●真の平和綱領のために (1981年6月30日)
●韓国での軍事ファッショ政権の「血の弾圧」を糾弾する声明 (『赤旗』1980年5月28日)
●アフガニスタンの事態について (『赤旗』1980年1月11日)
●ニカラグア人民の歴史的勝利 (『赤旗』1979年7月26日)
●「ポル・ポト=イエン・サリ政権」の虐殺と破壊のあと、民族の自決と幸福のため困難の中で国づくりをすすめているカンボジア人民への連帯と支援をよびかける (『赤旗』1979年6月23日)
●中国はベトナムにたいする侵略行動をただちに中止せよ (『赤旗』1979年2月19日)
●民主主義否定は明白 (『赤旗』1978年1月15日)
●ソルジェニツィン問題にかんするわれわれの見解 (『赤旗』1974年3月8日)
●対イスラエル非軍事的制裁の検討を (『赤旗』1973年12月12日)
●クーデター糾弾、チリ人民との連帯の強化を (『赤旗』1973年9月19日)
●米中共同声明とニクソン美化論の新段階 (『赤旗』1972年3月25日)
●日中問題と日本共産党 (『赤旗』1971年9月9日)
●ニクソンとアメリカ帝国主義―ニクソン・ドクトリンの現段階の解明とニクソン美化論克服の課題 (『赤旗』1971年8月21日)
●チェコスロバキアへの五ヵ国軍隊の侵入問題と科学的社会主義の原則の擁護 (『赤旗』1968年10月1日)
●今日の毛沢東路線と国際共産主義運動 (『赤旗』1967年10月10日)
●撹乱者への断固とした回答──毛沢東一派の極左日和見主義集団とかれらに盲従する反党裏切り分子の党破壊活動を粉砕しよう (『赤旗』1967年8月21日)
●社会党「通達」の「日本共産党の路線変更」論を反駁する (『赤旗』1967年6月15日)
●極左日和見主義者の中傷と挑発 (『赤旗』1967年4月29日)
●志田一派の反党撹乱活動を粉砕するために (『赤旗』1966年8月10日)
●ふたたびアメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線の強化について (『赤旗』1966年8月8日)
●大会決定を全党的に学習し、アメリカ帝国主義に反対する国際統一戦線の強化と国際共産主義運動の真の団結のために奮闘しよう (『赤旗』1966年5月11日)
●アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線を強化するために (『赤旗』1966年2月4日)
●インドネシア共産党、インドネシアの民主団体にたいする暴力的攻撃は、アジアの反帝戦線に何をもたらすか (『アカハタ』1965年10月23日)
●現代修正主義者の戦争と平和の理論と、これに対する歴史の審判 (『アカハタ』1965年8月14日)
●テ・チモフェーエフとアメリカ帝国主義──「ケネディとアメリカ帝国主義」にたいする反論の批判 (『アカハタ』1965年2月26日)
●フルシチョフの「平和共存」路線の本質について (『アカハタ』1964年11月22日)
●国際共産主義運動にかんする諸問題についての決定 (『アカハタ』1964年11月6日)
●ソ連共産党中央委員会の書簡(一九六四年四月十八日付)にたいする日本共産党中央委員会の返書 (『アカハタ』1964年9月2日)
●現代修正主義者の社会民主主義政党論 (『アカハタ』1964年8月2日)
●ケネデイとアメリカ帝国主義 (『アカハタ』1964年3月10日)
●主張 ソ同盟共産党第二〇回大会 (『前衛』115号[1956年4月])
●「不審船」問題についての日本共産党の見解と提案 (『しんぶん赤旗』2002年1月29日)
●海上保安庁法改正案──主権侵害に対抗する警察力の強化は必要 (『しんぶん赤旗』2001年10月18日)
●「日の丸・君が代」問題を国民的な討論の軌道にのせるために──国旗・国歌問題についての日本共産党の立場 (『しんぶん赤旗』1999年3月17日)
●「『日の丸・君が代』をどうとらえていますか」──アンケートへの日本共産党の回答 (『しんぶん赤旗』1999年2月16日)
●労働基準法の抜本的改正についての提案―人間らしい労働と生活を取り戻すために (『赤旗』1992年2月29日)
●「納税者憲章」の提案―人権無視の強権的徴税をやめさせ、「国民が主人公」の税務行政と税制を実現するために (『赤旗』1992年2月15日)
●土井社会党委員長の最近の路線発言をどうみるか (『赤旗』1987年12月30日)
●日本の中立化と安全保障についての日本共産党の構想 (『赤旗』1968年6月11日)
●青年学生分野の「広大な空白」克服のための全党的とりくみの強化を (『赤旗』無署名論文1989年10月17、19日)
●袴田転落問題、なぜ――読者の質問に答えて (『赤旗』1983年7月16日)
●マスコミが隠した歴史の流れ――伊藤律問題と日本共産党の真実 (『赤旗』1980年9月25、27~29日)
●伊藤律の帰国をめぐる問題について (『赤旗』1980年8月31日)
●伊藤律の生存確認の報道に関して (『赤旗』1980年8月24日)
●袴田里見の党規律違反と反党活動について (『赤旗』1978年1月4日)
●袴田里見の除名処分について (『赤旗』1978年1月4日)
●新日和見主義との闘争の教訓 (『赤旗』1973年4月14日)
●新日和見主義と党建設問題 (『赤旗』1972年8月2日)
●新しい日和見主義の克服 (『前衛』1972年8月号)
●新しい日和見主義の特徴――内外情勢論との関連で―― (『赤旗』1972年6月19~20日)
●西園寺公一の除名処分について (『アカハタ』1967年2月15日)
●安斎庫治の除名処分について (『アカハタ』1967年2月14日)
●西沢隆二の除名にかんする決議 (『前衛』1966年12月号)
●聴濤学、伊佐雅正、深海督弘、酒井誠ら四名についての除名決定 (『アカハタ』1966年10月3日)
●神山茂夫、中野重治の除名にかんする決議 (『アカハタ』1964年10月2日)
●志賀義雄、鈴木市蔵の党規約のじゅうりんと党破壊活動にたいする処分について (『前衛』1964年7月号)
●志賀義雄と鈴木市蔵の除名処分にかんする決議 (『前衛』1964年7月号)
●党破壊分子の新たな挑発行動について (『アカハタ』1961年7月17日)
●春日庄次郎の反党的裏切り行為について (『アカハタ』1961年7月10日)
●春日庄次郎の反階級的行為について (『アカハタ』1961年7月9日)
●五〇年問題について (『アカハタ』号外1957年11月6日)