日本共産党資料館

憶測からの根拠のない『文春』の妄断
――日本共産党の立場は確固としている

一九九三年四月十八日 佐々木陸海

 『週刊文春』四月二十二日号は、同誌先週号の記事にかんして発表した八日付の私の談話を「噴飯物」「弱腰」「苦しい言い訳」などと、言葉をきわめて非難している。しかし、実際には、日本共産党はただちに確固とした回答をあたえているのであり、「大きな動揺と衝撃」があるとすれば、それはむしろ独断によって窮地におちいった『週刊文春』誌の側である。

 日本共産党の断固とした回答

 『週刊文春』誌先週号(四月十五日号、八日発売)は、一九六二、三年に当時日本共産党幹部だった野坂参三、袴田里見がソ連共産党から多額の資金を受け取っていたとする資料などを、「独占スクープ」として報じた。これにたいし、日本共産党はただちに私の談話を発表した。その後、十三日にはTBSや時事通信なども、『週刊文春』誌が「発見」したという資料の一部を入手して報道した。これについても日本共産党は同日、志位書記局長の談話を発表した。『週刊文春』誌前号の主張の中心点は、野坂や袴田が受け取った資金は、日本共産党が党としてソ連に要請したものであり、日本共産党の財政に流入したものであるということだった。これにたいして私の談話では、『週刊文春』誌の主張がまったく根拠のないきめつけであることをあきらかにし、「日本共産党としてソ連に資金を要請した事実はないし、党本部の建設資金をふくめ、党の財政にソ連資金が流入した事実はない」と、きっぱりとわが党の立場をのべた。

 党分裂時の分派組織への援助

 これにたいし、今週の『週刊文春』誌は、ソ連資金は野坂、袴田らの個人へのものではなく、日本共産党そのものへの援助である、それは、五八、九年、六一年に、ソ連資金が「日本共産党」にあたえられたことが、ソ連秘密資料に明記されていることから明白だと反論している。しかし、この時期においても、ソ連秘密資金の受取人は、ソ連共産党への内通者であって、日本共産党ではない。ソ連資料に「日本共産党」と書いてあったからといって、受取人が日本共産党である証拠にはならないのである。それは次のような事実経過をみれば明りょうとなる。
 『週刊文春』誌は前号で「日本共産党へのソ連資金」として一覧表を掲げた。それによれば、「日本共産党」への資金は、五一、二年、五四、五年にも流れていた。この時期には、日本共産党の中央委員会は、徳田球一、野坂らによって解体され、党は分裂していた。党の統一を破壊し、北京に亡命していた集団による「北京機関」が、ソ連、中国の党指導部の支持・援助を受けて活動していた。したがって、この時期にかかわってソ連資料が「日本共産党への資金援助」といっているのは、一九五五年分という記載をふくめて、実は、この「機関」への援助以外にはありえないのである。一九五三年の徳田球一の死後、「北京機関」の代表は野坂と、もともとは野坂らと対立する側にいたのに一九五一年にモスクワでスターリンに屈服し、事実上この「北京機関」にくわわった袴田になった。徳田死後のソ連資金の受取人は、彼らがつとめていたのである。
 「北京機関」は、ソ中両党指導部の干渉のもとに極左冒険主義の方針を採用、実行し、日本国民の進歩と革新の事業に大打撃をあたえた。ソ連資料が「日本共産党への援助」といっているのは、こういう分派組織、ソ中両党の覇権主義的干渉の手先の組織への援助にほかならない。

 内通者への資金援助として継続

 では、『週刊文春』誌今週号があげている、党の統一回復後六一年までの「日本共産党」への資金の流れはどうか。結論的にいえば、性格的にも、人的にも、「北京機関」からの継続として、その受取人はソ連共産党への内通者である野坂、袴田であって、日本共産党では断じてない。それは皮肉にも、『週刊文春』誌前号が、六二、三年の資金を要請し、領収していたのが、野坂や袴田であったと伝えていることによって、裏付けられている。
 日本共産党にかかわる旧ソ連共産党の資料の収集と分析、関連する調査などをつうじて、野坂と袴田が長期にわたってソ連に内通し、党の自主独立の立場を妨害し、党に打撃をあたえる役割をはたしてきたことが、いまではあきらかになっている。
 このように、ソ連資金なるものの政治的性格は、「日本共産党への援助」どころか、まったく反対に、日本共産党への干渉と破壊のための、ソ連内通者たちへの軍資金だったのである。

