共産党の新綱領が決定された。大まかに言うならば「資本主義の枠内での改革=民主主義革命」と社会主義・共産主義とは明確に切り離して位置付ける一方で将来的には「国民の総意」で「社会主義・共産主義」の社会を目指すと言うものである。つまり無党派層の取り込みを狙って一方では「資本主義社会は変えません」と言いながら従来の支持者には「社会主義・共産主義も忘れていませんよ」と言いたいのだろう。「社会主義・共産主義」も忘れないけど「資本主義」も壊しません「安全な政党」ですというわけである。
例によって党指導部はこれによって「日本の未来が指し示された」と自画自賛であり壇上で発言する代議員達もまたもや「勇気百倍」という「心からのよいしょ発言」のオンパレードであった。
私の正直な感想を言えば「もう勝手にやってなさい」の一言である。これによって「日本の未来が指し示されて勇気百倍になる国民はいないだろう」と言うことに尽きる。
なぜなら「資本主義の枠内での改革」なら何も共産党でなくとも出来るのだし現実に多くの国民は何らかの形での「憲法改正」も肯定しているのである(それは決して自民党流の改憲だけではない)
またいくら国民の総意でとはいっても「社会主義・共産主義」を今更志向する国民がどれほどいるのだろうか?たとえそれが「ソ連・東欧」型の社会主義でないと言われてでもだ。
つまり共産党は国民の目が社会主義・共産主義に向かいない(当たり前であるが)現実に対してようやく「資本主義の枠内での改革」を公式に掲げることで国民の選択肢のひとつには入れると思ったのであろう。何と言う「愚!」であろうか!
共産党に言われるまでも無く多くの日本国民は「資本主義の枠内での改革」を考え取り組んできたのである。今更共産党の言う「資本主義の枠内での改革」に耳を貸す国民はいないであろう。それどころか共産党は「社会主義・共産主義」の社会でなければ資本主義社会の「矛盾」は根本的には解決されないとしてきたのではないか!共産党のいう「民主主義的改革」は常に「社会主義・共産主義社会」への一里塚としてしか評価されなかったのではないか。
それが一転して「社会主義・共産主義」は将来の国民の選択に回して自分達こそが現在の「資本主義の枠内での改革」の(正しい)道を指し示していると言うのであるからあきれるほか無い。
世間ではこういう人間とそういう人たちで構成される集団を一番信じないし軽蔑するのである。「資本主義の枠内での改革」なら共産党こそが国民から学ばなければならないのだ!国民に頭を下げるべきは共産党なのにそれが「国民に未来を指し示している」と自画自賛するのであるからまさに噴飯物とはこのことであろう!
新綱領で「勇気百倍」になって「資本主義の枠内の改革」に取り組みたいならそれはおやりになればいいだろう。ただそれはこの政党が自らの「世間知らず」と「独善ぶり」を巷間にさらけ出すだけのことである。その意味で私は「勝手にやりなさい」と言ったのである。つまりそれ自身が共産党の幕引きであるからだ。
わずか数分であったがテレビのニュースで映し出された党大会での幹部と代議員達の姿は日本社会の現実からは最も遠いところにいる能天気な集団のマスターベーションにしか私には見えなかった。
なぜなら現実の国民の様々な問題や悩みを多様に論じ合う姿も無ければ政党として今までその問題や悩みを解決出来ずに来たことへの幹部達の率直な反省や自己批判も無いからだ。
その様子を見てこの新綱領は共産党の思惑とは違って共産党の歴史的消滅への歴史的文書になると私は確信するに至った次第である。
まさに「愚!」である。