心でっかち
2004/2/26 天邪鬼、60代以上、画家
障害者の問題は自身のことなので数日投稿を続けた後の今日はぐったり疲れてしまいました。だから今日は何も書かないことにしようと決めていたのですが長壁さんのすばらしい投稿を読んで胸の詰まる思いをし、その次にkさんの文章を読んで感極まったのでした。kさん、あなたはすばらしい人です。川上さんからもすばらしいメールをいただきました。私はあなたを尊敬しているのです。
しかし理性さんの二つの投稿を読んで冷水をぶっ掛けられたような気になりました。
新谷さんに書いたあなたの投稿は、わが子を障害者に持つ親とは思えない差別者そのものです。新谷さんが大学に行ったのは彼なりの夢があっと思うですが、耳が悪いのでどこにも就職ができず、製造業で働かねばならかったと訴えるその気持ちを彼が肉体労働を卑下したり差別したりしているに短絡的に受け取る、まったくひどい話です。彼に謝る勇気はありませんか。
私、過去のことを書きましたが、昨日の出来事を書けば、過去のことにこだわっているとは多分いえないと思います。もしも私やkさん新谷さんが言わなければ私たちの気持ちを誰も知らないままでしょう。
昨日の昼過ぎ、まるで春のように暖かな陽気だったので入り口に置いている電動車椅子のシートをはずして少し離れたスーパーマーケットに行くべしでした。私は自転車にも乗れるし松葉杖で歩けるし、自動車にも乗るので電動はいらないのです。この車椅子は去年11月末になくなった方のものを譲り受け、困った人に使ってもらうべく私の家に置いていたものです。
電動ってのんびりしていいものです。時に散歩がてらに図書館に行ったり、市場に行ったりするときに乗ってってみるのですが、とろとろと気分よく座ったままで動いてくれるので、やみつきになります。
昨日もそれに乗ってスーパーの向かいの露天の八百屋でなすびを買って「なすカレー」を作るつもりでした。電動車椅子に座りかけると隣の小学校4年生の春香ちゃんが一緒に行きたいと折りたたみの自転車でついてきました。
露店の八百屋にはなすびがなかったので、きゅうりを買おうと車椅子を台のそばにゆっくり近づけて、露天商の50がらみの男に「きゅうりをください」と言いかけたのでした。その男は品物の台の間の椅子に腰を掛けて歩道に足を投げ出していたのですが、停まりかけた私の車椅子の前輪のタイヤの下に足を入れて、突然怒鳴り始めたのです。
私は冗談かと思って、ニコニコして車椅子をバックさせたのですがその男はまるでやくざ口調で
「こらー、おんどりゃー。俺の足をひいて謝りもさらさんと。なめてけっかるのか。そんな車椅子に乗りさらすのやったら気ーつけんかいや。なめっとったらあかんぞ」(柄の悪い言葉ですみません)
買い物にきた人たちがたくさん通る中で私を怒鳴り散らすのでした。ふつうタイアに引かれて痛ければ思わず足を引くのだが、彼の足は出したままだからわざとやったのです。それでも私は「すみません、すみません」と謝ったのですが彼は今度は買い物客のほうに向かって
「このあほんだらが、人をなめやがって。車椅子に乗ってるからってこんな狭いところをうろうろしよるのや。こら、けいさつを呼んだろか。」
「すみません。すみません。僕が悪かったのです。ごめんなさい。」
結局謝れば、謝るほど高飛車に出るから私は逃げるように男のそばを離れました。しかしあんまり腹が立つからもう一度取って返そうとしたが春香ちゃんが「おっちゃんやめて喧嘩せんといて」というので、「よし、よしわかった。かえろ、かえろ」といって並んで帰ったのです。「おっちゃん、行ったらあかんで、」「ああいかへん、心配するな」といって、安心させ春香ちゃんが家に入ったのを確かめてすぐに自転車に乗ってさっきの露天商の前に取って返したのです。
露店の男はまさか私がくると思わなかったのでぎょっとしていました。
「オイ、さっき言ったことをもういっぺん言ってみろ。」
「なにおー、こら、お前しつこいな。」