 宮本氏が知るはずもない資金の流れ

 こういう時期、日ソ両党関係はどうだったか六〇年十一月の八十一ヵ国共産党・労働者党代表者会議では、宮本書記長を団長とする日本共産党代表団は、ソ連共産党が準備した文書案の誤りにたいし、もっとも多くの修正案を対置してたたかった。六一年秋、宮本書記長が訪ソして、ソ連共産党綱領草案の日本にかんする規定の修正をソ連側に申しいれた。ひきつづくソ連共産党第二十二回大会では、アルバニア批判への同調をもとめたソ連側の要求を、日本共産党代表団は受け入れなかった。六三年十月の中央委員会総会(八大会七中総)は、宮本書記長の病気療養中に開催された同年二月の中央委員会総会(五中総)での誤り(ソ連共産党を特別視することなど)をきっぱりと是正した。そして六四年五月、志賀義雄らがソ連に追随して党を裏切ると、日本共産党は彼らを断固として除名し、彼らを支持したソ連共産党と全面的なたたかいを開始した。
 日本共産党は、この時期にソ連覇権主義と真正面から堂々とたたかいぬいたのである。そして、歴史が証明しているように、日本共産党はこのたたかいに勝利したのである。ソ連から多額の金を党として受け取った党が、こういう政治行動を絶対にとりえなかったことは、世界の共産党の歴史と現実が証明している。
 この点で一言ふれておけば、『週刊文春』誌が、イタリア共産党がソ連の資金援助を断固として断ちきったかのようにいうのは、まったく事実に反する。イタリア共産党は、党として援助をうけていたからこそ、援助を断ることでさえソ連の顔色をうかがいながらおずおずとしかできなかったのである。しかも、路線の上でソ連ときっぱりと一線を画すことができずに、結局、ソ連崩壊に前後して、この党は混迷を深め解体している。
 『週刊文春』誌今週号があげている時期のソ連共産党の「日本共産党」への資金とは、六二、三年の時期の資金もふくめ、まさにこういう日本共産党の自主独立の立場を破壊し、自主独立の立場の先頭にたちつづけた宮本氏と党指導部に敵対して、ソ連への追随者、内通者の指導権を確立するための援助だった。したがって、そういう資金の流れを、当の宮本氏が知りようはずがないのである。『週刊文春』誌が、「宮本氏が知っていたはずだ」とくりかえしくりかえし強調しながら、その証拠を何一つしめせないのは、あまりにも当然なのである。

 干渉当事者に頼るしかない虚偽の立論

 前号でも今号でも、『週刊文春』誌は、内通者としての野坂、田への資金の流れをなんとか日本共産党そのものと宮本氏に結びつけようとむなしい努力をつづけている。前号でその役割を中心的に担ったのは、旧ソ連共産党国際部副部長コワレンコの〝証言〟だった。私の談話では、コワレンコが「日本共産党にたいするソ連覇権主義の干渉工作の組織者であり、内通者たちとも長期にわたって特別の関係をもち、しかもその陰謀のためにはどんな虚構をも平気でふりまいてきた札つきの人物である。このような人物に客観的な証言能力などまったくないことを、きびしく指摘しておきたい」とのべておいた。
 ところが、『週刊文春』誌は今回もまた、もっぱらコワレンコに頼ってその議論をすすめている。そして、コワレンコについての私の指摘にかんして、不破委員長の連載「干渉と内通の記録」では、コワレンコの記述が「内通の証拠として引用されている」のに、『週刊文春』誌でのコワレンコ証言は信用できないというのは「ご都合主義」だといって反論したつもりになっている。
 不破委員長が使っているコワレンコ資料は、ソ連共産党国際部の日本担当者としてのコワレンコが、まさに干渉活動に従事しているとき、彼を指揮しているより上級の干渉者(直接には、ポノマリョフ国際部長など)に送った報告など内部的な記録である。干渉者みずからが記録に残したこれらの実録が、干渉の証拠として役立つのは当然である。同時に、不破委員長は、そのコワレンコが、その干渉の陰謀を成功させるために、対外的には、どんなウソをも平気でふりまく人物であることを、無数の事実をもって克明にえがきだしている。
 『週刊文春』誌上でのコワレンコ〝証言〟は、彼がいま同誌の求めに応じて、彼の長年の敵、日本共産党をおとしいれようという立場でおこなっている〝証言〟である。それは、コワレンコがいまも日本共産党を敵視していることの証明にはなるかもしれないが、この陰謀家の言明になんらの証言価値もないことは、明白である。『週刊文春』誌の花田編集長は、『月刊「平河フォーラム」』四月号で、去年の野坂問題での資料探しと取材に「何千万円」かかかった、「おカネをだせばいくらでも向こうの有能なジャーナリストが「使える」と語っている。今回の一連の「極秘資料」の入手にも、多額の資金が使われているのだろう。
 しかし、同誌の思惑にもかかわらず、同誌が入手した資料の本質は、日本共産党の自主独立路線がうちかためられてゆく時期、それを妨害しようとして果たしえなかったソ連覇権主義の干渉の記録、内通者への支援の記録にほかならない。それは、皮肉にも、こうした卑劣な干渉策動を打破した日本共産党の真価を、逆にいっそううきぼりにするだけのものとなった。真実を逆転させようとする『週刊文春』誌のこころみは、どんなにお金をつぎこんでもけっして成功しないだけでなく、みずからにとっても皮肉な結末にしかならないのである。

 ここまで書いたところで、モスクワにいる日本共産党の調査団から、つぎのような連絡がはいった。大統領古文書館のカラトコーフ館長が、問題の文書の流出経路について、「今年の二月、コワレンコ教授に渡した」と回答してきた、というのである。  コワレンコ教授とは、いうまでもなく『週刊文春』誌が証人扱いしているコワレンコその人である。かつてソ連覇権主義の工作者として、日本共産党への干渉作戦に熱中したその人物が、こんどは、『週刊文春』の「金さえだせばいくらでも使える」傭兵の一人となって、「数千万円」の一部にあずかるために、でたらめな証言で反日本共産党作戦の手先となったわけである。『週刊文春』の反共作戦も、すっかり底が見えたといわなければならないだろう。

(常任幹部会委員、国際委員会責任者)

(「赤旗」一九九三年四月十八日付)