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創価学会の力

2004/1/25 天邪鬼、60代以上、画家

 冬来たりなば 春遠からじ
 大寒の入りから急に寒くなりました。だがこの寒さもあと一月持たないでしょう。やがて梅の花が咲く日を心待ちにする日々です。
 二年まえの桜の満開の頃、わたしは障害者作業所どんぐりの子らに誘われて万博公園にさくら見物に行きました。万博公園は大阪砂漠のオアシスです。
 どんぐりの障害者作業所には大体二十歳前後の子らが通っています。みんな万博公園まで二台のマイクロバスにボランティア数人もふくめて二十四、五人ほどが乗り込んで行ったのですが万博外周道路の外側にある駐車場でみんな降りなければなりません。そこから桜満開の公園まで健常者の足でも疲れるほどの道を重度障害者の子は車椅子に乗せられ、何とか歩ける子はござなどをかかえてぞろぞろと行くのでした。足を引きずったり、体を大きく揺らしたり、曲がったままの手首を上げたりさまざまな格好で一生懸命歩いて公園の桜の木々の下の芝生にたどり着きました。
 めったに外に出られない子供達だからさんさんとした春の太陽を浴び、はらはらと散る桜の花の下でみんな幸せそうです。
 二十の信ちゃんは二十キロそこそこの体で芝生に寝かされます。彼はメカが得意で車に詳しいのだそうです。その横にやっと座れる啓二君がいて音楽の話を信ちゃんにしていました。啓二君はコンピュウーターで作曲をしているそうで私にも一度聞いてほしいといっていました。友チャンと清ちゃんと言う女の子の体には異常がありません。だが少し知恵遅れだそうです。二人はダンスを踊っていました。エバちゃんはやっと家の中を這えるだけです。じつはわたしはエバちゃんと仲がいいのです。彼女は知的障害もありますが多分生まれ時に左脳に血管障害を起こしたのでしょう。知的障害になるのと機能障害だけですむのは偶然に過ぎません。脳の利き脳に酸素の供給が一時と待ったか反対側かと言うことだけでしょう。論理脳が冒されているエバちゃんにはそれを保障するかのようなすごい間の働きがあるのです。賢そうな人ほど勘が鈍いと私は思います。伸ちゃんは去年の夏、死にました。重度障害者はどうしても命が短いのです。
 この桜の公園の池の向こうに万博美術館と民族学博物館、日本庭園があります。しかしそこまで行くには今まで歩いた二倍の道のりを歩かねばなりません。美術館の裏と民俗学博物館の影には広い駐車場がありますが普段は公園関係者か館員の車しか停まっていませんのでがら空きです。。車椅子に乗って一人で万博公園のそとから中に入り桜見物や民族博まで行くのは不可能です。
 その日は夕方になる前にまた同じ道をぞろぞろと駐車場までみんな並んで車に戻り、どんぐりで解散しました。
 わたしは翌日日本万博協会に電話をし、障害者の車が入れるように申し入れたのですがにべもなく断られたのです。
 わたしはどんぐりのエバちゃんのお母さんとは知り合いなのでそのいきさつを話すと彼女は創価学会の信者なので「支部長に相談するわ」と言うのでした。数日後この市の学会の幹部の女性Nさんとエバちゃんの家で逢うことになり、私たちは署名運動をすることに話が決まりました。それから日もたたないうちに署名簿の見本が私に届き、読んでみると創価学会の名前はなく発起人として私の名前だけが載っていたので作り直してほしいと電話をするとすでに学会では署名運動に入っていると言うことでした。
 まいいやと、思い直しわたしは発起人ですからあらゆる方法で「万博の中に身体障害者の駐車場を設けよ」と言う署名を集めました。一月の後、300筆の署名を私が集めることがやっとできました。学会幹部のNさんから連絡があり公明党府会議員 倉本勲氏とともに万博記念協会を尋ねることになりました。
 協会の応接間に通され万博側の人が入って来る野を待つ間に署名簿をおたがいに一つにまとめようと言うことになりました。私は心の中では得意になって300筆の書名の束をNさんに渡すと彼女も抱えてきたダンボールの箱を開けました。そこには署名用紙がいっぱい入っていました。彼女はそこから署名簿を出しました。なんとわずかの期間に10000筆もの署名を集めていたのです。わたしは創価学会の行動力と組織の力に唖然としました。
 そしてこれらの署名は身体障害者に対する創価学会信者達の厚くやさしい思いをこめられた署名であったと今も確信しています。
 私の名刺入れに日本万博記念協会理事 井上正 公園部長 松岡か一彦 課長福田博文の名刺があります。倉島議員の名刺は写真入です。
    すでに万博側で民俗学博物館から迎賓館入り口寄り300メートルのところに障害者駐車場の予定の図面が用意されており、その承諾を私たちに求めるのでした。Nさんとエバちゃんのお母さんは私にどうかと尋ねます。僭越ですだ私が代表者にされているからこたえないわけに行きません。わたしは嬉しさに酔って即承諾しましたが今は少し後悔しています。もっと民俗学博物館の近くに駐車場を設けさせたほうがよかったし、障害者が車で行く前日に、申し込まねばならないと言う不便さを認めたことに苦い思いをしています。
 わたし、イラク自衛隊派兵命令が出された日、あまりの怒りにさざ波に投稿した言葉が、創価学会を強く非難しすぎたために信者の方には気の毒をしたと思います。学会幹部、公明党幹部がイラク自衛隊派兵を推進した責任、学会と言う宗教団体全体の責任を不問にはしませんが創価学会信者一人一人については別に考えていることを前提にしていただきたいと思います。そして障害福祉で見せてくださったこのようにすばらしい心と行動に対して感謝し、全国の創価学会員も等しく同じ心を持っておられることを確信します。
 創価学会が平和のため、福祉のためにあってくださること、公明党が結党の精神に立ち返られることを望んでやみません。また心ある創価学会員によるイラク自衛隊派兵反対署名が先日1800名に達したことをよろこびその有志を讃えます。どうかさざ波の皆さんこの署名にご協力ください。
 人も組織も過ちを犯さないでいられると言うことはありません。しかし過ちを指摘されそれを認めればその過ちを二度と繰り返さないことのほうが無謬よりも価値のあることだと考えます。
 戦争は障害者を抹殺します。ナチスは障害者を見つけ次第アウシュビッツへ送り込みました。日本では障害者の子供は兵隊として役に立たないので徹底的に差別されました。家族に障害者がいれば家の中に隠さねばならなかったのが戦争の時代です。いま障害福祉が聴きにたたされ、生きることすら困難になってきたことをまた話しましょう。
 神崎さん自衛隊員をイラクから呼び返してください。今なら遅くありません。お願いします。このままでは恐ろしい時代に入っていきます。私たちは戦後史最大の危機に陥れられました。