あなたにはこんな一面もあったのですか。いつもあなたの書いたものを読むのです
が、とても難しくてついていけなくなることもあるのでした。ディレッタントと言え
ば失礼かな、スターリン主義と社会主義の問題で悩んでおられるので、あなたの船に
乗ると波に揺られてどこの港に向かっているのが分からなくなるのでした。そしてあ
なたの知識量には舌を巻きます。
土佐の山を歩きながら「おーい竜馬」と叫ぶあなたを想像すると、愉快になりまし
た。わたしも三年前八幡浜から室戸そして四万十川を数日かけて回りました。がけの
上から海を見下ろせば底の海藻が透き通って見えるのでした。
私は子供の頃の歌を歌いました。
うみはひろいな
おおきいな
いってみたいな
よそのくに
獏さんは山仕事とお母さんを見るため、とはいえ土佐におられるなんて羨ましい
なー。
坂本竜馬は何だってその当時は僻地とも思う、ど田舎から脱藩して日本中を東から
西へ、西から東へと歩き回り、勝海舟や西郷さん、をそそのかしたり志士達と口角泡
を飛ばして激論をしていたりしたのだろう。しかし不思議です。たかだか脱藩浪人が
徳川幕府をぶったおす主役になるとは。
世界でもっとも典型的で封建制度の見本みたいな徳川幕府も幕末ともなれば見掛け
倒しのものになっていたに違いないのでしょうか。資本主義の最高の発展段階である
帝国主義。腐朽した、最後の資本主義がこのようにもろいものならばどんなに有難い
か。帝国主義という怪物がのた打ち回り凶暴性をますます発揮し始めてきたのがイラ
ク戦争でしょうか。有事法など見ていると戦火が朝鮮まで広がることが予想され恐ろ
しくなります。世界は火の海になるのだろうか。その前に私の家計も火の車です。
獏さんにはお孫さんが授かったそうですが私も1年前に孫が生まれて正月には会い
に行きました。だが孫の尻を追いかける年寄りになることだけは断じて拒否します。
だが、今からの時代を考えると生まれたばかりの子供達が可愛そうになります。
「なんで五十年後に生まれなかったの」
わたしはほんとにアマノジャクなのかなー。子供のころからボーっとしていて昼行
灯(ひるあんどん)とか蛍光灯とからかわれたものだし、ボケなのです。獏の名前で
最初はさざなみに投稿していたのですがもう一匹先輩の獏さんがいたのでアマノジャ
クになったのです。せっかくの名前に恥じないように天邪鬼らしく人が「右」と言え
ばわたしは「左」と言ってやるのだ。なんでも反対。激しく反対するのはあせってい
るからです。もうこんな国はいやだ、もうこんな世の中はいやだと。こんな料理が食
えるかと日本と言う皿をぶちまけたくなります。愛国なんていうが周りを見渡しても
好きな日本人なんかほとんどいないので私には無縁な単語です。愛国などと言うやつ
ほどもっと嫌いなんです。
「日本民族の平和と繁栄を目指します」と言う共産党のポスターを見たことがある
が右翼のスローガンと変らないなーと思ったものです。今党大会が開かれていますが
ますます愛国の党になっていくのではないでしょうか。共産党がこんなに右旋回する
ともう歯止めがなくなり戦争の時代が加速されると思えばかっての古巣であった
日本共産党が憎らしくなります。しかし、しゃんしゃん大会で幕を閉じるのでしょう
か。満場一致というのは実はマインドコントロールをかけられた状況なのです。
さて琉球から東京にやってきたこじきのような詩人、汲み取りをしながら飯を食っ
ていた詩人、その名を山乃口獏と言う。だが彼の心は貴族であった。獏さんも読んで
ね
存在
僕らが僕々いっている
その僕とは 僕なのか
僕が その僕なのか
僕が僕だって 僕が僕なら 僕だって僕なのか
僕である僕とは
僕であるより外のない僕なのか
おもうにそれはである
僕のことなんか
僕にきいてはくどくなるだけである
なんとなればそれがである
見さえすれば直ぐにでも解る僕なんだが
僕を見るにはそれもまた
もう一迥りだ
社会のあたりを廻ってこいといいたくなる
論旨
徹底しろ と僕に言ったって
徹底する位なら
僕は浮浪人には徹底なんかしたくないのである
金がなくて困っている と僕に話したって
金がなくては困るのである
それが僕よりも困っていると僕に説いたって
僕より困っていては
話がそれは困るのである
要するにこの男
どこまで僕をこわがるか
話を見ないであんまり僕ばっかりを見ていると
いまにみていろ
金を呉れと言い出すから
愚羅虫さんの詩にお返しです。山之口獏ここに生き返る。でもいやだなこの獏さん
はまるで僕のようだから。たまにはこんな話もいいでしょう。
僕が僕僕いっている この僕とは獏なのか
皆さん今後ともよろしく 天邪鬼