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一般投稿欄

『さざ波』清算トピックス――1.17トピックスによせて

2004/1/25 丸 楠夫、20代、医療関係

 「できるだけ党内に分岐と亀裂を作り出し、救える部分は最大限救い出さなければならない。」

 にわかには信じがたい一文である。党指導部への「満身の怒り」のあまり、ST氏は前後不覚に陥ったのではあるまいか。
 ST氏はこのトピックスにおいて「共産党の革命的再生など」もはや「幻想」だと断じる。とすると「再生」不能の共産党から、党員を「救い出」すとはつまり“離党のすすめ”ということか。『さざ波』は『私たちはなぜこのサイトを開設したか』において確かこういっていたはずである。「共産党(の)…解体や弱体化を図るものではありません」と。冒頭に上げた一文は明らかにこの言葉に反するものであり、まさに共産党の「解体や弱体化を図るもの」ではないか。
 一体ST氏は、共産党から「救える部分は最大限救い出」すことによって、どうしようというのだろう。「(脱党は)党内部のまじめな活動家層を現在の指導部のもとに残し、かつ党内の批判的意見がますます少な」くなり「党の右傾化をいっそう促進する」(不破政権論 半年目の総括(下))のではなかったのか。冒頭に上げた一文は、まさに『さざ波』の原則的立場を清算するものではないか。
 もっとも、ST氏にとっては「社会帝国主義的改良主義政党」に転落した共産党などには、もはやいかなる価値も見出していないのかもしれない(それは「…まともな有力左派政党が一つも存在しないもとで…長期にわたる闘争を地道に草の根から組織しなければならない。」といった部分からもうかがえる)。
 だがST氏が見ているのはもっぱら、以前の水準と比較して共産党が右傾化したという点だけである。それももちろん重要にはちがいないが、そもそも『さざ波』とは「日本共産党と現代日本政治を考える」(『さざ波』サブタイトル)サイトではないか。であれば、共産党が「社会帝国主義的改良主義政党」となったことによって、あるいはそうなったにもかかわらず、共産党が現代日本政治において占める「役割、位置、課題について」(『開設に当たって』)確認することなく、共産党を無価値とみなすのは早計にすぎるのではなかろうか。
 さて、日本の支配層や保守世論は、今回の綱領改訂によって共産党を受け入れるであろうか。依然として社会主義を、天皇制の廃止を“永遠の”(とはいえ)課題とするのはまだしも、“資本主義の枠内での改革=改良主義”を前面に押し出し、自衛隊の海外展開には抑制的であるこの党を、日本の支配層、保守世論が受け入れられるであろうか。おそらく“この程度の”共産党でさえ、受け入れられる余地はないだろう。そしてこの点にこそ現代日本政治の危機があるのではないだろうか。
 われわれが今、現に直面しているのは、ベースアップや、定期昇給や、年功序列型賃金や、終身雇用や、退職金や、年金・医療・福祉といった社会保障や、教育の機会均等といった戦後半世紀以上にわたって積み立てられてきた改良主義的成果の、支配層による取り崩しである。
 “まったくお前らのおかげで大赤字だ。今まで払った分はしっかり返してもらうからな。こっちは市場原理主義の国際的大競争で(自分たちだけが)生き残るのに必死なんだ。これ以上何か恵んでもらおうなんてもってのほかだからな”というわけだ。(実のところ、この“大盤振る舞い”の改良主義的譲歩は何よりもまず支配層の利益のためではなかっただろうか。“ジャパン・イズ・ナンバーワン”とか言われ“日本型経営”とやらが礼賛されたときはまんざらでもなかったであろう。少なくとも彼らも受益者だったのである。もしかしたら、最大の)
 改良主義への譲歩によって人々を“物質的に”囲い込むことのできなくなった支配層は、人々を“精神的に”囲い込むことによってしかその支配を正当化する術を持たない。近年の教育分野における保守・支配層の攻勢はその一例である。日々、改良主義的譲歩を取り返し19世紀並の水準にまで押し戻すことが支配層にとって至上命題となっている中、20世紀の最高水準とも言える西ヨーロッパ並みの改良主義の水準を公然と掲げることは“それが改良主義であるにもかかわらず”今日では反体制である。(今日において支配層に受け入れ可能な改良主義など、もはや改良主義でさえないであろう。ブレアの労働党や、民主党の旧社会党系議員たちのように)。
 「共産党の現在のこの巨大な力、毎日赤旗を早朝に何十万部も配れる力量、何十万、何百万という大衆組織を維持し運営している力量、何十人もの国会議員と何千人もの地方議員、そして何よりも30数万の党員…」(不破政権論 半年目の総括(下))が、その右傾化にもかかわらず、それをも大きく越える急速な日本全体の右傾化によって、結果的にではあれ、依然として反体制の陣地足りえている以上、いたずらにこの陣地の「解体や弱体化を図る」のではなく最大限活用する道こそ探らねばならない。共産党の右傾化に目をとらわれるあまり、現代日本政治における共産党の位置というもう一つの視点を見失い、動揺してはならない。『さざ波』はその原則的立場を清算するのではなく固持すべきである。

