四国ちゅうとこは、なんち、高か山の多かとこなんじゃろう。
こげなん山ば、龍馬は、越えて、国抜けしたんかのう…。
峠を超えると、眼下に、土佐のくにが見えた。
わーい!!わーい!!
土佐じゃ!土佐じゃ!
龍馬の里じゃぁ!!
日も暮れかかる時刻であるに拘わらず、何はともあれ、桂浜へ…。
こりゃあ、想ちょった以上に、でかかぁ!!
おんしが、生きちょる間に、一遍、逢いたかったぜよ。
一遍、おんしと飲みたかったぜよ。
よし、今夜は、おんしと飲み明かすぞ!!
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まだ、ずっと、若かりし頃、初めて、龍馬に逢いに、土佐を訪れたときの、感慨で す。
獏さん。いろいろと、お忙しそうですね。
「はっとひらめいた」ものが、「妄想」なのか、そうではないのか、それは、
「やってみなくちゃ判らない」と思います。
「政治」と「革命」について、獏さんの仰る、
> それではどうすればいいのでしょうか。天下国家を論ずるのもいいでしょう。 インターネットのこのような掲示板で喚起するのも大切でしょう。私はそれらと同時 に身近な問題から参加することを通じて「共有」意識を育てることが、今特に必要で はないかと考えます。
ということに、賛成します。
と同時に、「共有」だけではなく、それも含めた、「共生」意識を育てることが、
大事であろうと思っています。
私も、その辺りに関わることも、また別の機会に、触れてみたいと考えておりま
す。
みんな、自分のできることをやればいいと思っています。
みんな、置かれた環境が違うのですから、「『日和見』なオッサン」だなんて、言
わなくてもいいと思いますよ。
もっと、開き直ってもいいのではないでしょうか。
私なんか、いろんな人から話を聞いて、いろんな物から情報を得て、ない頭を、一
所懸命、ひねくり回して、ただ、できることをやろうとしているだけです。
「ご批判もございましょうが、ただ、今現在は、私には、これだけの『智慧』しか
ございません」と、恥を晒しているようなものかもしれません。
でも、せっかく、インターネットという道具を、かのアメリカ国が、「使っていい
よ」と言ってくれているのですから、使わない手はないでしょう。
党は、議員・候補者はもちろん、地区委員会でさえ、HPを開いていないところ が、多くあるようです。一般の方々でさえ、多様・多彩なHPを開かれているという のに…。「なんでだろ~♪」と思ってしまいますよね。
これは、やっぱり、どうしても、「民主」集中制・「分派」禁止に基づく、異論公 表の禁止が、「侵される」ことになることを、怖れているのだろうと、思います。本 当には、自信がないのだろう、と思います。
「そればっかり言うな!」と仰られる方も居られるかもしれませんが、この改革な くして、党の再生はありえないと、何度も申し上げたいと思います。
加藤哲郎氏の言を借りれば、今や、「陣地戦」から「情報戦」の時代となっている のに、綱領改定案には「コンピュータの出現も、情報化もインターネットも全く出て きません」という認識なのです。
そして、ついに、今日から、その綱領全面改定のための党大会が始まりました。
私は、「自分にできることは、まあ、やったかな…」と思いながら、経過と結果を
待とうと思っているところです。
ところで、話は変わり、龍馬暗殺の件ですが、その頃、龍馬は、福井から京に戻 り、河原町三条の酢屋に寝泊りしていたようです。しかし、暗殺の数日前に、かの近 江屋に居場所を変え、一応は、注意していたようですので、ただの通りすがりではな いのだろう、と思います。
暗殺の前々日、元新撰組隊士、伊東甲子太郎は、「新撰組が狙っているので土佐藩 邸に移られよ」という旨、忠告したそうですが、龍馬は、妙に、頑なだったようで す。
1867年(慶応三年)、奇しくも誕生日でもあった11月15日、午後9時頃、
龍馬は、かくの如く、殺られてしまいました。
龍馬暗殺後、「あれほど言ってやったのに…」と言っていた、その伊東も、その三
日後、新撰組によって暗殺されました。
維新後の、元見廻組隊士、今井信郎の「自供」により、いわゆる、佐々木只三郎説
が、「通説」とされてきたようですが、私も、そう素直には、受け取ってはいませ
ん。
龍馬は、「敵」が多かったですからね。幕府筋だけでなく、討幕派にも「大政奉還
など、余計なことをしてくれたものよ」と思っている者たちも、多くいたでしょう。
また、これまでの件に関してだけではなく、「放っておけば、何をしでかすか分か
らぬ奴」という猜疑心を抱く者が居ても不思議ではありません。
龍馬は、豪胆そうですが、と同時に、やはり、策士であることには違いないでしょ
うから、実際、そのように思われる面があったと言えるでしょう。
いずれにせよ、明治維新自体、黒船来航以来の「尊王攘夷」と言われた排外的エネ ルギーを、いつの間にか、「討幕開国」へと向かわせた、ある意味で、歴史的大ペテ ンのようなものであると考えることもできるでしょうし、私には、何とも言いようが ありませんが、そのような大きな流れの中で、
「天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命 がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした。」(「竜馬がゆく」)
と、司馬さんが言われますように、私も、そのように考えるようにしています。
今、龍馬が、「民を殺したらいかんち言いよるきに…」と言っている気がしてなり ません。
いつも、党と政治のことばかり書いてきましたが、偶には、こういう話も、よろし いのではないでしょうか。コミュニケーションの場として、広く考えてみても…。
それから、天邪鬼さん。私は、いつも、天邪鬼さんのご投稿を拝読させて頂いてお
りますよ。
流石に、天邪鬼さんは、その名にふさわしい、と私は、感服しているところです。
「暴力革命のこと、別にそれを望んでるのではないのですが、…」と仰られている
ことに、私は、勝手に、少し、ホッとしております。
私は、お会いしたことは、ございませんが、天邪鬼さんが好きですよ。
こういうと、また、嫌われるのかもしれませんが…。
長壁さん。ご無沙汰しております。
私の投稿の中で、二度ほど、書きかけたのですが、自主ボツにしてしまいました。
兎に角、ご無事で何よりです。
また、硬い話に戻りますが、
> そうはいっても、どこに受け皿があるのかとおもうと、いまの状況のなかで前 進するしかないのではないかと思うばかりです。
とのこと。確かに…。
でも、「受け皿」は、始めからあるものではありません。だから、「作る」しかあ
りません。
先ほど見た、NHKのニュースでは、「憲法改悪に反対する」一点で、共闘を追求
すると、伝えておりました。「今度は、本気なんでしょうね?!」と、私は、思う反
面、「自衛隊・天皇制の容認は、国民多数の意思である」というような発言が伝えら
れていることに、「どんな闘い方をするの???」と思いました。
これまた、「前進」と捉えてよいのかどうか、私には判断できません。
不破さんは、とても「お元気」そうでした。わたしは、その「元気」を、別のとこ ろで使って頂きたいと願うばかりです。
明日以降の、「赤旗」を読んで、いろんなことも含めて、じっくり、考えてみたい と思います。
長壁さんに、「水を上げてください」と以前述べましたが、私も、この一月の寒さ の中で、少しの水と、陽の光を浴びて来ようと想っている次第です。
ともかく、「さざ波」に集われる皆様。
お体をご自愛なさって、ご活躍されますことを、お祈り申し上げます。