「この程度はしつこくない。子供の前だからさっきは引き上げた がお前は俺が障害者だからといって、弱いものいじめをするつもりだったんだ。許せん。」
「ナニをこら。警察を呼ぶぞ。」
「警察ならすぐ呼べ。やくざでもなんでも呼べ。その携帯で俺が呼んだろか.喧嘩もできんのか。」
「どついたろか」
「やれるもんならやってみろ」
そういってにらむと、彼もにらみ返していたが目の力がなくくなっていました。
「おまえー」
「どうした、声が小さいぞ」
「どうせ-ちゅうんや」
「謝れ」
「すんまへんでした。」
「よし、許したる」
「このみかんもって帰ってくなはれ」
「よし、もらっとく。こんご弱いように見える人をなめたら承知せんぞ」
「わかってまんがな、もう堪忍してくれたんやさかいに言わんといてくれや」
あっけないことでした。
露天商という底辺の人間が、もっとひ弱い障害者に対して日ごろの鬱憤をこんなやり方でぶつけてくるのを私は許せなかったのでした。虐げられているものがもっと虐げられているものを差別することで不満のはけ口にする、これが現実なのです。自分よりもっと下の人間がいる。そう人は思いたいのだろうか。差別というものは分断支配にもってこいなのです。だがどっこい相手が悪い。
理性主義者さん、いったい私を悲惨な過去にとらわれた「心でっかち」と書いてくれたが、そんなものではありません。たぶん軟弱といいたかったのでしょうが少年の時代は当たり前です。それに心はでっかいほうがいいのに決まっています。戦争と障害者を書いたのですが戦時に差別がひどくなるには平時にその土壌があるからです。こんどはたった24時間まえのことを書きました。私だから、こんなチンピラを料理できたがもう少し気の弱い人や、障害の重い人ならば、屈辱だけを抱いて家に帰るしかないのでしょう。この出来事は心の問題ではありません。そんな有形、無形の差別を感じながら障害者は生きています。私たちは体の自由が利かないのを苦しむよりも、人とおんなじ体でないことのほうがもっと苦しいのです。おそらく障害者の最も嫌いなものは、「鏡」です。説明しなくていいでしょう。
障害を直す治療があればいうことはない。しかし治らないから障害者なのです。自身の障害を友として私たちは生きていきます。障害そのものに眉をひそめ、その障害を無くそうとしないでください。ご自分の子供にそのように接すれば、忘れていた障害とその子はいつも向き合わねばならないのです。私たちは自分が障害者だといつも思うわけではありません。私たちは誰とでも対等の人間だと思っています。だが差別されたとき改めて自分を見るのです。憐れんだり、避けたりされたときもそうなのです。
悪いほうの足も私なのです。細くて短いかわいいやつです。見えない目、聞こえない耳、語れない口、握れない手、その目や、耳や、手足もその人なんです。障害のある体の一部を否定しないでいただきたい。それを否定すれば私は存在しないのです。言い忘れたが虫歯と障害とはまったく関係がありません。
私が高二のとき隣のおじさんが孟宗竹で松葉杖を作ってくれました。そのおかげで私の自由は広がったのでした。それまで私は自転車でしかどこ得も行けなかったのです。それからは電車に乗れるようにんったのです。
しかしある日道でばったり父に出会ったとき父は私にこういいました。
「かっこ悪いからやめとけ」
その一言以来父を愛せなくなったのでした。その代わり父を憐れみました。背がたかくておしゃれな父は、いつも筋の立ったズボンをはき真っ白なカッターシャツを着てゲリ-・クーパーのように格好がよかったのでした。だが人間は外見じゃないんだ。
韓国では息子は父から骨を受け継ぎ母から血を受け継ぐというのだそうです。私は父から骨をもらっていない。母からはこの熱い地をもらったが骨は自分で作った。あなたがお子様からそう思われないように。残念だがあなたから、強い骨っぷしを想像できないのです。だがお若いからこれからです。
[党員討論欄][一般投稿欄][主題別投稿欄][伝言板]
[さざ波通信][トピックス][お知らせ][トップページ]