<編集部コメント> 丸楠夫さん投稿ありがとうございます。投稿内容からして、基本的に志を同じくしている仲間だと思います。そのうえで、いくつか誤解にもとづいた批判をされていると思いますので、若干のコメントをさせていただきます。
 まず第一に、「共産党の革命的再生が不可能」であるというわれわれの判断についてです。少なからず誤解している人がいるようですが、この評価は、共産党が無価値だとか、あっさりと崩壊してしまってよいという判断をしたことではまったくありません。ここで言っているのは文字通りのこと、すなわち共産党が革命党として再生することはありえないということでしかありません。革命政党ではなくても、社会進歩に貢献しうる政党はいくらでもあるし、革新・護憲の陣地として擁護しうる勢力はいくらもであります。たとえば、1980年代、共産党が社会党を強く批判するあまり、社会党全体がもはや革新勢力ではないかのごとき判断を下しました。しかし、当時われわれはそのような早計な断定に反対して党内で闘ってきました。社会党はその右傾化にもかかわらず、なお広い意味での革新陣営の一部であったし、安保・自衛隊を認めた今日においても、護憲勢力であるし、相対的に進歩的な勢力です。同じことは共産党にもあてはまります。もはや共産党を、革命政党として再生することはできませんが(もしそれが可能であるというのなら、それを証明していただきたい)、われわれが綱領改定案を批判した論文でもはっきりと指摘したように、今後も改良主義政党として相対的に進歩的であるだろうし、現在の右傾化情勢の中では、今日でもなお、議会に議席をもつ政党の中では最左派の党なのです。したがってまた、共産党を含む護憲と革新の陣地を防衛することは今後も重要な課題であるし、共産党指導部に対する容赦のない批判をしつつ、その陣営を拡大することは当然の課題です。それは、80年代、90年代において、社会党に対する容赦のない批判をしつつ、党内で、社会党へのセクト主義を批判して、社共の統一戦線とその共同の陣地の拡大を主張したのと同じです。
 第二に、「救える部分は最大限救い出す」べきという判断についてです。これは何ら離党の勧めではありません。これは何よりも思想的・イデオロギー的な意味で言っています。まだマルクス主義的な観点を多少なりとも保持している党員たち、あるいは、宮本時代に入党し、そのときの思想的・実践的立場(安保自衛隊問題、社会党の右傾化、日本の帝国主義復活、天皇制の問題などをめぐるそれ)をよく知っている党員たち、これらの部分が不破新綱領の精神に毒されることなく、本来のマルクス主義、共産主義の立場を堅持するためには、常に意識的な働きかけを必要としています。また、この5年以内に入党した党員たちは、最初から改良主義と妥協の精神で教育されており、われわれの声もほとんど届きません。若い世代を教育し、党の戦闘的伝統を伝えていくことは、古い世代の義務です。
 第三に、「できるだけ党内に分岐と亀裂を作り出す」べきという判断についてです。これもまた、何よりも思想的・イデオロギー的な意味で言っています。現在の党指導部が、「われわれの」指導部ではないこと、彼らは裏切り者であること、不破哲三とその追随者たちは、共産党という革新の陣地を守るものではなく、むしろそれをますます弱体化させ破壊する連中であること、このことの理解をできるだけ党内に作り出すことが必要です。それは、共産党そのものの解体や打倒を目指すものではなく、共産党の最良の部分を守る行為であり、またそれは共産党の弱体化をもたらすものではなく、その部分的強化をもたらすものです。
 われわれがトピックスで呼びかけたことの本旨はこうです。左派的立場の同志諸君、これまでと同じ闘いを今後も党内で続けよう、しかし、共産党の全体が革命政党に再生するなどという幻想はきっぱり捨てよう、基本的に後戻りできない形で改良主義政党に変質した党の内部で、マルクス主義の立場とこれまでの革命的伝統を守り発展させ、そうした左派党員の陣地をできるだけ広げよう。