民さんが
労働組合運動を指導できない党ですので(指導すると間違う癖を持っています)当面は期待せずに労働運動を積極的に行い、労働組合の発展に全力を尽くしたほうがよいでしょう。
と書いていらしたので思い出しました。
連合ができるとき、共産党系の組合は全労連を作りました。
自治労に加盟していた労組で、共産党が握っていた所は自治労連を作りました。
当時、労組の支部で、共産党系にはじかれていた私は、戦後まもなくの間違いを繰り返すのかと、支部機関紙を通じて警告しました。
あの当時、「踏み絵」状態で、連合系に残ることもできなかった、という説明も聞いたように思うのですが、真相はどうだったんでしょうか。また、どのような評価をされますか。
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