2/19の『北朝鮮』欄の長壁さんの投稿に対して、2/21に私なりの考えを述べました。それに対して長壁さんからお返事を頂きましたが、あえてテーマをつけるなら北朝鮮問題より投稿のあり方についてといった方がいいように思いますので、この一般投稿欄で、お返事したいと思います。
私が何より言いたかったのは、異論の排除は、民主主義を壊し、生命と同じ位の価値を持つ「自由」を奪う行為であるということ。それはいずれは「争い」につながるもの。戦時国家が形作られつつあるこの国の、重く立ちこめる雲のような、人権・自由・民主主義を抑圧するような不安感漂う雰囲気を、あなたの投稿から感じたのです。
それと、もうひとつは、もったいないという思いです。鋭い指摘やメッセージ、すぐれたものであったとしても、読まれなくてはどうしようもないと思うのです。読む人に嫌悪され、途中で投げ出されたら、せっかくの主張が、もったいない。
あなたにとっての『さざ波』の存在意義は何なのですか?日記?溜め息の捨て場所?
わたしは11月からパソコンに接し、党のHPへの途中にこのサイトを知りました。このサイトのおかげで、思想的な自己肯定感を持つことができました。党の関係者と話しをするたびに感じていた、議論がかみ合わない歯がゆさ、空しさ、自分の考えが狂っているのかという漠然とした不安感… ここでの様々な意見が私を救ってくれたし、赤旗の論評を教条にしていた、私の考え方もひろがりました。(長壁さんの投稿も全てではありませんが、読んでおりました)
あなたが仰るように、私も戦争遂行者なのかもしれません。この国の政府・国会の暴挙を止められなかった一人の日本人として。反戦・平和の声を思いを、全国民的規模では受け止められなかった共産党を、改革できなかった支持者として。