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レーニン主義と日本共産党のビジネスモデル

2004/2/29 KP(カーペー)、50代、会社員

 文献にあたらず、記憶で書くので、年号などの間違いは許してください。投稿を拝見していて、民主集中制という名の、上意下達の日本共産党の組織運営につていの批判が多いので、思ったことを書きます。
 日本共産党は1922年にコミンテルンの日本支部として誕生しました。コミンテルンやソ連共産党、ソ連という本社はつぶれ、世界中のほとんどの支店が、倒産か、倒産寸前の状態ですが、アジア地区の支店(中国、北朝鮮、ベトナム、日本など)はまだ元気です。とくに中国は、「資本家も参加できる」政党に変身をとげて、発展しています。中国共産党を貧しい人民のための政党を考える人は少なくなっています。
 ロシア革命の成功は知識人を魅了しました。革命の成功のカギが規律正しく、一糸乱れぬ党にあったという理解がされました。レーニン主義の組織論です。もともとマルクスは、革命を自然発生的なものと考えていました。「生産力と生産関係の矛盾」で、時が満ちれば、自然発生的に社会主義になると考えていました(私の理解では)。
 ところが、レーニンは、強固な組織と、暴力(穏やかにいえば、強制力)の使用もためらわない革命論を展開しました。1902年か03年にかかれた、ボルシェビキ組織論「何をなすべきか」です。そこでは、メンバーを職業革命家(つまり専従)によって構成された党が主張され、党は構成員の自由な討論や投票を保証するといっていますが、結局は中央、指導者の決定に従う組織論が打ち出されました。
 ロシア社会民主党が、伝統的なマルクス主義を信奉するメンシェヴィキとボルシェヴィキに分裂したのも、レーニンの組織論を巡った論争の結果です。レーニンは革命は、強固なレーニン主義的組織と意思があれば、実現できると考えました。
 ロシア革命の成功は、レーニンの組織論の成功とも考えられ、世界に普及しました。余談ですが、レーニンの党は、「革命のイエズス会」で、知識人に新たな献身と信仰の対象を与えました。
 現在の日本共産党は、戦前の日本共産党や、1950年代の日本共産党に比べると、穏やかな、小市民的政党です(良い意味で)。
 しかい、創業当時の理念、組織論は形骸化しながらも残っています。それが、民主集中制という名のレーニン主義です。
 このレーニン主義の組織論(それは革命を起こせるという切迫した現状認識から生まれた)が、将来の年金を本気で心配し、討議する政党が維持しているのは皮肉です。
 投稿者の批判を見ると、民主集中制が、党の活力を奪い、現在の執行部の権力を維持するために使用されている批判が、多く見られます。そして、現実の日本共産党の置かれた環境は、創業当時と大きく異なるので、組織論を改めて、イタリア型の社会民主主義政党に変われば、という主張も見られます。
 しかし、日本共産党は、換骨奪胎しながらも、レーニン主義の組織論は建前としては、残すと思います、それが、党のアイデンティティであり、共産というブランド価値(相当減価したとはいえ)だからです。日本共産党いうブランド価値は、思って以上に大きいものです。それは、日本共産党から追放された分派が、しだいに消滅したことから理解できます。
 不破体制は、このブランドを離しません。もちろん、日本共産党が不滅だとは思いません。しかし、30年ほど前、東京大学教養部(駒場)の学生の10%が民青といわれた時代もあり、現在の50歳代、60歳代、そして、戦争を体験した70歳代には分厚い潜在的支持者がいます。こうした人々が死に絶えるまでは、やせ細っても、日本共産というブランドは、巣鴨のとげ抜き地蔵のように、流行遅れ、レトロと揶揄されながらも残るでしょう。